
Fr. Peter Baekelmans, CICM, was born in 1960 in Brasschaat
(Belgium). After studying Comparative Religion (Lugano) and Catholic Theology
(Leuven) in Europe, he left as missionary for Japan in 1990. Strongly committed
to interreligious dialogue, he studied Buddhism at the University of Koyasan and
made a doctorate in Theology of Religion at Nanzan University (Nagoya). He is at
present parishpriest in Tokyo and is visiting professor inside and outside
Japan.
二十一歳のときに私はこんな夢を見ました。私はアフリカの宗教的なある儀式に参列しているのでした。白人も黒人も参列していました。それぞれ供物をもち長い列をつくって谷間で燃えている大きな火に向かってみんな丘を下っていました。だれかに手助けされながら、私も大きなかごにじゃがいもらしいものをいっぱい入れて運んでいました。
しかし私たちが火のところまで来ると、じゃがいもだと思っていた私の前に置かれた人々のかごに入っているのは、乾燥させた血液と砂をかぶせて窒息死させられた黒人のこどもたちの頭蓋骨らしいのです。じゃがいもだとおもって自分が運んでいた供物の正体がなんだったかに気づいた私は、我に返ったとき、かごを投げ捨てて逃げ出しました。思い出すだけでも吐き気を催すようなこの出来事がどのようにして起こったのか、成りゆきの全てを私は見ていたはずなのにそれを止めることができなかったのです。
私は涙をいっぱいためて目覚めました。哀しみと痛みが尾をひいて去らず、二日後にユダヤ人のわが師であるヘンリ・ヴァン・プラーグ先生に話を聞いてもらったところ、それは人類の共通普遍のカルマ(worldlykarma)の、夢での体験なんだと説明してくれました。この苦痛と困難のカルマは民族や国家の集団、つまり民族が背負うカルマなのです。 西欧の植民地や、思想の異なるグループとの軋轢、この場合はアフリカの人々にたいしての西欧の欲望がもたらした悲劇のカルマといえるでしょうか。このショッキングな夢は、思いがけず仏教哲学の世界へと、私を導くきっかけになっていったのです。この夢はそのような人類の世界的な苦、カルマを解消し、宗教や瞑想を通じていかに人類を啓発しなくてはいけないかという課題を私に与えるきっかけになったのです。比較宗教学を専攻するようになった私は仏教を学ぶようになり、知恵にみちた釈尊の教えを体解する仏教の世界はしだいにふかく私を魅了していきました。
目を開かれた釈尊の人生と教え
今日、釈尊は聖者のひとりとして知られています。しかし彼は二十九歳までは、われわれと変わることのない普通の人間だったのです。とはいえけたはずれの地位をもった富裕階級の生まれではあったのですが……。
伝えられるところによると、広大な宮殿に妻と男の子をもつ王子でした。また、父王はあるとき、予言者から王子が宮殿に暮らすならば、偉大な王になりもし宮殿をはなれてしばらくでも暮らしたならば、偉大な聖者になるだろうと予言されました。
まさしく運命の日はやってきて、ある日思い立って釈迦牟尼は馬車をしたてて城内を見聞してまわりました。たのしかるべき見聞のはずだったのが、胸ふたがれる悲傷の経験をする羽目になったのでした。
王子はまずある老人に出会った。よぼよぼのしかも死にかかって苦悶している老人だった。その姿を見て王子は人生にはさけられない苦が存在することを自身のことのように認識した。彼のこころの奥深くやきついた苦の認識は、歳をとり、病みいつの日にか死んで行かねばならないという苦しい思いを乗り越えて、人生を明るく生きるなにかの方法があるはずだと彼は考えはじめたのです。
だれもがもつこころとからだの苦しみを克服する道を見つけたい、と王子は思いはじめたのです。やや端折っていえば、彼は自他ともに避けられない苦を救う道を求めたいという欲求に駆られたのであった。
ある夜、王子は妻と子を残して城をあとにし、森でくらす苦行者たちの仲間のひとりとなったのです。
苦行者たちは極度につましい生活をおくっています。たとえ断食をして死に至るとしてもそれは無上の喜びであり幸福であると確信していました。
釈迦牟尼もそれを信じ、限界まで実行して意識を失ってしまいました。幸いにも農家の娘が彼を見つけてミルクを飲ましてくれて、やがて意識を回復した釈尊牟尼は苦行者たちの苦行法は益なきもの(無功徳)と自覚するのです。
彼は苦行者の群を去って有り余る豊かさでもなく、極限の乏しさの生き方でもない,落ち着いた生き方をさがそうとしました。彼は生きるために行乞し、ひとびとが彼に与えてくれるもので満足しそれ以上は求めなかった。のちに彼はこの人生に処するやり方を中道と呼びました。
三十五歳になった釈尊牟尼は、ピッパラの樹の下に座禅を組み、深い瞑想と洞察の果てについに悟りを開かれた。かれはこのときから仏陀(目覚めたひと)となったのです。このはなしから、のちにピッパラの樹は菩提樹と呼ばれるようになりました。
