第21回日本アーユルヴェーダ学会総会
総会テーマ 現代医療から未来医療へ
奈良県文化センター
1999年10月1日〜2日
特 別 講 演
予防と未病の違いについて
春光苑主宰
粟 島 行 春
粟島でございます。最初にお断り申しておきますが、私は中国医学の古典の研究者でありますので、アーユルヴェーダについては丸山先生が「大地原先生のスシュルタ本集」を最初に作られた時にですね、私はちょうど日本綜合医学会に在籍しておりまして最初からの関係者ではあるんですけど、その当時からすでに中国医学の古典研究をやっておりました。その古典のなかにある「未病」という概念ですね、それともう一つは「予防」という概念、これはどちらも中国では「両極」として存在しているものなんですね。それが近年日本ではいつの間にか「病気と健康の間」に「未病」という病気があるという概念が起こった。どこから間違ってきたか知りませんが、そういう考え方を持つ人がかなり多くなってきています。それから西洋医学の方では「予防」ですが、東洋医学では「未病」であるという風な考え方を持っている人もいます。しかし本質的にはですね「未病」というのが、本来の概念とどう違うかというのを、基本として申し上げてみたいとこう思います。
【図1 予防の語源について】
「予防」という語源を調べていきますと、中国でいちばん古い文献といわれるのは勿論「易経」といわれていますが、この伏羲(ふつぎ)という人のあらわした易経の中には、「未病」という言葉も「予防」という言葉もございませんで、その考え方の基本は「陰陽」という考え方ですね。陰陽の考え方そのものを出したのは、伏羲ですけれども、それ以前に神農という薬の方の神様がでてきまして「神農易」というのがあります。その他に後に周の時代にはいりまして、周公、お父さんが文王ですけれども、文王、周公お二人で作られて完成したものが「周易」といわれるものです。この周易のなかにも、「予防」という言葉はありません。ただ、問題は「孔子」が出てきまして「孔子易」と後に言われるんですけれども、周易に対する「易経繋辞」といいまして、それを解説した本ですね。これの中には「離坎、既濟(りかんきさいの卦)」というのがあります。これは判り難いいですから、私は「水、火、既、済」というのがいいと思います。まず考えていただきますのは、
(図2-1 象曰水在火上既濟君子以思患而予防之)
‥この半分で分けてあるのがありますが、これが陰、分かれていないのが陽です。分かれているのが女性、つながってるのは男性なんだという見方をするのは、ふつう俗説とか「助平学」という範疇なんです。一般的ではありません。俗説です。実際にはどういうことであるかというと、これは二つ離れたものが、一つにくっつこうとするエネルギーを持っているものを陰というわけですね。それから陽というのは一つにくっついていますけれどもこれがこれから離れていこうとする、エネルギーを持っているというのがこの陽という考え方なんです。
従いまして、男性というのがどちらかというとエネルギーを持っていますが、「暇ができ」、「金ができると」、分散しようという、そういう本質的なものを持っていると考えています。それから女性はこの二つのものを、一つにくっつけて育てていくという、そういう働きをしていくのを、本質的にもっています。
それが陰と陽という二つの反対のものでありますので、これを二元論的にとらえようという人もあります。しかし陰陽といっても所詮は元はひとつですね。ですから地球がひとつあって、昼があって夜がある。しかしまた昼になってくるいうことですから、本来陰陽というのは一つの身体に過ぎないわけですけれども、男と女という場合、別々に人格として存在していくために勘違いして、男と女の二元論的に解釈する人が多いわけですが、そういうことはありませんで、一元論的にとらえられてきたのです。 特に女性の場合は、この二つのものを一つにするエネルギーを持っていますから、かりに百貨店なんかに行きますと、あちらを見てこちらを見てどちらに決めるかというようなことにものすごいエネルギーを使うわけですね。
男性はさっさと買うんだけれども、女性は買った後でもまだ気持ちが他の品物に残っていたりします。 この男と女の正反対の性質のものが、結婚して生活をともにして、年をとったら少し楽をしようというわけで若いうちは一生懸命働いて、家も建て、子供も育て、一流の大学を卒業させて、就職させた、やれやれこれからゆっくりという時に旦那が浮気をするということはよくあることなんですね。そして一家はどん底に落ち込むということをよく聞きますが、これは本性を知っていないから落ち込むんです。男性は暇ができ、金ができたら分散しようという本質を持っているわけですから、、、それで男性をいつまでも貧乏させて働いて働いて働き、バタンキュ―で死なせたら、これは女性が成功したといえます。 そういうふうに男性は一生懸命働いて働いて、汗びっしょりかいて、一つの所でものごとをやる。学問でも他に目移りしないで一生懸命やるということによって、その人の本質が全うできる、そういう性質のものであります。
このふたつの性質を分ける陰陽は、伏羲の易で考えている陰陽で、食べ物でも陰性、陽性と決めてしまう、そういうやりかたはだいたい伏羲の易といっています。 それをさらに展開させてきたのが、文王の周易です。この周易に孔子様が易経繋辞という解説を作ったんですね。そのなかの最初に(図3)があるわけです。
【図2-2】上の三つが坎(かん)という。下の三つが離(り)という。

