東光寺ライブラリー

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モノローグドラマ・ひとり芝居


          
詩   劇



喜 劇/いろはにほへと/山内博之作




 芝居が始まる時というのは、役者にとって非常に不安定な、ちょっといやな、瞬間です。それもひとりで舞台に、こんなふうに出て参りますと、なにかすっと入ってはいけないような、ある抵抗がある、そんな気持です。
 改まった席で、なにかしゃべらなくてはならない時、あなたが、やはりそんな気持になると思いますが、何年、役者をやっていてもそれは変らないわけで、いつもやっているのだから、すんなりやれるかというと、そうではないんです。

 演ずるわたしがすっと入れないということは、芝居を観ていただいているお客さんにい たしますと、迷惑なことなんです。
 役者以上にお客さんのほうが、すっと、ついて行けない、気恥かしい、そんな気持にさせられてしまうものなんです。
 芝居の、その気分にとけこむ、同化する、慣れて、なじんでゆく、そのふんいきに溶かしこむ、そういうふうにしてしまわなくてはいけないのですが、そこまでひっぱってゆくのが、役者にとっては大変なことなんで、もたもたしていると、お客さんが醒めてしまいまして、愛想をつかして、ついて来てくれません。

 なにを演ろうと、まあ、坐っててやるから、しっかりやんなよ、みたいなことになって しまいかねないのです。

 この前の芝居のそのまた前の公演の時に、がらんどうは歌う、というのを演ったのです が、その時は、いまみたいにおしゃべりをやって、やっているうちに少しづつ催眠術をか けさせていただきました。

 といっても、はい深呼吸、はい眼を閉じて、などと言いながらやったのではなくて、こんなふうにおしゃべりをしているうちに、いつの間にか自分のペースに巻きこんでゆく。

 巻きこんでしまえばもうわたしのものなんです。

 わたしのものだということは同時にお客さんのものだということでもあるわけですが、演じるわたしと、喜怒哀楽を共にして、その間は、一緒に生きているわけなんです。


 ところでしゃべるというのは必ず相手があって、聞いてくれていなくてはいけません。
聞き手もいないのにぺらぺらやってる、これは非常に可笑しなものであります。

 これはひとり言とか、うわ言というべきもので、たとえばわたしが電車のなかなどでひとりぺらぺらやったといたしますと、だれもまともだとは受けとってくれません。

 幕があがると、舞台の上に家があって、部屋がありまして、そのあたりにベッドとか椅 子なんか置いてあったりしまして、こっちのほうには壁がないんです。
 ないんですが、本当は在ることになっていて、在ることになっている、壁のない方には、お客さんが坐っていて、その壁ごしに、部屋のなかの人間のやっていることをみているわけです。

 新劇の方では第四の壁などと、むずかしいことを言うのですが、役者はお客さんにみら れていることを意識しないで、まさか壁を意識してる生活なんてのはあり得ないわけです から、わたしが言ってるのは壁そのもののことですが、まあ、あり得ない、ですからお客 さんが見えてても、役者は見えていない、また見られていないふりをして、演じるわけで す。

 なんとなくコチコチに固くなって、ないふりをして、迫真的に、やるわけで、芝居とい うのは、本来、そういう約束事のもとにやっているわけです。
 ですから、柄のわるい言葉で言えば、芝居というのは、みる側にとってはのぞき、とい うことも出来るわけで、もっとわるくいえば、でばかめ、まあ、やめときますが、そうい う一面を持っています。

 何人もの登場人物のある芝居は、まだやりやすいのです、役者にとっては。
 相手がいて、

     宮、今夜のことは忘れるな! 