この場所は現在ブッダガヤといわれていますが、かれはここからインドで聖地といわれているベナレスへと向かい、サラナートの鹿野苑で四諦といわれる最初の布教をしたのです。この説法はかつて森でともに苦行していた五人にむかって、人間の苦についてのべられたものです。
私もたくさんの巡礼を魅了してやまないこの地を訪れましたが、村にはいまも大きな菩提樹があちこちにあって大切にされており、私も菩提樹下に座っての瞑想を体験してきました。五人の苦行者が釈尊の説法を受けて、最初の仏教の沙門となった彫像群が建つサルナートの地に、私はインドのドーティという腰布をつけて佇み、座禅し往事を回想しました。
日本へ宣教師として向かうことになって、途中で私はふたたびインドを訪れ、しばらく私の双子の妹とふたりで、カルカッタのマザー・テレサの貧民窟の仕事を手伝ってきました。ここでのインド体験は、苦の現実体験でもあり学ぶべきことがたくさんありました。私はカルカッタのスラムの道端で、一本の実生の菩提樹の苗木を見つけたのでそっと掘りだして日本へ持ってきました。伸びた枝を挿し木して増やしました。この仏陀のシンボルである菩提樹の苗木はいま岡山市の曹原禅寺と、奈良の近くの真言宗の東光寺の庭で見ることができます。この日本の寺院の(わが良き友人となった)お坊さんたちは菩提樹とともに暮らしていて、そのことを思うとわれひとともにしあわせな気持ちです。菩提樹と仏教とのふかいかかわりについて、思いをめぐらせずにはいられないのです。
【存在は苦である】
菩提樹下に瞑想しながら釈尊には、すべてのいのちあるものは、生きることの困難、苦から逃れられないという実相がますます明確に見えてきました。
なにかを強く求めているときには得ることができず、欲しがってもいないときには手に入ったりする。憎んでいるひとと共にくらさなければならなかったり、愛しあっているひととも別れざるを得ないのが人生というものだ。
泣き声をあげながら産まれてきて、死んだときにもまた嘆き悲しむのである。
病気になったり衰えてきたりすると、必死になってなにかいい手だてはないかと探し回るのだ。
人生は嘆きや、悲しみ、災難、そして痛みなどが引きも切らずやってくる不可避の経験の場にほかならないのではないか。
いまではこの一見あたりまえすぎて陳腐にすら思えるような真理は、釈尊の菩提樹下の瞑想から導きだされてきた霊的な宗教体験の深い意味をもっているのです。四つの尊い教え、四諦といわれるこの真理はほんの四つの教えながら、人間存在のすべての要素を含んだ真理なのです。私の夢のなかの存在苦とでもいうべき経験は超心理学では明晰夢(clear dream)と名付けられているものですが、釈尊のこの四諦を具体的に教えてくれているのです。
ひとが明晰夢のなかで見る存在苦は、現実の生まの体験よりももっと明確な形で体験しているといえるのです。
しかし今日まで、だれかがこのような存在苦の明晰夢を体験しても、西洋では信用してもらえなかったのが普通で、もし話せば一笑に付されるのが落ちなので口をつぐむほかなかったのです。
ひとは一度や二度、自身が意味深い存在苦の経験をしたとしても、なかなか自分自身すらそれを信じようとしないものだ、と釈尊はあるとき述懐しているくらいです。私もまったく同感です。
最初の仏陀の教えは(もろいもの、はかなさ)を軸として伝えられてきたのです。
ものごとには原因と結果(因縁)があって、いのちあるものの行方には必然的になにかが起こり、避けることはできないものです。
きれいな日没に見とれながら、この美しい時間をとめて永遠に眺めていたいというような願望を私が抱いてもかなえられるはずはないのです。
永続する不変のものは人生にありえないのだと知らなくてはならない。
五感がとらえるものはしばしば人間に悲しみをもたらすのです。
親しかった友を失う、年老いてゆく、結婚してわが手から去ってゆくわが子、そしてその子もいずれまたおなじ思いをくりかえすことになるのが、人生ではないか。
これはきわめて自然ななりゆきではないだろうか。なのに人はなぜ自然ななりゆきであることを苦しみとして受け止めるのか。
苦としてではなく、人生に起こってくることをあるがままに受けとめる方法が見つからないものだろうか。
【カルマとはなにか】
釈尊がつぎに明快に解き明かしたことは、私たちの苦の種(原因)となっているものはなんであるのかということでした。
苦の原因となっているのは、総じていえば欲望ですが、愛着、わがまま、気まま、忍耐することを知らない短気、移り気な気質、ひとりよがり,端的にいえば自己中心主義の生活態度こそ苦因であるといわれたのです。
たとえばひとびとはたいてい、富むことこそ幸福なのだと信じて疑いません。
欲望ゆえに、金持ちをみては羨み、あるいは富を失うまいとしてこころを砕き、他人や泥棒などからいのちや財産を狙われたりするのではないかと、いつも用心をおこたれないのです。
これらは欲望に支配され、基本的にまちがったものの見方や考え方にしたがって生きているからだと釈尊は教えたのです。
なかには他人を苦しめ困らせることによって、富を築くひともけっして少なくはありません。他人を苦しめて富を築くというような悪いカルマを積めば、このカルマはやがて自分の苦しみや困難という報いとなって返ってくるというのです。たとえば、牛の大群のなかで迷った子牛が母牛をまちがいなく見つけるように、悪因をつくれば、悪果となって身の上にふりかかってくるのは必然だという考え方がカルマ(業)のとらえかたです。