このちょんちょんと二つあって線が二つある。これは象形文字で(火)という文字の元々の字です。もう一つ上は真ん中に線があってちょんちょんちょんとありますから、(水)という文字の原形になるんですね。 易経というのは世の中の全貌をどういう分析をしていけば理解しやすいかということから出来たんだけれども、それがだんだん堕落していきますと、要するに吉凶判断とか、物を失ったら易を立ててみるとかといったような、占いの方向に向かっていくんですね。 これが堕落の方向であるというのは、一つは修行のため、あるいは世のなかの理を知るためにできた易というものがいつの間にか吉凶判断風になって、たとえば人間が健康で長生きをしていこうという、実利の方向に向かってくるわけです。 たとえば儒教であるとか道教であるとか、発達していくんですが、これが逆にいうと精力剤を求めるとか、そういう方向に進んでいくのは一種の堕落ですね。 だから漢方薬でも病気を治療するために使われるものと、逆に精力剤を作って儲けていくという二つに分かれていくんですね。 だから易の最初の基本がこれ(陰陽)になっているんですね。
この「水火既済」の字、「卦」はですね、「卦」のなかでは、最高至上をあらわすものと言われています。この上の「水」と下の「火」、これをじっと見ると分かると思いますが、火の上に水があるわけですから、ものを煮たりするとか、ご飯を炊くとか非常に都合がいいんです。でこれが最高至上の卦ということになってるわけですね。 たとえば橋本龍太郎先生が自民党の総裁になったときに、高島易断の、いま五世ですかね、高島呑象という人が卦を見たら、この卦が出ていたので、最高至上の卦がでたというので一門が大喜びして、祝宴をはったということを聞いております。 じつはこの八卦(水火既済)というのは、最高至上でありますために、危険な点があります。見ていただきますとわかりますように、火の上に水が乗ってる。このまま放置しておきますと、水は沸騰してきまして、たぶん人間に災いするでしよう。火も燃えてきて上がってですね、水がなくなってしまうと火事になったりすることでしょう。ということは今なにかが起こっているわけではありませんが、最高至上なんですけれども、しかし将来にはかならず災いが起こってくるということを君子は知って、あらかじめ防ぐ、つまり予防する、という言葉はここから出てきたんです。
例をあげて申しますと、女性の卦からでてくる年齢があります。それは7の倍数です。まず7歳で骨盤がしっかりする。だから男性女性というものは腰骨を見ると差がわかる。しっかりと女らしくなってくるのは7歳、14歳で天の癸が始まる。つまり月経が始まるということですね。 そして21歳になると子供を産んで育てることが出来るようになる。 なかには15歳で産むことができるんじゃないかという人がいますが、産むことは出来るかも知れないが、育てる能力がありません。周囲のだれか手助けできる人がいないとその子供は育てられない。21歳になるとしっかりとして、自分で働いて子供を育てる経済力も体力もできてきます。
そして28歳になると「水火既済」の卦になるんです。これはなにかというと、老化が始まるという卦であります。そうして7の倍数7×7=49歳、天の癸終わる、となって閉経期を迎えます。しかし普段の生活でよほど養生がよければ、さらに7年つまり56歳まで生理のある人があるという風になっています。 56歳以上になって子宮出血があるというならばこれは病気、けっして生理ではありません。こういう風に黄帝内経という本の中では説明されています。 したがって女性の最高至上というのは28歳、なかには36歳になっても28歳に負けるかいう人もおるかも知れませんが、それは通りません。なぜかというと28歳という若さには勝てないですね。そういう風になっていますから、結局一番頂上は28歳。
じゃ男性はというと、8の倍数で計算されています。まず8歳にして睾丸がしっかりと出来る。16歳にして射精することができるようになる。24歳になりますと相手の女性に子供を生ませて育てさせることができるようになる。そうすると女性のほうがすこし「おませ」で、男性のほうがすこし遅れてきます。そして32歳、老化がはじまるということになる。だから男性の男盛りは32歳。お相撲でもそうですが、だいたい32歳ぐらいが頂上でしょう。それ以上はなかなかで、体力が落ちてくるんですね。
もっとも引退すれば「年寄」なんて名前がつくんですから、そこから老化がはじまるんだということになってるわけです。そして8の倍数ですから、80歳になると淫して漏らさず。結局射精能力は81歳で落ちてくる。養生がよければ80歳で子供を生ませることができるかも知れませんが、しかし80歳で頂上になる。 こういうふうに計算していきますと、水火既済の卦というのは最高の卦だというようにお考えいただくといいかと思います。 たとえば家を建てたというと、建てたときがこの状態ですね。建てたあとはその翌日から汚れはじめ、腐りはじめ、壊れはじめるんで、一年、二年と経つにつれて古家になってきますから、建てたときが最高なんです。 だからほんとうは橋本龍太郎先生をお祝いするどころじゃない。ほんとうはその時点で、予防ということを考えて行かなきゃいけなかったんですけれども、手放しで喜びましたから、それから後はご存知のような結果になりました。 ですから水火既済の卦は非常に重要であります。
【図4 予防の範囲】
そうするとこの状態で、一番いい段階で人間はあらかじめ予防を考えておきましょうという卦ですね。現在なにも起こっていない一番いいと思われる状態なんですけれども、それは将来患うことを知って、君子はこれを「予防」するという考え方です。ですから戦争、喧嘩になることもあるし、滅ぼされることもあり得ることと予測して、万里の長城を作ったのは、政治的な予防ということですね。
もっといいますと、ものを作る場合、産業ですね、たとえばサツマイモを作っておきますと、将来裏山からイノシシが出てきてほじくって、サツマイモが被害にあうかも知れないとなりますと、柵をこしらえてイノシシが入ってこないようにするのはこれは予防です。中国の哲学のなかに仏教がインドから入ってきますね。その言葉のなかに「退治」ということと「予防」とがドッキングしまして、結局イノシシを出てこなくするためには、「退治」したらいい、山狩りをしましてイノシシをいなくする条件を作ろう、これが「予防」ということであります。 そうしますと医学もですね、狂犬病を持った犬に噛まれるとひどい熱を出して、気がおかしくなるということがあって、人間に狂犬病が起きる。それを起こした元は犬ですから、犬を退治する。狂犬病の予防ということは、犬をまず人間に近づけないようにしようというのが予防という考え方の基本であったと思います。
もっといいますと、今度は教育ですね。となりの子供と自分の子供が非常に仲良くしている。いま悪いところはひとつもありませんが、広げていくと隣の子供のお父さんは評判の良くないヤクザの親分だったというような時、どうも子供の将来にとってほっとくわけにはいかないとなれば、転校させるとか、その子供と別れさせるとか、これがいわゆる教育上における「予防」という概念だと思いますね。
【免疫】
さらに「免疫」という考え方があります。良くないものが中に入ってこないようにするにはどうするのか、というのは一種の「免疫」現象というものの考え方ですね。免疫に使われたと考えられるものをいくつかあげてみます。
それにあたるものが、白彊蚕というもので、秦や春秋時代、それよりもちょっと下った時代にありました。白彊蚕というのは蚕ですけれど、蚕そのものを使うのではなくて、蚕が白い黴に冒されて死んだ死骸です。 これを煎じて飲むと、人間の病気、流行性の病気に対する抵抗力が出来てくるというようなことが、すでに二千年ちかく前にやっておりましたが、それから考えるとこれは「免疫学」といういうことも考慮のなかに入っておったことは間違いないと思います。
それから牛黄というのは牛のなかに出来てくる胆石なんですけれども、これが非常にいいものだということで、月夜の晩になってくると胆石の痛みで牛が涙を流して「ウーオ」と泣くそうです。これを殺して焼くと石がとれる。頭部からでてくる石が一番いいとされていますが、腹の中からは沢山出てきます。これが人間の体には薬になるわけです。 それからカソシ(<ケモノ扁+暇-日扁>)鼠屎)、これは大鼠の糞です。
それからゴレイシ(五霊脂)、これはコウモリの糞です。コウモリは他の小さな虫を食べますので、腸のなかを通ってきた時に、その虫の毒素を自分の体の中に入れないようにして、抵抗物質を作っているのが、一緒に含まれて出てくる糞です。
それからシンギク(神麹)というのはコウジ(麹)です。米麹ですが、これは米に麹菌をくっつけて醗酵させたものですけれど、これは菌の体のなかにある、抗体というもの、菌体の酵素の力を利用しているものです。胃のなかにいろんな毒素がたまって腹がつっぱったりしているときに、他の薬で毒素を出すようにするんですが、出したときにやはり胃を痛めますから神麹というのを入れて、その毒を入ってこないようにしながら押しだすということで配置していくんですね。
だから薬というものを単にこの病気にこの薬を使ったら効くというようなそういう次元のものではなくて、それを飲んだときに、人間の体の方が影響を受けますから、その影響をうけないようにするための薬をちゃんと配剤しているというところに処方の微妙なところがあると思います。
それが現代医学の薬ではほとんど配慮されていない。これが漢方のほうでは考えられています。
それからゴバイシ(五倍子)というのは、「ぬるでの葉」につく虫のことなんですね。「ぬるで」というのは、山なんかへ行きますとハゼとかウルシとか、からだのなかに入ってくると、かぶれたりして大変なものなんですが、ぬるでの葉に虫がはいって膨れて「ちゅうえい」というものを作ります。それが五倍子といわれるものです。
キュウインデイ(蚯蚓泥)というのはミミズです。ミミズは土のなかの微生物を泥と一緒に食べて排泄します。この糞なんですけれどもこれも急性の伝染病にかなり効果があるのです。このような使われ方をするものは調べてみますと約160種ぐらいあります。
だからそういうことから考えてみますと、免疫学は現代になって新しく出てきたように思われますが、漢方では現実に昔から免疫学的に使ってきたことがわかります。
それから毒をもって毒を制す、ということがあります。たとえば、消渇に対する病気のときには、豚の膵臓についている白い筋をかならず取り去るように指示します。 実はこれは血糖をあげる働きを持ったものなんですね。いわゆるホルモンがある。 それをちゃんととるように指示しています。これは孫思q(ソンシバク)という人の千金要方という本のなかにきちんと詳しく書いてあります。 これは現在インスリンというのが発明されたのは、1800年代ですけれども、それ以前すでに千年以上前にインスリン療法らしいものが実行されているという、そういうことがあります。これらは全部、陰陽という哲学のなかで、反対のものをもってきて、有効にするということでつくりあげてきたひとつの方向性ですね。さらに五行説とかそういうものがまじりあってきまして、現在まで漢方が伝わってきたといういうふうに考えられます。
ところが西洋医学で見ますと、「細胞生理学」といったものを基本にして現代医学はすすんできたと思うんですが、その細胞生理学というものは一つの細胞を拡大して覗いてみてそれで異変があると病気であるし、異変がなければ病気ではないという考え方があるわけなんですね。したがってCTスキャンにしましてもMRIにしましても、体を1ミリごとに通過しながら、人間の体のどこに細胞の異変が起こっているか観察するというようなことができるようになってきました。 だから現代医学は素晴らしいということもいえますが、逆にいいますと、体が非常に働きが悪くなってきてやる気がなくなってしまった。その結果仕事もできない、社会生活もできないというところまで追い込まれて現代医学に検査してもらいますと、1ミリごとに寸断してみて、体のなかに細胞的な異変がなければ病気ではないということですね。
そうしますと病気でないという段階では、現代医学は予防医学で出発しながら、予防も出来なければ治療も出来ないという状態になっていることは事実であります。
ではその人はどう救われるかというと、結局は心身医学ですかね。 どうかすれば病気になった人の「根性」がわるいということになるんですね。心を直しなさいと。心身医学のほうはカウンセラーとかカウンセリングとか騒いでいますが、それでもやはり解決に困ることはたくさんあります。
しばしば患者と医師とのコミュニケーションがうまくいかないということがあります。
先生の鼻の格好が気にいらないなんてことでもコミュニケーションが成立しないなんてこともありえます。医者を見放した患者はどこへ行くかというと、やはり絶対的なものにすがるなんてことをするようになる。新興宗教の教祖とかですね。 お釈迦様の生まれ変わりなんてのがいたりしますから。あるとき東京に行ったら、ブタの生まれ変わりのひとが話をするというところへつれて行かれたことがあって、中に入ったんですよ。そしたらウィ―ンウィ―ン耳が痛くなるような演説をやっていて、ブタの生まれ変わりというのはこんなものかと思って、あとで聞いたら、ブタではなくて、ブッタだったといわれてびっくりしたことがあります。
そういうのが現実なんであります。なぜかこのごろお釈迦様の生まれ変わりとか、キリストの生まれ変わりなんてのがいっぱいでてきていますね。そこへいっぱい患者さんが集まってきているのは事実です。「あー、お釈迦様の生まれ変わり、、、」と思っただけで、治っていくひともあるわけです。
これは現代医学の無力さをあらわしている現象でもあります。なぜなら現代医学が治し得ないものが、新興の仏教とか新宗教なんかに押し寄せていって、ある程度救われていく現実というものがあることは、そういう機能を現代医学が果たせていないということですね。
そいうことでいうと細胞病理学から出発して、癌、免疫学、遺伝子学、それから病害虫、病原菌、ウィルス、生活習慣、あらゆるものが混沌と一体になって進んできている。 医学の技術は進歩し発達してきて、癌の手術を行ったとしますと、医学的にいえば癌は完璧に取り除いたけれども、命が持ちませんでした、なんてことがよくあるのです。 それはなにかというと、現代医学というのが、細胞という部分は見るが生命というものの全体をよく見ていないということから起きてくることなんです。そこで中国医学を見ますと、もう一方での中国医学の大きなテーマは最初から生命全体を観察する未病ということです。
黄帝内経素問に出てきたこの『未病』の語源ですが、陰と陽とで宇宙がなりたっている。そういう考え方から出てきています。 陰があれば必ず陽があるという考えかたもそうです。陰と聞けば陽を知ることができるし、陽ときけば陰を理解することが出来る。陰と陽の両方をきっちりと調べなければ分からないというものではない。陰を聞けば陽の方がちゃんと理解できるのです。
図5

