がらんどうは歌う/東光寺ライブラリー

     
***** 詩集/がらんどうは歌う/山内宥厳 *****

詩集・がらんどうは歌う


                    

------ 詩 編 目 次 ------


      
1 梅 雨 あ け の 村
2 猿
3 渇 く 街
4 帰 向
5 来 歴
6 あ る 晴 れ た 日 に
7 風 が
8 路 地
9 歳 月
10 初 秋
11 暗 い 絵
12 朝 の 歌
13 進 め
14 冬
15 嵯 峨 野
16 父
17 魚 沼 地 方
18 水 差
19 冬
20 病 気
21 関 係
22 萩 生 寺
23 透 明 な 門
24 葬 頭 河 の 婆
25 恒 河
26 山内博之に関するノート
27 著者あとがき


                     *** 梅 雨 あ け の 村 ***    鄙びた村の駄菓子屋の前に    時折バスがとまる。    切符をその店で買ってわたしは    肩にくいこむリュックをゆすりあげた。    陽差しは強く    風景は急速に色を増して    季節は夏に向ってしだいに高まっていく。    わたしが再びこの村へ来ることはあるまい。    小柄でこすっからい顔をした少年が    駄菓子屋の前でバスを待つ。    手に一匹の蟹をもてあそびながら。    哀れな蟹。    甲を持たれると奴めどうする術もないのだ。    少年がふいに蟹のはさみをもぎとった。    それから足の一本一本を。    胴だけになって    蟹はやけにあぶくを噴いている。    少年はそれを静かに地面に置くと    右足をのせて全身の重みをそれへかけた。    それらは一瞬のできごとなのだ。    わたしは    少年の残忍な行為をかなしく理解する。    まさしくそれは    あのながくしぶとい雨のせいであるだろう。    烈しく虚しいものを    人々の心に残して    たったいま雨季は去っていったところなのだ。                        トップにもどる


     *** 猿 ***    私は原稿用紙をひろげ    胆大心小    いい詩を書くと意気ごむ。    その形貌すさまじいものがある。    馬鹿につける薬なしとは    こうした時の私である。    いい気なものだ。    いくら書いても詞彩なくいたずらに空しい。    ことばは意味もなく    さながらかもめのように    私のまわりをひくく飛んでいる。    この時私はぜんそく病みの黒ん坊にすぎず    この手はペンよりも    ハンマーや鉋を握るにふさわしい。    詩だなどと気でも狂ったか。    お前なんか何を書いたってものにならねえ。    私はペンをえいと投げやり    どだいこの生活がなっておらぬと    やおら手を伸すと    そこに酒があるという次第なのだ。    いまは秋で酒が美味く    ことここに至っては詩なんぞくそくらへ。    いまに奇蹟が起らぬか。    起らぬものでもあるまいと    すでに正気をなくした私は    文明の端くれに位する偏僻な猿にすぎず    街から街へ    路上をふらふらとさ迷っている。                        トップにもどる


      *** 渇 く 街 ***    夏は    昨日きたようでもあり    ずっと続いてきて    終りはないかのようでもある。    胸には    なにひとつ新しく宿らず    ものういさざめきは    執拗に老いたひとの足どりでわたしを追う。    あらゆるものが    ここでは枯れ細っていくようだ。    まどろみのなかでみるとおい地方のゆめ。    どの日から    音楽は鳴りをひそめ    親しい友らは距たっていったか。    深酒をし    変幻きわまりない女を抱きもする。    窓枠が剪りとった空に    ひとつだけ姿を見せる星をながめる夜もある。    そしてわたしはここに    猜疑にかたまった老人の姿を    見るような気がする。    困苦も    頽廃も    すべてが倦んだこの季節に一際うつくしい。    いちにち    太陽は疲労をそそぎ    街は灼け    かわききっていた。                        トップにもどる


     *** 帰  向 ***    雨をついて    わたしは出発する    ながい間    この日を待っていたような気がする    いつも人は    好きな時に旅に出られるわけではない    わたしの顔が    いくらかやさしいと思うのはその故だろう    出発の日には    きわめて自然に    わたしはふるまおうとする    雨はこの時    日本列島をおおい    いたるところで    鉄砲水を蓄えにかかっていたのだ    木曽路は濡れ    わたしの想像のなかの    山あいにあるだろうちいさなちいさな街    大町も松本も濡れ    アルプスを貫通するながい隧道のむこう    黒四ダムは    箱庭のようにちいさく    雨に没して    さむざむと水を吐いていた。                        トップにもどる