仏教がカルマといっている苦は、私たちが自分の反道徳的な行為や、自己規範をもたないでたらめな生活態度に気がつかず日々をおくっているために生まれてくるのです。
仏教を学びはじめていままでまだ 私の夢体験の (worldly karma)人類のもつ業に充当することばに出会ったことはありませんが、独断的にいえば、キリスト教解放神学がいうところの組織的罪悪のようなもの、ひとびとが集団になったときに無意識的に犯してしまう
群集心理の作用のようなものをworldly karmaといえそうです。
私の夢を思い返してみると、白人だけがいけにえにした人間を運んでいたのではなかったし、そのことは私になにが正しいのかをも考えさせてくれるのです。悪行からでさえも正しいこととは何であるのかということを学べなくはないと思うのです。
こういう解釈をすることが、仏教が倫理について教えようとしているやり方のように私は考えています。
キリスト教では、私たちは苦といえば現実の罪ということを連想するのが普通です。 もちろんあらゆる苦が罪でありカルマ(業)だというわけではありません。あるひとは、責任を自覚できる(意識的)ようなことがらから発生した苦については罪であるとし、カルマの苦はなにも自覚なしに(無意識)おこなって生じたものをいうと考えています。
悲劇は罪と対置するものであり、キリストの受難、十字架による苦しみは悲劇であってカルマとはいえません。受難はわるい行為の結果からもたらされる類いの本人の責任をともなわないものですから、カルマによる苦ではなく受難であると位置づけることができるのです。
仏教徒たちが、カルマの桎梏から解放されてよき人生を送り遂げられるように努めるように、クリスチャンはキリストの受難、十字架のもつ意味についていつも考えつづけるという課題を背負っているのです。クリスチャンがもし十字架の受難のもつ(意識的)意味とカルマ、業のもつ(無意識的)との差違ををきちんと自覚し理解できなければ、受難を単にカルマのように解釈してしまいます。
苦ということばはヒンヅーや仏教では、カルマと一体にとらえて業苦といういいかたをされています。
仏陀によるanatta非我(無我)の教えの目的は、自己中心的な無自覚な人生のありかたを変えさせて真人たらしめんとするところにあります。
私もこの一個の肉体をもった貧しい自己から脱皮してもっと豊かな、宇宙と一体である自分を感じられるよう自分を育てなくてはならないのです。仏陀が説いた空(sunyata)という境地に到達して、自己の存在(いのち)が生きている世界(環境)と一体であるということが自覚できるように励まなくてはと考えています。
たいていひとは、ほんとうに必要で大切なものがなんであるのかをわきまえず、手近の欲望や愚にもつかぬことどもに支配されて暮らすのです。
他人を苦しめたりして苦因をつくると、いずれその苦因が自己に舞い戻ってくるというカルマの作用は、あらゆるものはすべてのものと関わって影響しあっている(縁起)からだと教えています。いろんなタイプの自己中心主義(エゴイズム)がありますが、信仰に生きようという立場になって考察すれば、どれもゴミかほこりのようにとるに足りないものです。バラモン教のアートマン(atoman、我、自己)に対する仏陀の批判的な見方はここから出てきているのです。仏陀はバラモン教の僧たちが自身のよりどころにしている基本の概念、アートマンを間違った概念だととらえて、(anatman、非我、無我)の概念、無我観をうちたてたのです。
【われわれは救われる!】
人生は苦であり、カルマ(業)は人生における苦と輪廻転生の種(原因)であり、われわれはカルマを自己のなかに抱え込んでいるかぎり、カルマのつきるまで苦の人生を送らなくてはならないのです。
仏陀は四諦の第三の教えを実践すれば、カルマを克服して苦を離脱した救われた人生を送ることができると明快に説いているのです。しかしカルマの因縁を超克して揺るぎ無い生活にはいる信仰を軽視するひとびとが多いのです。
つまりはひとびとは精神が充たされるような生活、涅槃とか悟るという精神生活を、ゆたかな生活だとは考えないからです。
釈尊が菩提樹の下で悟りを開いた(涅槃に達した)ときの精神のありようは、カルマを滅し、欲望や愛着を滅し、エゴを越え、生や死という苦も溶けて消えてしまうような無上の歓喜に満ちたものだったのです。
釈尊はこの歓喜の涅槃の境地を、苦海に呻吟するひとびとに伝えようと、爾来自身の肉体が燃え尽きるまでの45年間の長きにわたって伝道に努められ、輪廻の苦海からはなれた世界へと寂滅されたのでした。
だれもがブッダ(悟ったひと)になることができるし、涅槃の世界へ入ることができるという方法論、思想によって仏教はいまも活力ある信仰の力をもっています。
クリスチャンが、信仰の精髄ともいうべき、神の王国へはいるためにひたすら努力しているのと似ています。また同様に俗界のあらゆる欲望を放棄して悟りの精神世界に生きようと発心し、仏の弟子になったひとを仏教の僧侶というのです。
禅の仏教では、他力というおおきな仏の崇高な恩恵にあずかるために、単に自分一個が悟りを開く自力の涅槃の世界を拒絶すらするのです。
【八正道の教え】
四諦の第4の教えは、人生の苦からの離脱をはかり、喜びにみちた人間生活を獲得する中道と名付けられたもので(苦楽・dukkha-sukha)、八正道ともいわれる仏教の方法論です。