そしてこの「陰中に陽あり、陽中に陰あり」で、予防は人間に災いをする人間以外からの侵入に対しても予防することとその反対の用語として、未病という言葉が出てくるわけであります。
さて物の初まりというのは、初という字を書きますけれども、これは心のはじまりですね。だから神様を拝む、お正月に神社に神様をお参りに行くというときは初詣といいます。これはこころの問題ですから、初という字は「ころもへん、に、かたな」と書きます。これは衣があればですね、それを鋏で、切るという字。これを将来ご主人の洋服を作ろうとか子供の服にしようとかまだ決めていないんですが、とにかく鋏を入れている段階ですね。 だから心が何か作ろうという状態で、鋏は入ったという状態は、心のはじまりとして使われているんです。たとえば初恋なんていう場合は、初めての場合は初恋を使います。二回目からはこれを使わない。
太初(たいしょ)は心の始まりであります。それから女へんにタイ(台)という字を書くのは物の始まり。従って、これは太始(タイシ)と言いますが、これは女性の中に胎児が出来上がってくると人間という物質が出来てくる。これが将来阿呆になるか賢くなるかということは問題じゃなくて、ただ物が出来上がったということの意味の始まりを伝えます。会社の始業式だとか、野球の始球式とかね、そういう場合はこの字を書きます。
次の素という字はですねこれは「質」の始まりであります。 一般に言われるのは「味の素」なんですけれども「味の質を変える」そう言ったような意味がある。したがってこの「太素」というのはですね、質の一番基本的な所です。 素は医学の質ということで形ではないです。心の問題でもないです。その実際の質、こういう場合はどうすればよいんだというぎりぎりの質を問うたものが「素問」という、これは黄帝が質問して岐伯、伯高、雷公、少兪、仲文、というようなそういうお医者さんが居りましてその人達が、それはこうでございますと答えた。
それが「素問」「素」というのは「質」ですね。医学の「質」を黄帝が質問してお医者さんがそれに答えるという問答体になったものが「素問」というものであります。
図6

中国文献上の項目で、第一に「黄帝内経(素問)」が出て来ます。黄帝という人が質問して岐伯、雷公、が答える。 このなかの「上古天真論」というところに実は「未病」ということがでてきます。あとで説明していきますけれど、これは順序で申しますと、その次の内経の中の「霊枢」ですね、一般には「針経」(シンギョウ)と言われてますけれども、針とか治療法について、こちらの方は哲学について書かれています。
この順逆55条の所に「未病」という言葉が出てきます。 それから「黄帝内経 太素」これは解説本なんですけれども、攝生の所に12行、第2のところのに「素問」というものが「治未病」が出ております。
それから滑寿の書いた解説本ですが、これはもともと(扁鵲)が書いたと言われていますが、戦国時代の(扁鵲)ではないですね、違う人が書いたものです。(扁鵲)はたくさんあります。「太平御覧」のなかにも「扁鵲三兄弟」なんてのが出て来るんですけれども、その「扁鵲」とは違います。これは戦国春秋時代の奏の越人といわれる人のものです。この場合はちょと違う人が書いたものですけれどもその77難の所に「治未病」と言う言葉がでてきます。それから「張仲景」と言う人が書いた本の中で、一番最初「金匱要略方論」の序文の所で「治未病」が出てきます。 それから「孫思貌」これはボウという字はしんにゅうがあるんですが、これは抜けていますのでお許し下さい。「孫思q」といいます。
この人の「千金要方」の中から、そして「名医方考」の三兄弟の中に「呉崑」と言う人が、序文を書いております。 それから「朱震亨」と言う人が書いた「丹渓心法」と言う中に「治未病」が書いてあります。 だから中国医学のなかのいろんな文献を調べてみますと、後世に残った文献が訳山ありますが「未病」を論じていない人は一人もおりません。 しかしそれは健康と病気の間に「未病」があるなんてもんじゃありません。 死ぬ間際になってね、いわゆる未病というものを考えてやるんだということを言ったりしておりますから、そういう未病なんかちょと言葉にあてはまらないですね。
図7 史記

