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宥厳詩集 山内宥厳
------ 目次 ------ 1 ダウラギリ 2 転居通知 3 雨季 4 恒河 5 掌 6 スートラ 7 風(2) 8 ネパールで 9 戦争と平和 10 パンと詩と 11 雀の宿 12 はじめましょう 13 黄昏の人 14 枯れる 15 こころ 16 攻撃するひとされるひと 17 時間の質について 18 パソコンと 19 五十年 20 五十年 21 森のなかに 22 あたらしい春です 23 どこからくるの 24 かぜをひいて 25 ひろげる 26 よみがえる 27 破船 28 満月 29 the Voice 30 虫 31 雨月 32 誕生仏 33 地の網 34 風さけられず 35 タムタムタム 36 いちまい 37 ドウイウモノニ 38 大寒 39 細道 40 成就 41 あしもと 42 蛍 43 むこうの空 44 風 45 育てる 46 たまご 47 つぶやく 48 痩せる 49 頌春 50 普賢 51 月 52 埋もれて 53 放つ 54 遠い火 55 幻橋 56 聞こえる 57 日が暮れるとき 58 蛙 59 謎めいた花ことば 60 はじまる 61 それから 62 耶馬渓にて 63 チェーホフ 64 くすのき 65 枯菩提樹 66 蒼空のかなたに 67 酸っぱい 68 明日もまた 69 いずこへ 70 だれが 71 足すことも 72 地をわたる 73 暮れゆく空を 74 海原に 75 かつて 76 文明の 77 窓 78 地平線 79 カップル 80 不滅 81 流れる 82 NOTE 83 沼 84 ポケット 85 twenty nine 86 水 87 失われた音楽 88 それはちがうよ 89 寒月 90 満月 91 ことば 92 オガタマノキ 93 南島にて 94 せみしぐれ 95 零からはじめて 96 よみがえる 97 新世紀へ 98 めし 99 こもれび 100 鵯(ひよどり) 101 ズボン 102 神話 103 猫と菩提樹 104 冬景色 105 ちょっと春 106 みんな夢のなかで 107 クルー渓谷 108 ヒメダカ 109 哀れ蚊 110 写真 111 クルー渓谷で 112 紅いほほに 113 さくら 114 一夜 115 歌 116 雨 117 虫たちとのコラボレーション 118 影絵 119 眉山 120 あまから 121 ドングリ 122 夢時間 123 旅・夢時間 124 五鈷杵 125 楽健新年 2010年元旦 126 127 128 129 130
宥厳詩集 山内宥厳 ダ ウ ラ ギ リ ぼくは五度もそこへ訪れて 目路の限り探してみたけれど まっ平らなルンビニーの平原と タライの密林のかなたに ヒマラヤ山系は望むべくもなかった 佛陀生誕の地から ヒマラヤは見えぬ ぼくは結論した ある日 カトマンドゥのホテルの壁に ルンビニーの園から ヒマラヤ山系のばっちり写った 旅のポスターヲ見付けた あの山は とスマンガラ師に問うと ダウラギリだ とこともなげに言う 軽々に結論を急いではならぬ ことし十月の終る頃 ルンビニーの夜空を見上げていると 不意に停電して 満天の星と競うように 空にも地にも 螢がとび交っていた トップにもどる転 居 通 知 満開の桜の花を尻目に おとこはひとり山へ登っていった ひと月 おそく やっと桜の花が開いて 経読み鳥のホーホホケキョを耳にしながら おとこは 両手両足にしもやけをいっぱいこしらえ 閑林独座す草堂の暁 にふけっていた 霜ぶくれた指に触れる数珠の痛さ 口には真言 頭のなかは雑念の嵐 もぐら叩きのもぐらたちのように 明障子の内側から すっくと立ったり座ったりの百八禮 日がな九時間をこえる読経三昧 かくもながい虚なる日々を閲しなくては 佛たちには おれの心がとどかぬか 行雲流水するのは 出家の身ではなく心のほうかと 書きようのない転居通知を こころのなかで消したり書いたり トップにもどる