人間はカルマの法則に気づくまでは、他をかえりみない救いがたい生活を送りがちですが、ひとたび仏道に目覚めれば、貧富とか損得、しあわせとか不幸とか、愛しているかと思えばたちまち憎しみに変わってしまうような揺れやまないこころを、安定した気持ちにしようと努力するようになるのです。
苦を克服するための実践方法として、仏教では中道のありかたと瞑想とをひとびとに教えます。
仏像はそれを実践している姿をあらわしているのです。瞑想しているみ仏の尊顔はかすかな微笑と悲哀や慈愛をもふくみ、見るものにこころの平安や安心を与えてくれます。
瞑想はこころとからだの均衡をはかる修練の方法であり、苦から解放されて、バランスのとれた人生を送れるよう自分を修練していくための簡易ですぐれた教えなのです。
瞑想を通してわたしたちはこころにいい刺激を受け、洞察力が鋭くなり、人生の悪弊の善し悪しを見抜き、自己の信念にふさわさしい生活力を身につけることが可能なのです。瞑想によって獲得されたこのような内面的な力を仏教では(prajna)般若・智慧というのです。
仏教の瞑想で深い智慧を得て善悪を判断できるひとは、瞬時にカルマの認識ができて、敬虔なクリスチャンが罪を許されるようにカルマの法則に捉えられることはありません。
瞑想がカルマを焼き尽くす火であるといわれるのはこのためです。瞑想はカルマから人間を解放する仏教徒の基本とすべき修練の儀式なのです。
しかしカルマを自覚しながら意に関せず、平然と罪をおかすひともいます。またこどもはおとなが犯すような過ちをおかしたとしても、大目に見られておとな同様にはとがめられることはありません。
最初に書いた私の夢の意味を考えると、世界を吹き荒れたマルクス主義の唯物思想を背景とする時代に生きている私の西洋人としての存在自体が、兄弟姉妹であるはずのアフリカの人々の大きな苦の原因(苦因)になっているといえるのです。
そういう自覚を私にもたらしてくれるのが瞑想であり、瞑想はあの思い出したくもないような悪夢から私を解放してくれたのです。私の捧げもっていた供物がなんであったかとか、夢とはいえあのような儀式に参加していたという悩みからも解放されたのでした。
かくて怠惰にも眠っていた自分に気づかされ、正しいこととはいかにあるべきかを見抜こうというようにこころが働きはじめたのです。
こう考え始めると、一杯のコーヒにも、バナナ一本にも、それを作るために貧しい国のひとびとが抑圧を受けながら働かされているということに気づいたのでした。私もなにかをしなくては!
独占資本によって私たちにもたらされる数々の商品を生産している、貧しい国のひとびとはまるでむくわれず毟(むし)られっぱなしになっているのです。
私は宣教師になることを志し、同僚とともに貧しい恵まれないひとびとのために働き、質素なくらしを送りたいと痛感したのです。
そして低開発国のような貧困に直面することにはなりませんでしたが、日本へ派遣されることに決まってやってきたのでした。
日本には貧困や悲惨がなくても、自分の心に誓った決意は貫いていきたいのです。
世界苦(worldly karma)は簡単に解消などできるものではありませんし、自分が見いだしたものに向かって、努力しなければならない原罪を私たちは背負っているという自覚を失ってはならないでしょう。
釈尊はベッドに寝転んでいて悟りを開いたのではありません。菩提樹の下で蓮華座という座法で結跏趺坐をしながら瞑想を深めていかれたのです。ロダンの彫刻の考える人のようなポーズをして瞑想している釈尊が描かれた絵もあります。
瞑想というのはどのような姿勢であっても、人生に本当に必要なものが何であり、理想的な愛のありかたや、欲望の持ち方、なにを信じるべきか、などについて深く真剣に考察して、人生の本質を知ろうとすることが肝心なのです。
つぎつぎと次元の低いカルマを生み出さないように生活を送るためには、正しい見解、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想、ができなくてはならないと釈尊は説かれたのです。
これが八正道といわれる教えです。極端なことをさけて調和をはかることの教えなので中道ともいわれています。
迷ってばかりいるばらばらなこころは苦をもたらし、信ずべき正しい道を知ると喜びに充ちた人生がもたらされるのです。
「この道を行けばすぐにも喜ばしい人生がはじまるだろう。この道は生涯もはや揺らぐことのない調和と豊かさをもった人生をもたらすだろう。」
これは平和と健康を望む人々に対する、釈尊の仏教への喜ばしい誘いの言葉ではないでしょうか。
【新しい仏教の展開】
これまでは釈尊(在世の頃【原始仏教】)の説法内容を述べてきました。どうすれば業(カルマ)の深みにはまらずに生きることができるか、という解決法が中道の実践活動(瞑想)にあるということが教えられました。瞑想することは、いま抱えている業【カルマ】を浄化して、真に自覚をもった精神【涅槃】へと導いてくれる教えだといえます。
釈尊の死後【仏滅後】、涅槃、悟りを開くことについていくつも違った教え(解釈)がでてきました。
悟りを開くということの大切さはわかりますが、共に生きていくひとびとのいのちに対する愛や共に苦しんで生きて行くという気持ちもなくて、自分一人が努力して悟りに到達できればいいというものであっていいだろうかという批判的な見方などです。