まず司馬遷の書きました「史記」という、これは中国の歴史書の中ではもっとも権威のある歴史書であります。
歴史というものは、もともと何年代にどんな人が居たかという、横にずっと並べると、歴史の長さが解りますよね本来は。司馬遷はぜんぜん違う方向で書いたんです。その時代にどんな偉い人がいて、どれだけの研究をしたかという深さを探っていった歴史書でございます。
これもまあ中国のいってみればすばらしい歴史書として定評のある理由だと思います。その中にはですね、この列伝第45というところに「扁鵲倉公列伝第45」この扁鵲というのは中国の秦の所ですね、秦の始皇帝があった城、曲阜とか秦とかね、いまでも寮東半島の沖の方の北京のちょと南のほうですね、あの辺にいた人ですが、その人が扁鵲と言う人です。
それから「倉公」と言うのは「淳于意」と言うお医者さんなんですけども、今でいう大蔵大臣のような仕事をしていましたんで、一般名は「倉公」と尊敬して申し上げておりますね、 この列伝45というところに書いて有る言葉があります。 概略を申しますとこういうことです。?の国を扁鵲が通りがかりました。もうその地域の人民全部が非常に悲しみ打ちひしがれているのに出会うわけです。
どうしてあなた方は悲しんでいるかと聞きますと、実は今朝明け方に国の太子が死んだということで皆悲しんでいます。棺にもう納めたかと聞いたら、いやまだ納めてない。今朝鶏鳴時(けいめいどき)に亡くなったと言ったんですね。そうしたらその扁鵲は指折り数えながらいや鶏鳴時だったら、月の満ち引きと潮の満ち引きを計算するとその時に人間は死なない、だから多分生きているのであろうと、こういいますと、そしたら中庶子というのが出てきてどうしてそれが解る、じつはそれは潮の満ち引きを見て、満潮の時は人間は死なないのだ、けれども陰陽の気が交流しなくなったときに(尸厥)といって病気で気絶する場合がある。あるいはそれが日中であるばあいは「癲癇」のようになって意識不明のようになって、体がブルブルとふるえ口から泡を吹く「てん」と「かん」という病気がある。 だから太子さまはきっと死んでいないであろう。その証拠はなにかというと、臍から陰部に至って、手で触ってみればまだ温かい筈だ、これが生きている証拠、それからもう一つは、鼻の所に羽毛。この羽をくっつけてみよ、そうするとかすかに動くことを認めることができるであろう。
これは死んでいるのではない、気絶しているだけだ。それは助けることができる、こういうわけですね、中庶子が飛んで帰って調べてみたらそのとうりだったので、丁重に扁鵲を宮中に入れました。子豹というお弟子さんが、鍼を研いでこの横隔膜の上下にですね、陰と陽、これは横隔膜の上が陽、横隔膜の下が陰と申しますけど、陰陽の気が中絶しているから鍼をさして陰陽を通じさせたのです。
そしてもう一つは「火済湯」という薬がある。これも現在伝わっているわけですけどもこれは「黄 黄連 大黄」という薬を煎じて飲ませるものです。当時「火済湯」といっておりました。 黄ィというのは上焦の気を静める薬、中焦を静める気を黄連、下焦の熱を取るのが大黄、こういうのでこの3つを言ったので、現在では、三黄瀉心湯と言って良く用いられています。これを飲みます。まもなくその太子は蘇って立つことができるようになった。 国中は喜びましてね、そしてどう言ったかといいますと、扁鵲は「死んだ人間を生かすほどの名人だ」といってほめそやしたと言ったことが伝わっております。
そしたらその時扁鵲が申しますことは「いや、私は死んだ人間を生かしたのではない、よく生きるべき人間を立たせただけだ、人間が死んだのを生かすような医術はこの世にはない」と言い切って立ち去った。ということが書いて有ります。
実は「未病」というような原点はここにあるんですね、つまり生きるべき能力があるのを死なせるようなことがあっては、医と言うの足らず、医者というものはですね、生きるべきものを生かすということにあるんだ。 死んだ者を生かすなんて事はね、永久に地上には存在しないであろう、これは人間というのは、体が死ぬわけでございますので、それをもとにに戻す方法はない。
ただ生きていく能力があるかどうかが問題、こう言っている。実は「未病」というのは基本的な事はそこにあるわけですね。生きるべきものを起たす。
生きる力があるのかないのかと言うことを見るのが「未病」なんです。 まだ生きていると言うことは、生きる力を持っているから生きているわけですから、そうすると病気の方を見ているのが「予防」の方向です。しかし命がこれで耐えられるか耐えられないかと命を見ているのは、これは「未病」を見ているのであって「予防」ではありません。 そうすると仏教で言うところの「加持祈祷」がありますけれど「加持祈祷」というのは何か生きべき力をね、少し応援してあげるというのが「加持」でありますから、そうすると「予防」かというと、「予防」ではありませんね。 加持を予防と考えるならば現代医学の方に考え方に間違いがあるので、予防という基本がね、だから命が主になっていけば必ず敵に勝って治っていく方法が明らかになる。そうしますと、例えば脈を見ますと脈が強いという場合と脈が弱いという場合があります。
同じ風邪を引いても同じ条件であっても、その人には脈が強い場合と弱い場合がある、強いということはどう言うことかと言うと、命が強いですから敵と戦っているから脈は強く打っているわけですね。この場合薬を使ってはいけないといっているわけです。身体がたたっかっている。その身体を助けるのが大切なのです。
なぜかと言うと薬を使うと人間の体の生きる命の方もね、削ることになるわけです。そしてその納まってきたときに薬を使ってその邪を出すべきだ、これがその処方のまったく初歩のやり方なんです。
漢方ではね、熱がカーとどんどん出ているときにね、薬をどんどん使う事はしません。 そして落ちついてくるかどうかというのは脈とか、その他の四診という顔をみて、顔の色が赤いとか、あるいは黒くなっているとか、青白くなっているとか、そう言うのを見るのはなぜかというと、命がまだ敵と戦っているどうかという命の方を見ているんですね、邪の方を見ているのは、現代医学ですから、それでどういう菌がたくさんある、だからそろそろ遮断しないと入りこまれて死ぬとそういうような外敵だけを見ているわけです。人間の「生命」の方をみていないんです。
それが「予防」の考え方の限界であろうと思いますね、だから決して健康と病気の間に「未病」が有るという考え方はそりゃ「言語同断」の考え方ですね。 そういうことを言いだす人がおるんだから世の中おかしいなあと思いますね、ここに書いて有るのはその次です。扁鵲が斉の国を過りますと「桓公」という国王が国賓として、これを大事にした。そこで朝、宮中に、入りまして顔を見た。Z&&&理(ソウリ)にあり、まさにこれは治せざればきっと深くなるべしと。この「桓公」という人はですね、「私は病気ではない」こう言い切ったわけですね、「何も悪いところはない」そこでですね、扁鵲はすごすごと出ていったわけですね、桓公は左右のお医者さんを見てですね、どう言ったかと言いますと「医者というものはさもしいものよ、私のように病気でないものを病気だといって、そして治したと言って手柄をたてたいんだろう」と左右を振り返って言ったと言います。 「理に敏いものは医者じゃのう」とこう言ったわけです。そしてそれから5日位たって扁鵲はもう1回会います。そしたら「君に疾あり血脈にあり。今治さなければまさに深るべし」桓公はもう物を言わなかった。だいたい自分は病気じゃないと思っていますから「何を言うか」と返事もしなかった。 そしてそのうちに扁鵲は出ていきました。
後5日経過してもう1回桓公に扁鵲は会うわけですね。顔を見たところなにも言わないで扁鵲は出ていった。桓公は不愉快な顔をした。しばらくたったら扁鵲はとうとうどこかへ立ち去っていない。そのうち桓公は病気になりまして、そしてこの病気になった状態の所で扁鵲を呼べといったんですけれど、とうとうその時は扁鵲は出ていってすでにいなかったという事が書いてあります。 これはどう言うことかといいますと、顔を見てですね、敵と戦っている、邪と戦っている病気と戦っている間は、まだ治せる、しかしもうね、戦う力が無くなってしまっている、本人が気が付いていないけれども命の方を見ていますから、これは自分の力では治せない。扁鵲は知っていますから、それでもうちゃんと逃げ出した、こういうのが真相であります。
こういう状態を見て「どこが予防か」ということですね。つまり「予防」と「未病」とはまったく違う次元から出発したものであってそれも予防医学の立場で考えている先生方が「未病」というと「未だ病まず」だからそれじゃ病気になる前で 医者が診断しても本人が気が付いていない段階、そして本人が気が付いているけれども現代医学の機械で発見できない段階を「未病段階」と言うなんて薄とぼけた事を言い出してきたわけです。
実は今から30年ほど前に,近畿大学の「有地滋」という教授から相談がありまして当時予防医学と言う物の限界が見えてきたような気がするから、漢方をやるにはそれ以上も何か探さねばならないというお話であったものですから、私がいままで古典の研究をやってきて「未病」というのがでてきますから、この概念がいいんじゃないか、ということを申し上げたんですが、すぐにのっかかってきましてね、それで「未病」をやろうということになったんですが、残念ながら「有地滋」先生は癌で死亡しました。そのお弟子さん達が引き継いでやりだしてきたんですが、それがずっと広がってきましてね、「未病」「未病」と新聞や雑誌それから厚生省のいろんな文献などにも「未病」と言うのが出ないときがないくらい有名になってしまいました。
しかしこの使い方というのは、全部それは間違った「未病」ですね。全く古典の考え方の基本となった事をすっ飛ばしてしまって、現代医学の頭で字を見て「未病」とは「未だ病まず」と言う文字だけに囚われた「未病」の概念が日本で形作られて広がっていったわけです。
図8