 などと、やりあえるわけですが、モノローグドラマというのは、そうはゆかない。
 相手役がいないわけですから、下手をすると、落語にもならない。
 落語というのはまことに立派なものですが、わたしなどがひとりでやると、電車のなかのひとり言に近くなる。ですからわたしは、積極的に、みなさんに話しかけて、返辞をしてくれなくてもかまいませんから、されると困るかも知れません、次第に、劇的なものに近付けてゆく。

 気がつくと、いつの間にか、ドラマのなかにひたってしまっている、そんなふうに演ってみたいわけです。


 束の間の短い人生の、貴重なある一日の、ある一夜の、ごくわずかの時間ではあるので すが、ここに、こうしてわたしがしゃべっている間は、あなたと人生を共に生きるわけです。
 ですからわたしはこの時間をとても大事なものだ、かけがえのない時間だと、まじめに、考えています。





 寒い日が続いていて、毎日、土ぼこりが舞っている。
 ろくに伸びもしない街路樹が白々と並んでいて、そこに風が吹いている。
 ぼくは歯をみがきながら、団地のビルの四階の窓から、風がはしってゆく様をみつめている。


 あの道を毎朝ぼくはきまった時間に歩くのだ。
 少しでも単調さを脱れようとするこの団地の設計者の哀れな心根どおり、あの道は複雑に曲りくねっていて、しかも坂道から坂道へと、足のトレーニングにはもって来いだとでも言ってほめておこうか。

 朝はゆるやかな下り坂で、朝めし抜きのぼくは、地球の引力に身をまかせ、最小のエネ ルギーで、駅へと向うのだ。

 駅に向う沢山の足たち。

 朝はけだるく、昼間はあくびをかみ殺し、そして夜が来る。
 団地の夜の道に、沢山の足たちはいない。
 ぼくはいつも酔っていて、酔っぱらうと実にきつい坂道なのだ。
 きまって向い風で、ぼくはうんざりしながら坂道をのぼって歩く。
 団地の白いビルが、牙をむいた風に、吹きとばされもせず、坂のむこうに姿を見せている。

 無人島のように、なにか人を寄せつけないもののように思える時の、あのビルは、ぼく はすこし好きだ。
 だが、窓にはぎらぎら灯がともっていて、その窓のなかに、まどいをもつ家族がいて、 テレビのコマーシャルかなにかを、箸を動かす手をとめてみつめている、そんなことを想 像すると、ぼくはかなり失望する。

 きらいだ。

 ぼくは、ぼくの帰りを待っている者がいない、冷えきったぼくの部屋のことを考える。  ぼくの塒、ぼくの巣、ぼくの死体安置所、ぼくが夜更けて帰りつくたったひとつの場所、たとえばあれは、ぼくのおふくろ。


 ぼくは、ぼく自身が生きてゆくために、この坂道を上ったり下ったりしているわけだ。
 こんなことを毎日くり返していて何になる。
 そんなことを考えるのは、とっくの昔にやめてしまった。

 きみがあの部屋にいたころには。

 きみと過した時間はかなり長いのに、いまのぼくには、それが一瞬のものに過ぎなかっ たように思える。
 きみのことを思い出すと、少しはいまでも、この胸がひりひりと痛むのだ。
 きみはぼくの影であり、ぼくはきみの影であった。
 あれらの時間は、きみと共有していたことによって、確かに存在していた。
 影はたしかによりそって、重なっていた。
 消えてしまうことがあろうなどとは考えられもしなかった、きみとぼくの影。


 波の音が聞こえてくる。
 海はすこし荒れていて、その潮煙を浴びながら、きみは裸足になって海岸の砂浜を駈けている。
 健康な声で笑いながら、きみはひた走る。
 そんなふうにきみは、この砂浜を駈けながら育ったのだ。
 汗を流して、犬のように激しい息遣いをしながら、きみはじっと見ているぼくの許へとかけ戻ってくる。

 病み上りの肺活量の少ないぼくには、そんなきみがひどくまぶしかった。
 あの時、ぼくはほんのわずか、不安を覚えたのだった。

 きみは、明るい陽光のなかを駈けていて、その行為がぼくには手のとどかないほどまぶ しいのだ。いつも陰にいて、ぼくは、こんなふうに、きみをながめていなくてはならない のではないだろうかと。


 丁度、いまのような季節、あれから五年になる。

 ちいさなトランクをひとつさげて、ぼくはバスを降りる。
 そこで降りたのはぼくひとりで、バスが砂煙をあげて遠ざかると、これでぼくは完全に ひとりとり残されたのだと思ったものだ。麦畑のなかに、病院への道は一筋にのびていた。