こういう問題意識からより社会性をもった、新しい仏教運動の波が起こってきたのです。
この章では仏滅後、仏教にたいして新しい運動の展開がどのようになされてきたのか、というにことについて触れるつもりでいますが、浅学ですからとてつもなく膨大な仏教の伝統についてのべるには限界がありますが、大乗仏教といわれているものと、密教について自分なりに掴んだところを書いてみようと思います。
こうした仏教を知る手がかりとして釈尊の三人の弟子のことから始めるのが分かりやすいかと思います。
釈尊の教えや息吹を伝え、いまなお尊敬されている卓越した有名な弟子たちのことと、私自身が仏教を学ぶなかでいままでに出会ってきた三つの仏教の世界のことを述べようと思います。
これはたぶん読者が原始仏教から発展してきた三種の伝統仏教を理解するうえでなんらかの手助けになるだろうと思います。
釈尊の筆頭の弟子はかの有名な知恵第一といわれたシャーリプトラ・舎利弗(舎利子ともいう)です。
智慧(vidya)を獲得する勉強は初期仏教(テラワーダ、かつては小乗仏教と呼んでいたが貶したいいかたであることからいまは使われない)の僧侶の中心課題だったのです。正しい知識や智慧は誤った考え方から生まれる苦の原因(無明/avidya)を解消してくれる眼目だからです。
初期の仏教は、発心したひとが敬意をこめて阿羅漢(ブッタとはいわない)と呼んでいる悟った著名な先輩たちのように、家を捨てて仏弟子すなわち僧侶となって修行をし智慧を獲得するための宗教だったのです。
かなり閉鎖的に思えるかれらの生き方は現代の禅の仏教に似ていますが、禅宗というのは厳密にいえば大乗仏教 (Mahayana Buddhism)を母胎として生まれてきた仏教で初期仏教とは異質です。
釈尊は菩提樹の下に蓮華座に座って悟りを開いたのですが、禅宗ではこの釈尊の瞑想方法を座禅といっています。座禅は禅宗の僧侶にとっては日課なのです。座禅はふつう数時間にわたってつづけられ、一晩中座りつづけることもあります。
私は岡山市に近い禅寺で短期間ですが座禅の指導をうけました。この座禅で禅宗の僧侶が苦しみを乗り越えていくことの苦痛を私も経験しました。
夏にはむしむしする暑熱のなかで長時間座らねばなりません。背中を流れる汗をものともせず座禅しているからだに蚊がおそってきます。
冬がきびしいのはいうまでもありません。からだのあちこちが凍えてきて、ただ寒いという自覚以外なくなってしまいます。人間は生理的に楽なことを欲求しているからにほかならないからでしょう。
しかし、早朝に行われる禅寺の庭の作務と勤行のお経を朗々と読誦することと座禅と組み合わせられて、身体と心は、あたかも猿のように自己本位にとびまわりたい、いままでの自我を制御できるように強化されてくるのです。
岡山の曹源禅寺での作務は,たとえば便所の掃除のように,だれもが嫌がるような作業を丁寧にすることが課せられ,努力しながらそれをこなす経験を経ていくことで,我を押さえることができるようになってくるのです。禅寺の導師は弟子に,より好みしがちな我をへし折るようにこのような課題を与えて,弟子がすこしでも楽にやっていこうという生活態度を身に付けていることに本人が気づくよう仕向けていくのです。
禅宗で弟子に与えられる,一見すると論理では割り切れない,謎めいた公案や問答の課題も,自我中心の人間の心を目覚めさせる役割があるのです。ここで獲得させようとするのは好き嫌いも二元論も越えて,相反するものを結合し納得する心のはたらきなのです。
初期仏教や禅宗の重要な特徴は顧慮する能力,注意力の涵養なのです。
常に自分のすることについて自覚をもっていなくてはいけないのです。
曹源禅寺には,気遣いについての大切さを教える有名な珍しい絵図が伝わっています。
その昔,和尚さんが弟子が洗い物をした廃水を,庭の植物にもやらないで,下水に流しているのを見て,たとえ水一滴といえども,無駄に捨てないで植物にあげればすこしの無駄もなく役に立つばかりか,ともに貴重な命の支えともなるのだ。水も植物もそのようにあつかわれる権利をもっているのだと厳しく叱りつけたのです。
こうした師匠のなにごとにも配慮する心からでてきた叱責が,弟子のより奥深い精神を涵養することに役立つのです。
こうした経験をいくつも重ねているうちに,弟子たちは自身もまた世界の存在の一部分であることを気づかされ,隣人の苦しみもわがことのように受け取められる精神が芽生えてきます。
これは自身を愛するように隣人を愛しているといえないでしょうか。
曹源禅寺の原田正道師は、岡山でひらかれたキリスト教の修道士たちとの対話で、こうした禅の立場を明確に説明していられました。師はひとびとにそれをいつも説いていられるのです。
あなたが座禅をはじめたとして、なにごとにも思慮深くなくてはいけないという自己の在り方に気づいたら、座るという形だけの座禅からこころを練るための座禅へとすすむのです。
座禅によって内面的に成長し自我を克服できたとき、ひとはこの世に有用な存在として自在に働き生きることができるのです。
キリスト教においては、聖職者は隣人を愛し奉仕することで、自己主張しがちな自我を克服するようにしています、とそのときに私は発言しましたが、それがクリスチャンのやり方です。
聖職者というのは、神がかくあれかしと計画している意志を、具現するために務めるひとのことをいうのです。
