資料 中外日報社説 平成8年(1996年)11月5日
平座で語った人 丸山博氏の訃報
十月中旬に、元大阪大学医学部教授・丸山博氏の訃報を聞いた。八十六歳。恐らく遺言によるものであろうが、密葬が終わってから一般に発表するという、丸山家らしい心配りが感じられた。丸山氏に初めて出会ったのは、昭和五十六年秋だった。
京都で開かれたアーユルヴェーダ研究会総会を、新聞記者として取材に行くと、丸山氏は受付に坐り、出席者一人ひとりに「いらっしゃい」と気さくに声をかけていた。
そばには大阪大学医学部教授(現在は名誉教授)の中川米造氏もいた。
この時の総会出席者は約二百人。インド伝承の生命医学を論じ合う場であるのに、医師の参加はごく一部で、大部分は保健婦、養護教諭、薬剤師、鍼灸師、民間のインド哲学研究者ど、”肩のこらない”顔ぶれだった。会場は修学旅行用の旅館の畳敷き部屋で、みんなは思い思いに座を占め、コッペパンをかじりながら発表を聞いたり、質問をしたり、PTAの親睦会のような雰囲気を感じた。
小説『白い巨塔』では、国立大学の医学部教授は、権力の象徴で近寄りがたい存在として描かれている。しかし、丸山氏にも中川氏にも、そんな気配は全くなかった。平座(ひらざ)に下りて説法したといわれる蓮如上人もかくやと思われるほど、参加者たちと和やかに語り合っていた。
丸山氏がアーユルヴェーダに関心を持ったのは、昭和三十年インドで古代医学を研究していた、桜沢如一という在野の思想家(故人)から、「インドには四千年前から独自の健康法が伝わっており、西洋医学が伝えられた現在でも、民間では根強い信頼を集めている」と聞かされたのがきっかけである。
西洋医学は、医師が薬やメスによって患者を治療する。主役は医師で、看護婦は補助者。患者は完全に受け身の存在である。ところがアーユルヴェーダでは「医師、患者、看護婦、医薬の協力」で病気を冶す。患者も医療の主役を担うことになっている。
丸山氏は感動した。「これは医学であると同時に、宗教だ」と。なぜならアーユルヴェーダの精神が、仏教の解脱に至る道とよく似ていると感じられたからである。丸山氏は、大阪大学医学部在学中に、仏教青年会活動をしたことがあり、多くの仏典にも通じていた。
”神々への奉仕”のために集大成されたアーユルヴェーダを、さらに哲学的、形而上学的に体系づけたものが釈尊の経典だ、と丸山氏は信じるようになった。さらに竜樹の大智度論や天台智ギの摩詞止観は、全編これ仏教医学書だと思った。その丸山氏に共感する人々によって、アーユルヴェーダ研究会の組織が作られた。
総会の出席者に向かって、丸山氏は「今の病院治療は、唯物的過ぎて信頼できない」と語りかけた。その時の言葉をほぼ原文通りに再録すると「医師に病気を治してもらおうとするのは、坊主に極楽往生をさせてもらおうと願うようなもの。依頼心を捨て、自らの生死は自らが責任を持つべきです」である。
「これについて、研究会員の若い医師は「仏教界に対して失礼な言葉もあったようですが、丸山先生は医学界の反省を迫るために、極端な表現をされたのでしょう。現実には、重病を治すには、医師の力が絶対に必要です。要は、西洋医学にアーユルヴェーダの精神を取り入れ、医療の姿勢を正すこと。仏教の原点に立ち返って、患者を親身でみとってあげることではありませんか」と解説した。
丸山氏は昭和三十年の「森永ヒ素ミルク事件」西日本一帯で赤ちゃん約百三十人の命を奪い、一万二千人を超える中毒患者を出したが、いったん終結したのちも、深刻な後遺症の実態を、保健婦や養護教諭の協力で追跡調査した。その結果を昭和四十四年に『14年目の訪問』と題して発表したことは、関係者に深い感銘を与えた。このほか「大阪から公害をなくす会」の会長として、大気汚染の実態調査に尽力した。
食品添加物の追放にも熱心だった。新聞社を訪ねて来た丸山氏にお茶を出したら「添加物が入っているから」と断わられ、喫茶店の紅茶を砂糖なしで飲んでもらったことが思い出される。最近のHIV訴訟、非加熱製剤問題などについて、ぜひ丸山氏の意見を聞きたいと思いながら、ついにその機会を逸したことが悔やまれる。