雨 季 陽がかげるという表現が好きなのか、男はよく文章の書きだしに この言葉を使った。 陽が翳ると、急に気温が下ったのか、葉子は寒い季節でもないの に、ぞくっとふるえるような気がして、空を見上げた。もう葉桜に 変ってしまった桜の枝を透かして、異様なほど濃灰色の雲が飛んで ゆくのが見えた。 -雨になるのか知ら-そう思った葉子は俄かに我に返って冷静に なった。 -どうしてこんな時間に、わたしはこんな淋しい土手の桜の下に 佇っているのだろう- 陽が翳るという、さりげない天地の運行の変化が、この時、葉子 を考える女にした。 -わたしは、あのひとに本当に愛されているのだろうか- -人間が口先で言ってることと本心とは違うのではないだろうか -葉子は考えはじめた。葉子がそんなふうに考えるのには、葉子自 身がそのひとを、愛している、と口先だけで言ったような気がして、 本当に愛しているかどうか、自信がもてなかったからであった。 男はこんなふうに書き始めた。 書きながら男は、友人の小説にくり返しあらわれる、おりふし、 という言葉を思いだした。そこで、おりふし陽が翳ると-という文 字をなぐり書きしてしばらく眺めてみた。 どうして俺は、陽が翳ると、という言葉を文章の最初に書いてし まうのだろうか。 男は、おりふし、という友人の表現になにがなしにこだわったり、 陽が翳ると、という書きだしが気にかかったりすると、折角書き進 めてきた文章が挫折してしまうのがいつもの癖なのだった。 文章のいたるところに、気になる言葉をいっぱい散らかしている ような気がして、自己嫌悪にかられるのだった。 俺が陽が翳るという表現をしたがるのは、俺の人生が、盛りとい うものをもたないうちに黄昏てきたからではないだろうか。と男は 過ぎこし貧寒な人生を振り返ってみた。 考えてみるまでもない。と男は思った。 翳は俺の出生からつき纏っていた。 いや俺の父の出生から……祖父の出生がそもそも翳の始まりだっ たのではないか。 順繰りに辿っていけば、アメーバーだったかも知れない始源から 翳っていたのかも知れない。こいつは救いがたい。男は暗然とした 顔付をして原稿用紙を睨んだ。 俺はネクラの、ことごとにものを悲観的に考える性質なんだ。 男は五十歳に手が届こうとしていた。 もうすぐ俺の番がやってくる。必ずやってくる。男は座右銘のよ うにいつも思いだす言葉を心に浮べて反芻した。 -くよくよしなさんな。分る。分るけれどもサ、アラーの神は曰 く、一切は過ぎ去る。全てはほんの一時さ- 男はつらい目に遭った時、きまってこの芝居のセリフを思いだし て勇気を湧きたたせてきた。いずれやってくるであろう、自己の光 明に満ちた人生を予感しながら、毎日を生きてきた。辛うじて凌い できた。 だが予感はあくまでも予感として、今日まで生き永らえ持ちつづ けてきただけだった。 男はペンを止めて窓の外に目を転じた。 昨夜から降りつづいていた雨が激しくなり、盛りを過ぎたあじさ いの花が、たった一輪、うつむいてしおれていた。 雨は容赦なくその一輪のあじさいを目掛けて激しさを増している ようだった。 まるで俺のようだ、あの花は-と男は思った。さしずめ雨季の終 りのこの雨脚は、俺をここまで押し流してきた人生そのものという か、運命というか、例えればそんなものだ。 男は一瞬のうちに半世紀ちかい人生を振り返り、まだ失っていな い予感が、胸のなかで自己の才能に対する幻想を育てていることに 気がついた。 まだ夢を失ってしまったわけではない。 男は書こうとしている小説の書きだしの一節を考え始めた。 雨はいつしか歇んでいた。 雨季はもう終りかな、と、ほっとして窓から空を見上げている男 の顔に翳を落すように陽が翳ってきた。 トップにもどる