キリスト教の信者は自身の職業を持っている場合には、慈善事業にたずさわりますが限度をわきまえて行います。職業をもつことは、社会のなかで自分が果たさなくてはならないクリスチャンとしての役割をわきまえていることを意味しているのです。
私は自己の在り方に気づくことの重要さという仏教の考え方は、自分の天職を見つけること、というキリスト教の考えと同じだと思いますと発言しましたら、和尚は同意してくれました。
このように多様な異文化のなかに共通点を見いだすことはとてもこころあたたまることです。
私が参禅を重ねながら大乗仏教を勉強していくなかで、人間が積極的に社会とかかわって生活していなければならないという仏教の思考方法は、世界のどこにでも通用する普遍的な考え方だという認識を持つにいたったのです。
【大乗仏教】
仏陀の最愛の弟子は、いつも影のように仏陀の身近にいた甥の阿難でした。
阿難は仏陀を尊敬しともにだれよりも信頼しあっていたといえるでしょう。
大乗仏教は仏陀にたいする崇敬が主流となっていました。
原始仏教が自己努力を強調したように、大乗仏教では敬愛する仏陀への愛と帰依を強調するのです。瞑想する仏陀のゆたかな表情が弟子たちを導いていったように、のちに阿弥陀仏として仏陀の精神を人格化した慈悲を表した仏像は、眠れるひとびとの内奥にひそむ愛のこころを呼び醒ます経験をさせるのです。この経験は仏教哲学的には、空虚とか空とか呼ばれている世界への気づきです。慣れないうちはこうした概念はなじみがたい無縁のものに思えるかも知れませんが、やがてはなんと正しく、奥深く、暖かい血の通った思想だろうかと理解するようになるでしょう。
チベットの僧侶、ソギャル・リンポチェは「空」についての経験を次のように書いています。
「私の師は、いままで私が想像したこともないふしぎな体験をさせてくれました。
師が突然わたしを抱きかかえると、わたしはかるがると大地から足が離れて持ち上げられていました。そして師はわたしの頬にこころのこもったキスをしたのです。わたしのこころのなかに
はいまもって忘れることのできない、限りないやさしさと、あたたかさ、深い信頼感、そして力強さがみなぎり、それに包まれているという完璧な充足感がみなぎっていました」
似たようなことを、ヒンズーの指導者スリー・ガナパティーから私自身も経験させれたことがありました。彼はそれを(Jesus-hug・イエスの抱擁)といっています。
西洋の観点から書かれた空に類似する記述としては、ルドルフ・オットーの(The Sacred・聖)という本があり彼は(完全なる他者の超自然の表意)だと記述しています。
【なぜ大乗仏教というのか】
仏教は、すべてのひとが苦という海路を横切って、喜ばしい悟りの港へと入っていけるように誘っているのです。
初期仏教は大乗仏教とは反対の、個人の解放を強調する立場をとっていました。だから大乗(大きな船・乗物)仏教という呼び方にたいして、小乗(小さな船・乗物)仏教と呼ばれていたのです。
大乗仏教の仏教徒は、菩薩( bodhisattva・人々を救済することを自分の修業と自覚して働く立場のひとを菩薩という)として世界で働くことによって彼自身のニルヴァーナ(悟りをひらくこと)は二の次にするのです。
仏陀でさえ、菩薩として人々を自由にするために献身的に働き無数の仕事を達成したのです。 仏陀は多くの生命のための菩薩でした。
私は、台湾で現代の菩薩に会う機会を持ちました。
彼女が働いている場所では、私はカソリックの慈善組織のそれに非常に近い精神性を持った大乗仏教のかくあるべき活動を経験しました。
チェン・イン老師(Cheng Yen・仏教の修道尼)は、台湾の全土にわたる(ズ・チ仏教・Tzu-Chi)の救済組織の創設者であり指導者です。
彼女の母親は、奇跡とうわさになるような癒しを行っている、大変熱心な阿弥陀信仰をされているひとで、三人のカトリックのシスターと知りあって激励をうけ、貧しく苦しんでいるひとたちを救わなくてはいけないとそのころ考えていました。
チェン・イン師は5人の門弟と、寄付を集める小さい竹篭を作ることから活動をはじめていたのです。
彼女はまず近所の30人の主婦に竹篭を配って、毎日50セントを彼らが作った篭に入れるよう頼み、集まったお金で、彼女は貧しい家族を助けようとしました。
「月に一度まとめて15ドル贈与してもらうのがより簡単ではありません?」と母がチェン・イン師に尋ねたら、「いいえ」とチェン・イン師は返事をしました。「あなたがもしも月に一度まとめて贈ったとすれば、あなたは月に一度だけ善いことを経験するだけでしよう」と。
このはなしは、彼女の指導が、よい働きというものは効率だけではないのだ、ということを教える、基礎的な大事な問題を示しています。
小さくても善行を積み重ねることは、こころを豊かに養うのです。
これは、組織に加わった300万人のメンバーの経験です。
チェン・イン師は、仏教界におけるマザー・テレサだといえるでしょう。
ある日、私はチェン・イン師にお目にかかりました。
チェン・イン師が、弟子をつれて、彼女が創設した仏教の病院に収容されている患者や、貧しい収容者を見舞うのにお供させてもらったのです。
この病院のきわだった特徴のうちの1つは、ボランティアが中心になって病人の世話をしているということです。病院に足を踏み入れたときに、私は壁のモザイクがとても印象的でした。
はじめはイエス・キリストの絵ではないかとおもったのですが、それは釈尊が弟子のひとりを治療している図柄でした。