その証拠をここで見て頂きますが、黄帝内経の「四気調神大論」これにて聖人は「既病を治さずして未病を治す」「乱はすでに乱れるを納めずして今だ乱れざるを納める、これそれをいう」と言う風に書いて有りますね。すでに病になってから投薬してもあるいは世の中、乱れてきてから、その後にそういうものを治療、政治をやってもそれはちょうど、咽喉が渇いてから井戸を掘っているような、あるいは戦争が起こって兵隊を養成するのと同じで、又晩からずや、とこう書いてあります。つまり人間の生命力のほうを重視してそしてある状態を常に作っておかなければならない。体の方を弱くしてしまっておいて、病気になってからもう駄目だといったってこれは遅いと、こういってるわけでありまして、これを見てですね、現代医学の現代薬学もそうだし栄養学もそうだと思います。
けれども日本で未病を云々される先生方はだいたい健康と病気の間の「未病」はこれと同じじゃないか、戦争が起こってから兵隊を養成しても間に合わないと言うてるんじゃないか。だからこれは予防だ、こういうふうな言い方になってきたんですが、じっと見ていただくとそうではないんですね。 漢方で考えてきて未病は本人の体の方の体力を、生命力の方を優先して考えてることは間違いないです。
不摂生をしてきた結果、病気になって騒いだところで遅いではないかと言う意味です。ですけどこれは現代の衛生学と言うものとつきあわせてみますと、丸山先生は生前にですね、「粟島さんあなたのやっている未病はね、俺のやらんとする栄養学なんだよ」こう一生懸命言っておられました。「生命だよ」といっておられたんです。たいへん強い味方を得たと心強く思っていたんですけど、残念ながらお亡くなりになりました。 そういういきさつがあって、重しになるような先生がいなくなってきたもんですから,もう大手をふって病気と健康の間に未病という病気があるから、その未病のうちに、早期発見、早期治療で治せというのはべつに悪いことではない訳ですが、そのような概念で未病という言葉を使って欲しくないわけです。 でもそうなったのはこの文献からです。次お願いします。
図9 黄帝内経(太素)

これは「黄帝内経太素」というところです。国が乱れたり、体が病気になる、そういうような状態では、古代の政治には、これはそういう状態にはならないように賢人といわれる人がおって、常にそういう人が早い目に手当てしていった。 だから結局は、戦争になってから兵を養うか、あるいはのどが渇いてから井戸の水を掘るのでは遅いという例えになっているのが、太素のなかに書いてあります。
図10

これは「霊枢」であります。これは伯高と言う人が、上工は未だ生かせざるを刺す、つまり鍼を刺すとき命を強くする状態、今だ病気が出てこないのがありまして肩が凝っていたらすぐ治してしまう、これが上医だというんですね、で下手なお医者さんは下医といいます。そのまさに盛んなるものを刺す、体に熱が出てきたら鍼を刺す、これがまあ下医と上医に分けましてね、これは上等のお医者様と言う意味です。下医は下手医者ですね、その脈が盛んなるものはですね、その病気はまだ残っている状態でありますから、それがまあ鍼を刺す状態の時はまだ病気していない状態の所であったので、もし鍼を刺しますと、大いに旺ると病気がひどくなる、だから上医は「未病を治す」いうのは未だ盛んにならないうちにと言っている訳なのです。こう言います、そうしますと人間は例えば肝臓病になっているとしますね、これは病気ですね、病気しているわけです。しかし下手なお医者さんは肝臓が悪いというと肝臓ばかり治そうとする、しかし上手な医者は人は肝臓以外まだ生きているわけですから、その所にも肝臓の病が悪化してきて致命症にならないうちに、こちらの方の未病、病気してない部分を治して最後に肝臓病を追い出すようにしてから治療していくことが上医だと言っているわけです。
だから「既病」した。つまり病気になったものを治さないで病気になる前を治すというふうに理解したとしたらですね、そうしたら上医というのは、病気になったら放置しとくのかとこういう話になってしまう。だってそう考えますよね、上医はすでに病気になった者を治さないで病気になっていない所を治すというんですから、だからそういう意味でいえばやはり未病は生命の方を見ていることは明らかであります。次お願いします。
図 11

「金匱要略」です、これは、もっと具体的に書いてあります。「上医は未病を治すとは何ぞや、かくいわん、それ治未病、未病を治すとは、まず肝の病を見て肝は脾臓に伝わると言うことを知って、まず正に脾を実せしめる。四季は正に脾旺すべし。脾を補うこと勿れ」だから土用の時になりますと、脾臓が非常に強くなってきているときですから、肝の病になっていても、その土用の時は補うことはしない。中工は相伝わることを悟らず、病を見て脾を実することを理解できず、そこでただ単に肝を治療するなり、だから下手医者は肝臓が悪いというと肝臓だけ一生懸命見る。体の方を見てないと言うことを最初に書いてあります。
最後に「余臓これに準ずる」と書いてありますから、すべての病気はそうだ、この病気をしたら必ず他の健康な所に伝わってくるから伝わらないようにちゃんとしなさい。 それから治すことを未病を治すというのであると言っているのですから これも予防をすると言えば「予防」と言えばいえないこともないかも知れませんが、もっと積極的にですね、根本治療していくやり方であります。次お願いします。
図12