     *** 来  歴 ***    深更    気管支の細胞が末端まで充血し    いく万もの    蚊のうなりのようなら音が鳴る    吐く息の苦しさに堪えず    白い錠剤を口にふくむ    染色体から    わたしというものが形成された時    すでに宿痾は    蒔かれてあったのだろう    恐らく    白布がわたしの面を覆う日まで    旺盛なこやつは    その来歴を誇るにちがいない    想えば    貧しい父はこれ以外    なにをわたしに呉れるものがあったか    喘息ですと    うす汚れた白衣がこともなげに言い    父の発病と同じ年齢だと    母とわたしが慄然としたのはいつだったか    悶々    濡れたマッチのようにみじめな野郎だと    うずくまり    いやな季節の到来に耳をすましている    薬がめぐり    ら音が鳴りやむまで    ながい夜をしんぼう強く耐えねばならぬ                        トップにもどる


    *** あ る 晴 れ た 日 に ***    わずかに風があって    海が光っている    今朝あれほど行ってみたいといっていた    五色浜だったが    行くと母はじきに帰りたがった    昔ほど美しくはないというのである    海はとおく光っている    紙吹雪の仕掛けをした花籠を手にわたしは    黙々とあゆむ葬列のなかにいる    漸減してゆくものの哀しさからか    自ら殺生をなして    老人は逝ってしまった    その柩を    息子らは一心に舁いでいる    わたしはその痛々しい姿を    見ずにはいられない    ふり返ってはいけないのだよ    と母がいう    どうも後が気になるのだと言ったら    母はかぶりをふって黙りこんだ    西の方    曙光とも見てとれる空があった    まもなく夕ぐれなのだろう    畔道は年々やせ細ってゆくのか    おそらく気どられぬように    畝の一つが増えるのであろう    それでも    歩幅だけは雑草も及ばず    露呈した土が    どこまでもつづいていた                        トップにもどる


      *** 風  が ***    石工たちは    ふるさとのなつかしい訛りで    ぼくの幽愁を    しきりにかきたてるが    眼を閉じても    あっけなく逝った母よ    もう熱いものが    眼瞼を押しひらいたりはしないのだ    春の彼岸には    あなたの言葉どおりに    ここへ眠りにくるがいい    おぼつかない足どりで    もう歩かなくってもいいではないか    時日とともに    ますます死んでゆくものがある    石工たちが    いま建て終えた墓石のように    いよいよ鮮明に    確かに    畑で豆の葉が濡れている    あの豆の葉を口にくわえて    根気よく吸っていると    青蛙の腹のように    かわいくふくらんでくる    また雨だ    風が    がらんどうをひろげていった                        トップにもどる


       *** 路  地 ***    僕は朝夕その路地を歩いた    せまい土間に    大きなけやきの切株を据えて    その路地の家では    女のひとがつっかけ履きの革を打ちぬいていた。    家の前のちいさな陽だまりでは    弱々しい首のながい女の子が    うずくまって土をいじくったりしている。    時には    つくねんと地面をながめていたりする。    その様が妙に切なく    僕は駈けるように工場へいそいだ。    ある朝    路地の家に    白いカーテンがおりていた。    夕方    そこを通りかかると    木の葉がたくさん    少女の陽だまりのあたりに落ちていた。                        トップにもどる


     *** 歳  月 ***     病んだ犬が斑らに冒された皮膚に身をくるんで、ねそべっている。    雨にうたれて、犬はものうい思念を美しく織っているのか。私が近    づくと、犬は拒絶の眼差しで白く私を捉え、のっそりと生垣のなか    へ姿を没した。     あれらは屈辱の日々の、始まりであったのかも知れない。むかし、    少年の私は、あの犬のような姿勢でこの道を歩いたのだろうか。灯    火管制下の沙漠のような夜、わずかな月や星明りをたよりに、ひと    り住いする祖母の家まで、駈けるように急いだのだ。戦火に追われ    て、寄るべのない肉親たちが、私の室を占有し、私は祖母に抱かれ    て、山ふところのちいさな家にねむるのだった。B29の爆音や、裏    の竹薮を渡る風の音におびえながら、子守歌のように、祖母が語っ    てくれる芝居の話に耳を傾け、私は眠りへの勾配をゆるやかにすべ    っていった。     肉親との絶えまない相剋の果てに、ふるさとを捨て、転々と都会    を移ろうごとに、父はとめどなくアルコオルに沈んでいった。父は    いつも私たち家族の先に立って歩くとはかぎらなかった。ものを想    い始めた不安な季節が私を凝視め、私は錯乱をよそおって、演ずる    こと、書くことに触れていった。私の中年の男にも似た心は、そう    することによって、暗く燃焼していた。     死はいつも靄のなかから、不意に手をのばす。雨季の、ドサ廻り    の旅の宿で、私は祖母の死を告げる母のたどたどしい便りを読んだ。    私は降りしきる雨脚を眺めながら、自らのなかに、この雨季にも似    た、うっとうしく、埋めようのない空洞がひろがっていることを知    った。私はいま、祖母の死から数年を経て、母の苦悩の痕跡を身に    まとい、ふるさとの地に母の骨をうずめようとしている。母もまた、    あの非情な空洞を抱いたまま、死んでいった人間のひとりだ。     ふるさとを発ったあの荒廃の日から、二十年の歳月をへだてて、    昔より狭くなったような気のする道を私は歩いていった。祖母の住    んだ家は、昔ながらに、水の涸れた谷川のむこうに在った。祖母が    植えたという、大きな枇杷の樹も、私の記憶のままの形で立ってい    る。野ざらしの巨獣の骨のように、その枇杷の樹は枯れはてて、さ    ながら一個の化石であった。人は何故、自分の生い育った哀しい場    所までもなつかしむのか。     どぼっとした雨の午後で、ふるさとは静かに濡れそぼっている。    しかし、この二十年の歳月は激しく私を咬み、私の心は暗褐色に、    荒れ騒いで止まなかった。                        トップにもどる