 雲ひとつない晴れた日で、いっそ、どしゃ降りの雨の日を選べばよかったと思うほど、そのことが哀しかった。始めてこの病院を訪れた、あの日もやはり晴れていたのだ。
 あの日ぼくは、数日前に入院した父を見舞うために、やって来たのだが、その病院で父が息をひきとって、半年もたたないうちに、自分が、トランクをさげてやって来ることになろうとは。
 父の残した、その同じトランクをさげて。

 このトランクと、病気だけが、父がぼくに残していったものの全てだったのだな、とぼくは、呪わしい気持で晴れわたった空をあおいだ。
 待ってるんだなおやじ、間もなくぼくも行ってやるからな。 


 波の音が聞えている。きみのささやく声がする。なにも言ってほしくないのに。
 ぼくがそう思うと、きみは何も言わなくなる。


 病んだ犬がまだらに冒された皮膚に身をくるんで、ねそべっている。
 雨にうたれて、犬はものうい思念を美しく織っているのか。私が近
 づくと、犬は拒絶の眼差しで白く私を捉え、のっそりと生垣のなか
 へ姿を没した。
 あれらは屈辱の日々の始まりであったのかも知れない。むかし、少
 年の私は、あの犬のような姿勢でこの道を歩いたのだろうか。
 灯火管制下の砂漠のような夜、わずかな月や星明りをたよりに、ひ
 とり住いする祖母の家まで、駈けるように急いだのだ。
 戦火に追われて、寄るべのない肉親たちが、私の室を占有し、私は
 祖母に抱かれて、山ふところのちいさな家に眠るのだった。
 B29の爆音や、裏の竹薮を渡る風の音におびえながら、子守歌のよ
 うに、祖母が語ってくれる芝居の話に耳を傾け、私は眠りへの勾配
 をゆるやかにすべっていった。

 肉親との絶えまない相剋の果てに、ふるさとを捨て、転々と都会を
 移ろうごとに、父はとめどなくアルコールに沈んでいった。
 父はいつも私たち家族の先に立って歩くとはかぎらなかった。
 ものを想い始めた不安な季節が私を凝視め、私は、錯乱をよそおっ
 て、演ずること、書くことに触れていった。
 私の中年の男にも似た心は、そうすることによって、暗く燃焼して
 いた。

 死はいつも靄のなかから、不意に手をのばす。
 雨季の、ドサ廻りの旅の宿で、私は祖母の死を告げる母のたどたど
 しい便りを読んだ。私は降りしきる雨脚をながめながら、自らのな
 かに、この雨季にも似た、うっとうしく、埋めようのない空洞がひ
 ろがっていることを知った。
 私はいま、祖母の死から数年を経て、母の苦悩の痕跡を身にまとい、
 ふるさとの地に母の骨をうずめようとしている。
 母もまた、あの非情な空洞を抱いたまま、死んでいった人間のひと
 りだ。

 ふるさとを発ったあの荒廃の日から、二十年の歳月をへだてて、昔
 より狭くなったような気のする道を、私は歩いていった。祖母の住
 んだ家は、昔ながらに、水の涸れた谷川のむこうに在った。
 祖母が植えたという大きな枇杷の樹も、私の記憶のままの形で立っ
 ている。
 野ざらしの巨獣の骨のように、その枇杷の樹は枯れはてて、さなが
 ら一個の化石であった。

 人は何故、自分の生い育った哀しい場所までもなつかしむのか。
 どぼっとした雨の午後で、ふるさとは静かに濡れそぼっている。
 歳月は激しく私を咬み、私の心は暗褐色に荒れ騒いで止まなかった。




 波の音が聞えている。
 あの時、ぼくの詩を聞きながら、涙を流していたきみは、いま、どこにくらしているのか。


 寒い日が続いていて、毎日土ぼこりが舞っている。ろくに伸びもしない街路樹が白々と 並んでいてそこに風が吹いている。ぼくは歯をみがきながら、団地のビルの四階の窓から 風がはしってゆく様をみつめている。
 きみと出会った頃には、ぼくはいつも待っていた。冬眠中のいきものみたいに。
 青春というものに、もし、本当に、喜びというものが、あるいは、生きがいという感情があるとすれば、それはなにかしら、待つものをもっているからなのだ。
 待つものをもっている、どこからか、春がやってくるように、いづれ、なにかが、未知なものが自分のところへやってくる。
 やってくる気配を、心で捉え、想像のなかではそれに触れることだってできるわけだ。 だから、待つ。