八十一難、77条の方で81というのは中国では全部と言う意味です。なぜかというと日本人はね、ひとつのけじめは10、100、1000というゼロがつきますけど、中国はだいたい9進法ですね、ゼロは掛けても割っても足してもゼロですから、問題にせず9で全てを割っていこうそれが中国の考え方ですね、9を9倍して81。 これは全ての難問題に対する回答であると言う意味ですね。 81なんてのは、ただ81条有るなんて意味ではないですね、この77条目の所に「上工は未病を治すと、中工はすでに病む者を治すのは何ぞや。しかるなり」未病を治すというのはですね肝の病を見て肝、正にこれは脾に伝わることを知ってその脾気を強くならしめて、その邪が肝からつたわらないようにして治すことをこれを「治未病」と言う。
下工はすでに病んでいる者を肝が脾に伝わることを知りませんから一心に肝を治すのを、下手医者だというのです。これを既病をなおすと言うのであると言う風に具体的にかいてあります。
次お願いします。
図13

これは肝の病ですね、肝の熱病はまず左の頬が茶褐色になる、左のほっぺが赤くなってきているのはまず肝臓に熱が入っている証拠であるはず、そう言っているわけですので、この心臓の熱はですね、これはまず顔が赤くなってくる。鼻がまず赤くなる、それは肺の熱が右の方から赤くなる。腎の熱の場合顎(おとがい)が、まず赤くなる、これを発見するんですね、状態がすでに治未病であると言っています。これはどっちを見ているかと言うと人間の生命を見ているわけですね、つまり肝臓病になったとき、人間の体がどう抵抗しているかということが皮膚に現れるんだと言っているわけです。
従ってこれは邪が入ってきたから邪を見ているんじゃないんですね、邪が体に入ってきたら邪に反応しているかということを外表からのぞいて見ることが出来るんです。 そういう意味がありますので、これが「予防」と言う意味ではちょっと無理があると思いますね。
図14

日本でも同じように曲直瀬道三、もっとも日本では古くに医学があったんですけども、田代三喜と言う人が明の時代に中国に渡りまして13年間留学して日本に帰ってきました。今足利市がありますね、鬼怒川温泉行きの浅草から行く途中に足利市というところにね、あそこの所に足利将軍が大学を作りました。 日本中の天才児、賢いのを皆集めて国の経営のための勉強する場所があったんですね、これが有名な足利学校です。田代三喜が先輩で中国に留学しておりまして帰ってきたときその大学で記念講演をやった。これをじっと聞いていた曲直瀬道三が、どうしてもこれは俺も医者になろうと言うわけで弟子になりまして、京都に帰るんですね、そして松永弾正、三好修理とかああ言う人たちを味方につけたのが大きかったでしょう。自分の国の今までの医学を覆すほどの革命をやってのけたですね、今まではどんな病気にどんな薬が効くと言ったようなつまり妙薬医者だったんですね、所が曲直瀬道三が始めて脈を取ったり病状に合わせて薬を処方するという医学の一体がそこに備わって行くわけです。従ってこの人「医学の中興の祖」と言われるわけです。この人の書いた本の中に「切り紙」というこれは曲直瀬道三がお弟子さんに与えた免許書なんですね、紙半切に自筆で書いて、そして秘伝書を授けた。
その中に「未病」という言葉が非常に沢山書いて有る。それからぐっと下がりまして1600年代の末期頃1700年代安藤昌益と言う人がいます。これは大館と言うところで生まれた方なんですけど、のちは八戸と言うところで医者をやっておりまして、でこれがハーバード・ノーマンあたりがね、日本駐在の時にマッカーサーについてきました、カナダの大使だったんですけどこれが日本の古典に精通した学者でありましたのでこの安藤昌益のことを書いた英文の本がでたんですね、その時一躍アメリカでは有名になったものです。
この安藤昌益全集というのができておりますけれども、この全集の第13巻はほとんど「未病」について埋め尽くされております。
それから吉益東洞とこれも同じ年代の人ですね、安藤昌益の頃、一年先輩で早く生まれていますが、片一方は雪の東北で、片一方は広島から出てきたお医者さんで京都で開業した人ですね。これが古書医言と言うところに第二巻の所に「未病」について書いて有ります。
「永富獨嘯庵」と言う人は山脇東洋のお弟子さんなんです。この人は「漫遊雑記」と言う本を書いたんですけどもその雑記あるいは「吐方考」と言う祭りごとに未病について詳しく書いて有ります。それから南部伯民という人がおります。
これが「技養録」それから平田 篤胤とこれがなかなか有名な本ですけども、この中に未病が書いて有ります。「静の岩屋」と言う本を書いてますけど、この「静の岩屋」は日本ではだいたい「少名彦名の命」ですね、この医業について説明したこれは鳥取県米子と言うところがあります。そこに粟島という所がありまして、そこの所の奥の方に静の岩屋てこれがもちろん「少名彦名の命」がそこで寝泊まりをして居ったという伝説ですね、これがその中に書いたものが未病です。
それから権田直助と言う人がいますが、明治維新の時の、新撰組を指導した指導者ですね、哲学者でありますけども、これも医者でありますけども、今静岡県には恩田神社というのが建っています。この人が書いた「医道沿革考」と言うところに未病が書かれています。その他たくさん有るんですけども非常に優れた文章っていうんですかね、それがこのぐらい種類があるという事です。 次お願いします。
図15

南部伯民と言う人が書いた文章です、これは「天下をして、??に人なく訟庭に人なく莎を生ぜせしむるは君相の徳なり」ということは、何かというと監獄ですね、裁判所がなくなるようにそして「莎を生ぜしむるは君相の徳なり」つまり国を治める程の君とか宰相の立場にある人はね、裁判所に裁判官がたくさん出てくるということはね、よいことではない、だからそういううふうにならいような状態にすると言うことは結局君相の徳なり徳の高人がやればそういうのが少なくなる、ゆえに体としては菘なからしむと、人体に病なくして自己長生きですね、(寿考)生を終わらせること、修正治らせる事が出来るのは医師の徳なり、故にいわく上医は未病を治すとこうなります、つまり病気を早く治してあげる、それから命の方を早く救って死ぬような子供の病気であっても蘇らせてあげる、こういうことをするのが、医師の徳というものだ、同じように国の政治もね、裁判所もいっぱい、監獄もいっぱいというような罪人だらけの状態でなくて、ペンペン草が生えるような状態にすることが、この世を治める徳というものであるということが、書いて有ります。なかなか意味深いと思います。
図16

これが「千金要方」孫思q&&&、しんにゅうが抜けて申し訳有りません。「古の善く医をなす者は、上医は国を医し、中医は人を治す、下医は疾病を治すだけ」こういう風に書いてありまして、上医は声を聞く。中医は色を察す。下医は薬効を信ず、だから上医未病を治すとうことはですね、診た瞬間にその命の強さを解る事が出来る者を上医と言う、これは孫氏の考え方ですが、そこにもやはり予防という意識よりはむしろ命の考え方をね、見ているとこれは「万病回春」と言う本です。秩普普葡賢という人が書いたものです。およそ人指し第2指に麻痺が憶えると言うことがあります、あるいはまた手足が力がなくなる、それから筋力が少し痩せてくるというような状態の人がありますと、これは3年の内に中風の質を病む。だから癒風湯(ゆふうとう)というものをあるいは今から天麻丸をこれを服用する。各一錠これは未病の先に治する也とありますね、これが現代のお医者さんが言っている予防というのと非常に近い状態です。 ですからこれがいまの西洋医の先生方に言うと「これが予防や」と喜んでくれるんですけど、これを書いた文章はかなりまやかしがありまして、特に「精力剤」なんかをね、非常にたくさん書かれております。だから治療としての文献としての価値は「傷寒論」ほどは日本では尊ばれないものと思います。