そこの病院施設では尼さん達は野菜を栽培し、ロウソクやピーナッツ粉を製造しそれを売って自活しているのです。
ここでは全ての寄付は、慈善の仕事に費やされているのです
私は2週間、『毎日の糧』を得るために、彼らとともに日曜日も働きながらそこに泊めてもらいました。女子修道会での滞在の終わりごろに、私はチェン・イン師に仏教にとって最も不可欠な教えについて尋ねました。
チェン・イン師は、慈悲、つまり同情するこころを持てることが、最も本質的な教えであるといっていました。それは、普遍的な愛のキリスト教の授えと同じくらい重要です。
同情から起こってくる一貫した実行は、ひとが想像するほど、簡単ではありません。
私は自分が同情を寄せるような対象にたいして、実際に行動できていないということが、恥ずかしくてなりませんでした。
ある日のこと、寺院で座っているとき、反射的に蚊を叩きつぶしたことがありました。私は、床に流された血の量に驚きました。尼さんがいぶかしげなまなざしで、それを眺めていたのです。なんと恥ずかしい行いだったろうか、と消え入りたい思いがしたものです。
またある日、私はたくさんの若い修道女と庭で働いていました。
そのとき私は地中から掘り起こした大きい虫を、誇らしげに見せたところ、彼女らは、すでに、私がどれくらい危険人物か知っていました!
1人の修道女が、あわててに虫の救出に来て、ていねいに地面にそれを埋めました。
私には生き物のいのちにたいする慈悲心が不足していることを、痛感せざるをえませんでした。
大乗仏教は、大きく深い慈悲心がいきとしいけるもの対して表されなければならないと教えているのです。
しかしながら日本では、一般的には仏教の慈悲の実行は、ほとんど故人の霊を弔うことが中心の、高価な葬式サービスの仏教に成り下がっているといわれています。
【密 教】
第三の仏教の形式はチベットと日本に見られます。
チベット仏教はいまでも外国人からはしばしばラマ教と呼ばれています。指導者はインドに亡命中のダライラマで、世界的に知られ尊敬されています。
この仏教が密教(バジラヤーナ、金剛乗ともいう)といわれているものですが、堕落した仏教などと批判的にいわれることもあります。密教は有名な釈尊の弟子で不思議な能力を持っていたといわれている目連のように、いろいろ超能力を駆使したりするといわれるところから、大乗仏教と上座部仏教の人たちは、密教については正統な仏教だとは容認したがりません。それは釈尊が加持祈祷などの不可思議な力について、否定していたと信じているからです。しかし最近の研究では、この見解は疑問視されています。
目連が超能力をもっていても仏弟子にちがいないように、密教は仏教にまちがいないのです。
日本では、密教の聖職者はおおいに発展的で、彼らは結婚しますし、肉を食べ、お酒を飲みますし、彼らの戒律がそれほど厳しくないことをむしろ誇りにさえします。
かとおもえば、真言宗は僧侶になるための修業にさいしては厳しい禁欲主義を実行することでも知られています。
この逆説めいた禁欲主義の実行を貫く修業方法こそが、密教の不思議なパワーを得ることに不可欠なのだと、修練を経てきた密教行者は考えているのです。
彼らは、密教の秘法を使って、水の上に歩くことができることや 、病人を癒やすこととか、雨を降らせることとか、嵐を静めたりすることができる、超自然のパワーの存在を堅く信じています。イエス・キリストが行ったとされるさまざまな奇跡の話は、現代の神学の中ではたびたび言い逃れをされているのですが、密教の僧侶のものの見方からいえば絶対に説得力があります。
さらに、仏教のいろんな経典には、仏陀と菩薩についての奇跡話があふれているのです。もちろん西洋の多くの仏教学者は、これらはオリジナルの経典でないと主張しています。
世界の学者にとっては単につまらない奇跡話としてしか理解できなかったのです。私にも仏教のひとつである密教に触れて理解できるようになるまで、かなり時間が必要でした。
多くの他の西洋人のように、私も洗練された仏教哲学の『無神論の宗教』として理解した仏教に魅惑されていたからです。私は、その仏教の形而上学の印象がつよかったために、不可思議で、超自然な呪術や秘法にみちた密教世界のチベット仏教をなかなか理解することができませんでした。10年前、には私はまだ密教のような複雑な世界に遭遇するのを恐れていました。
あるとき真言宗の本山である高野山で、若いヒンズー教の師スリ・グルマイ(Sri Gurumayi)との幸運な出会いがあって、それが私の仏教の理解を変えてくれたのです。
彼女から、密教が奥義に達した仏教の教えの本質であると理解させてくれる経験をあたえられたのでした。
この経験をする前には、私は奇妙な両手の組み合わせ(印を結んで)で瞑想することなどはなにか自然でないと思っていましたが、現在は、人生における最も自然なもののひとつとして身に付きそれを体験しています。
数年前のこの高い霊性をもった女性との遭遇の後、私は仏教を理解するために高野山大学でより深く勉強する機会に恵まれました。
私は ― 私にできること ― 私にわかること― どの方法がより豊かな人生を築くことに貢献できるだろうかと、キリスト教徒としていつも課題にしているのです。
特に、加持祈祷などで密教が発揮する力について研究し理解を深めたいものです。
彼らは行法や瞑想の過程でどこへ訪れるのか?