       *** 初  秋 ***     樹立を眼にするといつも心をよぎるかなしみのようなものがある。    あれら鬱蒼と繁った落葉樹の樹々が、何という樹なのか、その一本    一本について、私はその名を知らない。     樹木の自然の形ではなく、根元から切り倒され製材されて材木と    なったならば、私はそれが何という樹であるのか、正確にいいあて    ることができる。指物師である私は、その時、その樹の有つあらゆ    る性質をすら、人の心を読みとるより確かに見抜くだろう。     それは強いられて、いつしか私の身にそなわった過誤の如きもの    なのかも知れない。     名人気質の指物師だった父は、日毎酔いどれて酒くさい息をはき    ながら、少年だった私に、指物細工のきびしさを、時には容赦のな    い拳骨でもって教えたが、思案をとおして人生を凝視め始めた私は、    いつも遠い声に耳を傾け、瞳を光らせて、必ずや他に在るであろう    自己の未来を窺ってやまなかった。併し二十年にちかい刻の流れも    私の星は私をして異なった世界へと導きはしなかった。     いまは病床にあって、月に二三度病院を訪ずれる以外には、絶え    て外出したことのない父が、母が居なくなった独りきりの留守居に    堪えなくてか、いま不意に郊外の工房へやって来て、言葉すくなく、    私の材木を扱う仕事を見遣りながら、何事かに想いを馳せている。    今日台風がおとずれるというニュースがあって、涼しい風が、ちい    さな私の工房を吹きぬけてゆく。それは、いま淋しい眼差しで、私    の手つきをながめている父の心のなかをも吹き抜けているように私    には思われるのだった。                        トップにもどる


      *** 暗  い  絵 ***     わたしのまわりに風に舞う紙切れのようにひらひらしているもの    がある。あれはいつのことだったろう。工場へ向かう電車にのっか    り、つめたいガラスに額をくっつけているわたしは、芸術だの人生    だのと下らないことを考えて荒涼としていたにちがいない。眼が捉    える窓外のけしきは活発なる俗界とでも名づくべき動きであり、ひ    とはなぜかくもあくせくうごきまわるのだ、あたかも蟻かなんぞの    ように、などと考えて車中を見まわすと働きに行くひとびとはとっ    くにいなくなり、がらんとした電車に今頃のっているのは、四天王    寺へ参るばあさん連とわたしだけであった。     その時わたしは、わたしの何者であるかに気づき始めたのであろ    う。胃の腑のあたりがつめたくおもく感じられ、もはや正午ちかい    駅のプラットホームにわたしはころがるようにおりたのである。わ    たしの胃のなかには鉛がつまっているにちがいなく、わたしはそれ    が腸までずり落ちないように左手で押えながら、悪臭にみちた工場    へ行くことを断念、拒絶し、よろよろと美術館にむかったのである。     常設展の人気のない倉庫めいた一室の、かびくさいソファに座っ    て、わたしは佐伯祐三のパリのくらい絵を見ながら弁当をたいらげ    ていた。     夜になってもわたしの何者であろうかという疑問は執拗にわたし    を捉え、胃にへたりこんだ鉛のかたまりは次第に重さをましてゆく    ようであった。わたしはドブロクをあおりながら、わたしの眼に紗    の幕がゆっくりと下ってき、その向うがわでひらひらしたものが舞    いはじめるのをじっとみつめていた。                        トップにもどる






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