これは吉益東洞の「医事惑問」です。「ある人言いて曰く上医は未病を治すというのは医書に書いて有るが疾医はどう考えるべきでありますか」、答えて曰く、これは疾病医のことならん、陰陽医においては治未病という語、解し難きが故に相生、相尅を持って解す、例えば肺(金)は、その肝(木)の病まざる時に肺を寫して肝を補い余の病を肝をうけぬように、そういうことにないようにと、これ口に言えても術になることはあたわざるなり、従うべからず、また疾医になると、全ての人、病毒静まりてありたる時は、どうもなしと思うものなり。その腹を候うに病毒ある人多し、その病動くときは百病発し病気するなり。その静まりたる時、病毒を取り去れば百病発する時なし、これ未だ病ざるを治すという、ならば後世の説に迷うべからず。
吉益東洞は明白にですね、例えば喘息なんて病気がありますと、その毒が外に現れていないときは普通の人とまったく同じです。しかし毒が有ると言うことは診察、つまり漢方で診察するとちゃんと腹にあった、これはもう病気になっていない前にあれば、そのものを治して行くべきで有るという風に吉益東洞はいっている、これは「万病一毒」という言葉を使ったんですけども、脈が浮いてあればそれは病気の毒が皮膚の表面にある、これは汗にして発散すべきである、それから沈んでおる時ですね、その病は深いところにある、それから反ってそこの所が虚してくるから、できるだけそこはくだして治すべきであるいうふうにですね、病気によって病気の毒のある場所を指定して一毒論をたてたんですね。 ところがそれも近代の漢方のお医者さんにいわせるとですね、破天荒な論である、万病一毒とはなんぞやと言ってですね、批判している人もあります。
しかしこれも漢方の奥義を極めるとですね、病気の位置が解るんです。お腹の所にあるのか、頭が痛くなって来るのか解るんです。足がしびれてくるのか、というのはその状態に見ること解るんです。その治していくことがいわゆる吉益東洞流の未病を治すと言うことである。だから本人は解っていません、喘息だってね、発作が起こったときは本人苦しいですけど普段ちっとも平人と変わりませんから、その時すでに治しておかなければならないんだと言うことを言っているわけであります。
図18

これは後藤艮山です。「師説筆記」とありまして後藤艮山は本を書いておりませんので、お弟子さん達が書いたんですね、これは元々は後藤又兵衛という人の孫になる人のことですね。 しかし侍で飯は食えないし、じゃ医者になろうとして逢いに行った。 名古屋玄医の所に(名古屋玄医は貢ぎ物がすくなっかったので門前払いしたんです)そしてその時後藤艮山がですね、「俺の偉さが玄医ごときに判ってたまるか。人格を知りもしないで門前払いにするとは何事だ。」と言って、門に小便をして立ち去ったという、嘘か本当か、そして自分一人で全く独学で勉強しまして、ついに古医方の大家になった人です。
その人のお弟子さんには香川秀庵、山脇東洋とか名医が生まれていますけどもこの人の言った言葉の中に後藤艮山のことを書いてあります。それほど又面白い人ですが、有形、無形の病気ですね、これは医学を勉強しているとちゃんとね、所が今の人たちはそういう医学の勉強を一つもしない。あるいは歌だとか、お茶だとか、踊りとか、カラオケでも毎晩通っているような人はいますけども、医学を熱心にやっている人はいないけども、これをやっていると自分の目上の人を助けることが出来る、自分の目下の人を救うこともできる、引いては自分自身の健康も維持できる。 これ程すばらしい医術というものはない、なぜ皆学ばないのか踊ったって何もならんじゃないか、カラオケに行ったて時間をくうだけじゃないか、まあ。私もカラオケやめろと言うわけではありませんけど、そういう風に語気鋭くね、言っているわけです、こういうものを勉強しておけば役に立つと、それをやらないのは残念だといっているわけです。 そうするとだいたい後藤艮山の言わんとするところです。結局、体の中がちょっと悪いということは、漢方の勉強で早く見分けることが出来る、治してあげることが出来る、と言うことを言い表しているといえます。
図19

永富独嘯庵の吐方考「沈研感刻して、思いを栄辱に忘し」金が有るとか身分が高くなるとか、一生懸命勉強した結果として、それを忘れてしまう。 それが積年の久しきに渡って慶事多し、いろんな事がありますけど、そういう物を忘れてしまって医学に没頭してしまう、そうすると死者を知ることができる。治らない不治者を知ることが出来る。それがようやく明らかに解ってくるようになって、死ぬ者と死なない者を見分けることが出来るようになる。 明らかになる、これが解るようになってくると治す事が出来るものと、治すことが出来ないで死ぬものが、目の中で明白に解るようになる。 その時、始めて信ず、古人の技、技に病在らずして未病にあることを知る、こう言っています。永富独嘯庵ほどの秀才でも「沈研感刻」もう他のことも、いっさいもう名利に惑わされないで、ひたすら医学だけをやっているとやっとこの人は治る、この人は助けられないと言うことが解るようになる。そして始めて古人の言っていた未病と言う言葉がね、かなり奥深いものであるかが解ったと言っております。永富独嘯庵ですらそうですから、病人の死ぬ生きるを見たことのない人がね、未病を論じるということが大体滑稽なわけなんです、やっぱり医学はそこまで行かないと本当の未病は解らないであろうと思います。
図20

永富独嘯庵、もう一つあります「それ、古医方を学ばんと欲するものは、思いを傷寒論に巡らせもって、病人をもってこの変態を曲盡す」病人をみなきゃあだめですよ、それで病人を診てこの病気はこんな病気なんだけども、こっちの方向に向けて悪くなって行く、あるいは同じ病気なんだけども、良くなっていくなんてね、そういうようにね、ぴったりと解るようになっていきます。そういう状態の展開を「曲盡し」始めて万病の状態胸部に秩然たり、目で見てパット解るように成ってくる、「それ人をしてのち、未萌を&&して、未病を治す、今の医はしからず巧思熟せず、規轍定まらず病者前に至って、始めて模索す亦晩からずや、と書いてあります、逆にそこの所まで進めてきて初めて未病ということが何となしに理解できるんではないかと思います、そうすると未病とはいったい何かというと限界が出て来るんですね、科学的に解明することが医学の主論でないですね、ただその病気と健康との間に「未病」がある、ということは、つまり病気になる前の第一次予防ぐらいしかできません。もう死にかかっている病人は全くお手上げ、こういう状態ほったらかしにならざるを得ないと思いますね、だからそこまでつきつめた医術を持つ人たちがもう少し増えてもらわなきゃ困るんですね、そして科学化してもらわなくては、それが次の時代を作って行く医術でなければいけないと思います。
そういうことを一生懸命やっておったんですけども、残念なことに、そっちの方が一般に判り易かったと思いますしね、テレビとか週刊誌とか新聞とかわぁーと書いて「未病」とはどういう病気と混乱され、遺憾なものですね、たとえば糖尿病についてちゃんと未病とかいうようなことになってくると、こっちはちょっと違うんだけどなあと思う。
図21