恒 河 インドでくらしている牛は 階級で言えば ウルトラ・バラモン 白けた巨きい目で やせっぽちの人間たちを蔑視している。 やせっぽちの人間たちは 一日を十六円でくらしている 整った高貴な顔をして 腹ぺこで。 その充たされない胃袋の感覚の確かさで 彼らは信じる。 現世の次には来世がやってくると。 ガンジスの流れのように 途切れることのない生命の続きがあると。 とがった骨となって ガンジスの河底をころがって行くのが 来世への手続きなのだ。 骨と皮ばかりの 澄んだ目をした男や女たちが 現世を終え いまわたしの眼の前で 炎のなかに身を横たえている。 ガンジスの流れは 彼らを呑むべく ガートを激しく洗っている。 やせっぽちの人間たちは たしかにいま わたしの眼の前で燃えているのだが 彼らの来世への旅立ちが いかに喜ばしいものであるかを示すように いやな臭いひとつ残さず からからと燃えていた。 トップにもどる
掌 見たこともない世界に抱くつよいあこがれ 人間が生きるための営みの千変万化 職人たちや芸術家が綾なす技に わたしもこの両の手で触れてみたかったし やりたいと願望したことは かならずそのチャンスが 向こうからやってきた 指物師 大工 塗師 露天商 屑鉄拾い 額縁商 運転手 俳優 裏方 演出家 劇作 舞台美術 編集者 彫刻 料理人 天然酵母のパン職人 食養家 楽健法やヨーガ polality touch treatmentなどのインストラクター 東洋医学やアーユルヴェーダの研究 僧侶 詩人 ETC 欲ばったわけではないが 生きることの困難との闘いが いつとは知らず わたしをいろんな世界へ連れていった 生きてあるが故の喜怒哀楽 愛と憎しみ 出会いと別れ 揺れ定まらないわたしの世界は 宇宙のように膨張しつづけていて わたしが歩けばさらに広がる わたしの旅は 巨きな掌のなかの世界のできごとで 微苦笑しながら 見ている眼があることを知らないわけではない 観自在という名の眼かもしれないが 今年あたりからはこの掌を飛びだして 動自在に生きてやろうか トップにもどる
ス ー ト ラ お経のことをスートラという スートラとは糸のことだ 木綿糸 絹糸 麻糸 毛糸 化繊糸 蜘蛛糸 経糸と緯糸 大工さんが水平や垂直をだすとき 糸を使う 細い一本の糸をたよりに 安定した美しい巨大な建造物を造る 人生もまた建造するもの 計画をたて 意志をしっかりと保ち 大地に足をしっかりと踏みしめ ときには スートラをひもといて トップにもどる
風 (2) 虫のように 匂いふかいどこかの叢で 自分の歌を ひとしきり歌って どこへともなく消えてしまうならば ペンをとれば 暗いことばが 蟻の群れのように つらなって湧いてでる 桜の花が散りしいた道を 中年とも初老とも 自ら定めがたい 傷ついた男のひとりとなって よりどころなく 沁みてくるものの重さに 耐えて歩む どこかで炸裂するのか 夜が 強風の真夜中 冷酒を呑みながら 喜太郎を聴く 辺境の風ここにある。 トップにもどる
ネ パ ー ル で 樹々が語ったり 木の葉が笑ったり 川の流れが指差してくれたり 森が すっぽりと包みこんでくれたり ウイッチのささやきが 不意に聴えたり もの言わぬ幼児が 無量のことばを伝えたり 死んでしまっただれかが 川のほとりで焼かれていても そ奴がいきなり立ち上っても 別におどろきもせず 濁った水で 白いものを洗っていたりする あわて者のいないくに ネパール ガソリン不足も またいい 昔ながらの都が 元にもどっただけのこと トップにもどる
戦 争 と 平 和 戦争と戦争の谷間を 平和だと呼んでいるだけだ この谷間の終戦記念日に 公式参拝と称して ださい行事を執行した 政治家がいる 谷間に暮すのに 飽きてしまったのか 行楽に長蛇のひとびとは モーニングを着用したその男の 得意気に踏みだした右足に 口をつぐんだままだ 翳りはじめた谷間に 水平尾翼を失った ジャンボ機は 突っ込んでいった トップにもどる