古来印度のヨーガ哲学の時代から、現在まで不思議なパワーが瞑想によってはたらいたことや、果たしてきた役割を調べることは、おおいに価値があると私は思います。
私は不思議な力が瞑想ではたらくことは、間違いないと思いますが、だからといって、それによって彼らが必ずしも涅槃(ニルヴァーナ)という、仏教の究極の目的が達成されるというわけではありませんが、真言宗の開祖である弘法大師空海は、乾ききった大地に恵みの雨をもたらしたり、病人を癒したり、死んでしまった人や動物の魂を慰めたりするために密教の力を駆使することを、よしとされたのでしょう。
しかし、真言密教の力は、悟りを得るためにもちいられることを第一義にされているのです。
私は密教徒を、空海の教えと実践行動が一致した奥義に達したものとして解釈していますが、間違わないで理解できているように望んでいます。
物事を正しく理解するためには、研究対象としたものを観察するだけでは分からない部分があり、たとえ短期間で部分的であっても、みずから体験することが必要だと思います。
だから私はしばらくの期間でも、高野山の修行道場で修行体験を試みる計画をたてましたが、まだ決心がつかないでいるのです。
すこし怖いという気持ちがあり、ことに頭を丸めてしまうということが、決心をにぶらせるのです。おおきな目的に到達するためには、時間のかかる乗り越えなくてはならないたくさんの課題や付随するこまごました問題も解決しなくてはならない。
そこで私は山内宥厳師のご好意に甘えて、自由に使わせてくれている奈良県桜井市の真言宗の東光寺にある磐余堂という瞑想道場でたびたび密教禅をこころみているのです。
東光寺の磐余堂には、たくさんのネパールタンカと秘仏本尊としてチベット密教の法身普賢がお祀りされています。
この瞑想堂は東光寺にお参りする敬虔な信者さんによって、立派に再建されたものです。
私はキリスト教という、仏教とはまるでちがった立場の宗教を信ずる人間ですが、こうした出会いを契機により良きものを獲得したいと考えているのです。
聖パウロのことばを思い出します。
(あらゆることを試してみて、善いことを自分のものにしなさい)
【結 論】
仏教の『四諦』の教えの背後には唯一無二の真実があります。
私たちの苦しみは、私たち自身の考えと行為にその起源があること。
私たちは、その事で他を非難することができません。私たちは、最初にこの種の苦を認識することによって、私たちのカルマを解消しなければなりません。
私たちは中道という道を歩み、よい行為を実行することによって、新しいカルマの生成を止めることができます。
さいごになりましたが次のこともとても大切なことです。私たちは瞑想によって、残っているカルマを解消するようしなくてはなりません。これができたならば私たちは本当の存在(真人)、「仏生」となる。本当の姿を獲得すれば、もう変わることはないのです。
ほんとうの存在(実体)というよりも、むしろ純粋な活動の姿(実在)であり、ニルバーナ、涅槃なのです。
それからは、新たなカルマはもうつくったりはしないのです。私たちは仏陀の法にしぜんと添って本来の道をあゆむことになるのです。
こうして私たちの古きものを見ていた目は涙が乾ききって、あらたなものを見る目が誕生するのです。悪夢は終わりを告げ、世界は空によってみたされ、生とか死の怖れは払拭されるのです。
この得難い真実に教化され、私たちは仏陀の宗教のコミュニティ、僧伽(サンガ)の本当のメンバーになります。
すべての仏教徒は、仏陀、佛法、僧伽、の三宝に帰依することを常に誓っているのです。
私は(それぞれ違っているように説明されている)各宗各派の偉大な仏教の伝統の中で、仏陀、佛法、僧伽、の三宝の真善美を垣間見、経験してきました。
個人的にたくさんの生きている仏陀(仏教の僧侶たち)に出会い、釈尊は私たちのあらゆる立場を越えた人類の師であることを自覚して、崇高な理念を具体化する異教間の対話になんら障壁はないことを学んできたのでした。
【おわり】
【訳者のあとがき】
英語読解力不足の翻訳を続けて、なんとか終点までこぎつけました。ペテロは今年(1998年)春力作の卒論を提出して、高野山大学院をつつがなく卒業し、3月21日には助祭叙階式を終えて、いよいよ聖職者の道を歩みはじめました。
磐余堂(いわれどう)での瞑想も、あまりやれなくなりそうです。今回連載した英文はEUNTESというドイツ語やフランス語、英語の論文が混在する世界に散らばって活躍する神父や宣教師のための冊子に掲載されたものです。
冊子をくれるとき、「宥厳さん、むずかしいでしょうか」とペトロが危ぶんでいたので、どの程度ぼくが彼からもらったものを読めてるか、試してみようかといってやりはじめたのですが、楽には訳せませんでした。いい加減に英語を読んでいたことを痛感しました。勉強になりました。ありがとう。
【宥厳】