 朝、目がさめた時、今日はやさしい感情を抱いていると、自分で感じることがある。
 ひとりきりの、いつもと少しも変らない部屋のなかにさえ、昨日とはちがったものがた だよっているような気がする。
 昨日までの、いらだっていた自分が、嘘のように思われる。
 なにをやっても、うまくいきそうな気がしてくる。
 春を肌で感じ始めた、冬眠中の生きものの充実がある。
 待っているものは、そこまで、もう来ている。
 もう少し手を伸しさえすれば……。


 のりのよく利いた太陽の匂いのする布団にまどろむなどということは、ぼくにとって手 の届かない夢であった。
 だが、ぼくには遠い、かすかな記憶があるような気もする。
 山が近くて、その家では、竹薮をわたる風の音や、谷川のせせらぎが聞こえてくる。
 たぶんあれは、手織りの、木綿の布団であったにちがいない。小さな躯をぼくは深 々と、そこにうずめて、すすで黒くなった天井をみつめている。
 祖母は、内職の奴だこの細く割った竹に紙をのりではりつける仕事をしている。
 一枚完成するたびに、そっとつみ重ねてゆく、紙のかすかな音が、聞こえている。

 風の強い夜、裏の竹薮のざわめき、時折、パサッと祖母の手で奴だこが重ねられる音を 聞いて、おびえて不安な眠りを夜の腕にゆだねられず、むづかるぼくのかたわらに、祖母 は、それとさとってそい寝をしてくれるのだった。
 冷えたぼくの足を、股にはさんで、素肌であたためてくれるのだ。



 あなたもそうなのね。
 だってあのひとたち、あなたのグループなんでしょ。どうしてあなたひとりだけはみ出 して歩いているの。
 きみはそんなふうにぼくに話しかけた。
 じっと見てたのか、ぼくを。
 そう、見てたわ、たまらないわ。
 きみはそう言った。

 雑踏のなかを数人で連れだって歩く時に、みんなしゃべりながら、並んで歩くことがよ くある。ぼくも一緒に歩いているつもりなのに、気がつくと、必ずぼくは、話のなかから も、肩を並べて歩くことからも、抜けていて、うしろを、ひとりでついて歩いている自分 に気がつくのだ。

 その時、ぼくは、自分が、仲間たちとはどこかしらちがっていて、どうあがいても、彼 らに同化しえないものを持っているのだろうか、それとも、気の弱さなのか、ぼくの生い 育ってきた、暗かった過去の故にそうなってしまうのか、考えこんでしまうのだ。
 そんな時だ。きみがぼくに話しかけたのは。

 あなたもそうなのね。

 ひとはみんな、しっかりと足に地をつけているわけではない。
 泡沫のように、あるいは、ひもの切れた風船玉のように、頼りなげな形で、さまよっているのだろうか。
 少なくともぼくは。
 きみもまたそんな人間のひとりなのか。

 さりげなく腕をからませて、ぼくはきみと歩きはじめる。
 どちらからともなく立ち止って、見つめあう。
 衣服を通してかすかに伝わりあう人間の肌のあたたかさを、ぼくたちは認めあう。


 あの夜、ぼくらは、どちらが誘うともなく飲み歩き、共鳴し、そして触れあったのだ。
 稚いぼくの行為を、きみはたくみに誘っていった。
 あれは孤独な人間どうしの欲求がからみ合い、おたがいに激しく求め、なにものかに拉致されていった幻想のような一夜ではあった。

 ぼくはあの夜の、きみとの深い眠りのなかでなにかに眼覚めたのだ。

 だが、ぼくはふたたび眠った。
 眠りとも、眼覚めているともつかないような、薄もやにおおわれた時間を、一枚一枚重ね、つみあげてゆくようなそれは眠りだった。




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