パ ン と 詩 と ぼくの焼いたパンを食べずに パンについて語るなかれ ぼくの書いた詩を抜きにして 詩を語るなかれ などという気が 全く無いわけではないが どのようにすぐれた詩も うまいパンも み佛のはからいなしに 味わうことは叶わないのだ やがて無くなってしまうであろう 短かいあなたの営みに ぼくの祈りが かかわりますように オーム トップにもどる
雀 の 宿 ながいことかかって小屋を作った。 雨もりとすきま風には要心した。 三方に窓を作る予定だったが 出来あがってみると うっかりしていて東に窓がなかった。 その窓から はるかに生駒山がのぞめるはずであった。 南の窓から首をつき出して 左によじると山が見えた。 その視線のつきあたりにアパートが建って 山が見えなくなった。 窓なんか作らなくてよかったわいと思った。 風向きが南の日に雨がふると雨もりがあった。 くやしかった。 冬にはストーブなんざ役立たなかった。 すきまからのみ 冷気はしのびこむものにあらずと知った。 トタン板と ベニヤ板のかべの間に いつの間にか雀が住みついた。 はじめはねずみがあばれているのだと思った。 猫の鳴き声をまねしても いっかな静かにはしないのである。 夜更け きゅうくつな小屋の主が寝つきわるく もんもんとねがえりを打っていると 住人の雀だって事情は同じか さかんにねがえりをうっている。 それのみか 雀だってねごとを言うと最近大発見をした。 トップにもどる
は じ め ま し ょ う もしもあなたがなにかをかえたいとのぞむなら そのうちにだれかがなにかをかえてくれると ありもしないことにきたいして きょうもゆうがたをむかえてしまったとしたら とほうもないじんせいのろうひです そんなきのうと きょうもまたおなじだったとしたら あしたもあさってもなんにちたっても なんにもできずなんにもしないあなたがそこにいて ゆうがたがまたやってくるのです らっけんほうのせんせいであるわたしは さぁいまからここではじめましょうとこころからいいます すぐにとりかかれないことは えいえんにとりかかれないのです さぁわたしのようにしまったとおもわないために…… トップにもどる
黄 昏 の 人 思いがけないひとに会うことがある 声をかけられてから 記憶の底から立ち上がってくるまで 巻かれていた新緑の葉が広がるように 閉じ込めてあった脳髄のなかの 何十年も昔のそのひとの若い顔が 刻まれた年輪のなかから浮かび上がり しばらく話していると いつのまにか過去の顔は消えうせて 記憶の顔と現在の顔とが不都合なく重なり合う こころもことばも昔のままで… 時空を超えてたがいに存在していたのは普通のことだが 不可思議に思えるというのは 五十年余を生きてきたということの難事業を 思い知る歳になってきたということだ 世紀末の世相はやたらと苦く いまからそれを通過する若者の 苦難の道程を考え込むのです トップにもどる
枯 れ る 去年さんざん吹聴した自慢の菩提樹を わが許し難き怠慢で枯らした なにをいってもはじまらないが 生気いっぱいのその勢いに 冬の寒気ものりきれると過信してしまった 寒かろうと思って ほんのいちまいの衣をまとってやればすんだものを… こんなへまをして ほぞを噛む思いをするのは もろいものをもろいと知り 美しいものもすぐに虚ろうと知る 枯れたこころ わびとかさびとか さんざん人生の苦難を経てきたなどと自負しながら 相も変わらぬちんぴら三昧 枯れるにはほど遠いわが心情の未熟さゆえだ トップにもどる