曲直瀬道三「切り紙」です。「すべからく病人を察して、これを験すべし」なぜと言うことをじっと考えてください、そして法に従って医事する、医事するというのは、病気と生命とを両方を診る。病人の足を引っ張りながら治療やっちゃいけないと言うわけですね、それをここでは戒めています「同病異治」同じ病気であっても違う治療法でやるということです、それから未病を治して既病を治さずと書いてある。 これだってそうですよ病気になっていないところををなおして、病気になっているのは治さないと言ったら、これはもうそのまま文字読んだらおかしいわけです。実際は病気はしているんです。しているんですが、そこん所ひたすら治すんじゃなくて、病気していない部分をね、充分見て、病を追い出していくような、体力をどう考えたとかというのが未病を治すと言うことだ。「四時の正気と不正の気とを勘案してこれを知るべし」それは寒いときにはですね、同じ風邪を引いても暖めるようにしなければなりませんし、夏風邪は暖めるんじゃなくて、外に邪を出すだけで済むわけですね。夏暑いときに熱いものをこれはおかしいわけです。各各の四季の食べさすものを季と言うものと調和させて暑いときには冷やす。それから冷えている状態は暖めると言うことなんだけども、その、適、不適を考えよといっているんです。これもやっぱり人間を取り巻いている環境をね、充分把握した上で病気を治そうと言う考え方がないと病気していることも、病人が出たら、何でもかんでも薬づけ、助かった人何%、死んだ人何%、そういう報告を何遍やってみてもね、本当は全部救うことは出来んのではないかという風に思います。
図22

安藤昌益の方はこれはちょっと面白いです。比較をせよと言う。これは何かというと先ほど言いましたように、陰と陽とは正反対なんですね。肝臓の反対に肺、肝臓よりは肺の方を腎臓よりも心臓をと言う互性関係で正反対の位置にあって正反対の働きをしているものがあります。腎臓はやや冷えたほうがよく働きます。心臓は逆ですね。冷やすといいことはありません。 そういう風に心と腎あるいは肝と肺とか、こういったような互性関係にあると言っているんですね。この互性の妙法、どうもこう調べていくと病気の実体を知ることが出来る。
これもすばらしい考えでありまして、病気するのはなぜか。邪が入ってきたから、伝染病が入ってきたからと言う考え方ももちろんあるんです。これは外邪ですね。けれどももう一つは体の方に抵抗力がなくなってくると、邪はいつでも入りやすいですね。だからこそあらかじめ知って強くしておくことも必要である。こういうことが互性の妙法ということです。そうするとこの安藤昌益はとても面白いんですけど、耳を見て、耳たぶをみて、耳たぶがよく発達している人は腎臓が良く発達しているから、腎臓病になっても治りやすいとかね。これら下のこれは耳の下、耳珠と言いますね、ここの耳珠があまり垂れ下がってない人は、腎臓病になったとき、かなり早く進行するとかね。それから鼻の形が横についているのは、いわゆる肺の位置が高いところにあるという測定をやっているんですけども、これも非常に面白いんですが、そういう、木金の互性、火木の互性、こういうような事を知って未病を、あらかじめ病気を治療していくと、もちろん病気して死にかかっていてもまだ生きるところがあるわけですから、それを強くすることを考えるということです。臓器移植ということは、そこだけ取り替えるとまだ生きてゆけるということですね。病気の部分だけをみないで、まだ生きれるかどうかをみるわけです。次お願いします。
図23

ここで最後の結論を述べさせていただきますが、東洋医学これがインド医学もそれから漢方なんかも含めてこれが前近代的な考え方。近代的な考え方、それから今から来るであろう超近代的な考え方、これが21世紀の方向性であろうと思うんです。
まず前近代的から見たという「縦の思想」である。親があって、子供がある。それから兄貴があって弟がある。夫があって妻があるっていうのは縦割りですね。それが東洋思想の基本になっています。したがいまして、体も縦割りにしましてね。そして経絡というものを作って居ります。膀胱経というのは上から下へ下がってくる。背中下がって膀胱系とか胃系とか腎系とか、上、下、臍の部分を通って、全体縦割りでございます。それが東洋的なものの考え方です。「経」というのは縦という意味もありますね。従いましてこれは教育でいえばですね、国のためにならなければいけませんから、君に忠義、親に孝、戦争中は日本は東洋思想で固まっていましたから、全部縦割り。それからもう一つは全体主義であります。全体主義はなにかというと家もそうですね。「襖」外してテーブル並べて食堂になる。
それを外して布団を敷けば寝室になるという風なのは全体主義のものの考え方ですね。家族中が元気にするために机並べて人が集まれば会議室にも成るというような状況ですね。それが東洋的なものの考え方、縦割りであります。ところがそれが横に戦争が終わって近代、横の思想になります。「天皇も一人の人間である」それから親も子も人権の上では等しいと、横一列になる。先生も生徒もね。これも人権上の上で平等、こういう風な思想から出てきました。これが近代になります。それからもっと、又言うと教育は矯育ですから矯正の教育ですね。間違ったことをやったら絶対に許さない。そして悪いことをしたら島流しにするような徹底した矯正の教育が前近代的あったと思います。

近代ではそうでなくて詰め込みですね。知識が余計にあるやつが偉いという風な教え方ですね。これが今の教育であると思います。ところがそれは政治で言うと民主主義上は全体主義。ちょうど終戦までの日本は前近代的なものの考え方である縦割りですね。そこへ横割りの思想が入ってきて民主主義、縦が横になったんですから、それは混乱するわけです。正軌道にはならない無軌道というわけですね。だから今の若い人たちがですね、自由主義に成りきっておらないし、それから全体主義には反発するしね、まあ、まったくアプレと言いますけどアプレとは軌道が無いと言う印象があります。
言葉に通じないものが非常に増えています。これがまとまってきたら将来どうなるか。基本的には超近代ですね。これは当代の総合の哲学、つまり東洋的世界観でなしに西洋的世界観で地球を考えるのではなくて、世界的世界観と言うものに目覚めていくことが、次の21世紀の考え方でなければ成らないと思います。そういう意味から言うと、例えば農業で言いますと、堆肥を入れて土作りをやっています。これが全体主義。ここんとこですね。所が近代はこれを分析して化学肥料、チッソ、リン、カリ、があればいいだろうと言うわけで、そういう化学肥料が発達しました。
それが近代農法です。しかし将来ですね、どうなるかと言いますと、堆肥を見直して、しかし科学を通して超近代へ来なければいけませんから、科学化しなければいけない。そうするともちろん微量要素の研究も必要、微生物もどういう風に、微生物が土の中にいいか、それを近代科学的に全部分析していってですね、そして超近代の時代に出て行くべきであろうと思いますね。これは冗談ですけども主に全体主義的な所ではね、人が足りないと困るから、北海道の方ですけども、御婦人が旦那さんがいてもね浮気する。兄貴と弟に顔が馬鹿に違うというのがよくありました。それは何かというと全体主義的な中ですから、子供が育てばいいってな世の中で、そういうものは非常に多かったです。それが浮気というところが、近代になってくるとこれに哲学が必要になってきますから、これが「不倫」という言い方になってきましてね、「倫理道徳に反する」考え方を持ち出してきたのは近代的な考え方です。じゃ超近代的になったらどうなるかと言いますと、御婦人はですね「いや浮気ではない不倫ではない遺伝子の組み換えをやっただけだ」こういう風になるんじゃないかと思うんです。そういう風に考えれば超近代というのは又楽しからずやということであります。
けれどもしかしこのすざましい、アーユルヴェーダも含めて東洋哲学、東洋医学を近代的にして徹底的に近代化した後に超近代、次の時代を作って行くべきではないか。その為には歴史的なものをきちんと把握しないと、つまみ食いじゃ困るんですよ。どの薬が何に効くか程度の取り扱い方でね、古典医学を勉強されないのはとても困ると思うんです。そうでなくてその心髄まで原因を迫っていけばいい、そう思っています。重要な問題が21世紀に横たわっているんじゃないかと思いました。けれどもこれからの学問の情熱に対して少しでも役に立てれば幸せと思っています。私ども東洋医学の方向ですのでお役に立たないかも解りませんけども、そういう方向であると言うことを申しあげまして、私の話を終わらせていただきます。