こ こ ろ きまぐれなたびびとのように こころはじぶんのゆくえをしらない こころとよぶよりは ころころとかころころりとかよぶのがにあってる マニスを観察していると こころはあてどなく転んでいったりはしない 好きなことはするしいやなことはなんにもしない うらやましいほどきままで自分に忠実だ 自分に忠実とはこころに忠実ということか ここまで書いて心とは自分のことであると知る つまりは猫ほどの主体性もない ころころ変化の生き物がにんげんなのだ そんなものをあてにするべからず などということをお坊さんが口にしてはいけない 明日にはなにを思いつくかわからぬこころに 熟慮の種を蒔きなさいととりあえずいう 猫を見習えなんていうわけにはいかないから… トップにもどる
攻撃するひとされるひと 人間はとても弱いので 欠点には寛容におたがいにいたわりあうべきだ などという考えは甘すぎるのか 正しいことをしていると信じてやまないひとが 間違ったことをしていると思う人間を見て 攻撃の刃を激しく向けてくるときがある そのむかし僧侶は糞掃衣と呼ぶ 拾い集めた布きれを身にまとってくらしたという 常に法衣を着けて暮らしている若い他国の僧侶が来山して 日本の僧の暮らしを判じてぼくにいう あれは僧侶にはあらずと 妻子とともに寺院にくらし衣もまとわず 仏教の基本を無視して 僧のアイディンティティはいずこにありやとつよく問う おもえばそれが正当と知りつつ 日本人はいつもすこしはずれて生きてきたのではないか 仏の教えはいわずもがな 自ら選択したはずの憲法にも 融通無碍 他国のひとには不可解な解釈の仕方をして…… トップにもどる
時 間 の 質 に つ い て 前途には 闇が待ち受けているとも 光明が待ち受けているとも言えますが 人生は楽観するに限るのです 夜についで昼がくるように 時のながれは 空しからぬ空虚と充実を あなたの上に繰り返してはいますが 楽観論者は 陽はまた昇ると思い 悲観論者は 陽がまた沈むと思って 悲嘆にくれたりしているのです 見えていることや思っていることが そのまま現実でありつづけたことはなく すこし刻が移れば 正反対の幻が現実かのようにたちあらわれるのです 刻をはこぶ時間の手は 淡々とあなたを掌にのせていくだけ 日めくりのような秋のもみじ葉をたのしみましょう トップにもどる
パ ソ コ ン と ながいあいだ愛用していた万年筆のことを 手紙を書くときのほかは すっかりわすれてしまったような昨今の和尚さんです キーボードとつながっている奥のほうに もうひとつの脳髄がひそんでいて 試されているのはこちら側かも知れないぞと思いつつ 気まぐれに変調をきたすパソコンをつかっているのです 数年まえまではワープロの手紙には反感を覚えたのに いまではこころまでよめるような媒体になってきた 万年筆や鉛筆が ボールペンにかたすみに追いやられたように ワープロもすでに古く、パソコンに追いつめられている ある歳をこえると パソコンは出来ないとあきらめて 手のでなくなっている初老や中年に もう還暦にタッチした和尚は 嘆かわしい年寄り奴がと奮起して ブラインドタッチもかるがると今日もやってます トップにもどる
五 十 年 今年マスコミがさかんに五十年という ぼくはあのとき九つだったのかと差し引きした 五十年前のことを 少年時代の経験として話なんぞをする いつのまにかそんな歳になっている そんなとしをパソコンで変換すると 損な歳というのが最初にでてきて なんとなく納得したが 年相応に成長してきたように思えないのは 五十年前にそのまま気持ちをおいてきたので ここまで連れてきようがないのだ ぼくのあねさん女房は 落ち込んでいるのだと数日前にいう なににだときくと 市役所から手紙がやってきて 今年から手続きすると 医療費を免除するといってきたのだという 医療費とは 国民健康保険を払わなくてもいい というのではなさそうで そちらはかちっと徴収される 何十年間も医者に行ったことのない元気者の彼女は オール納得がいかないようだ ぼくも損な年になってる気分で 存在そのものに 納得がいかないのだから慰めようはない あわれ秋風よこころあらばつたえてよ むかしの詩人はよかったね トップにもどる
五 十 年 じつに記憶の確かな老人に出会って驚くことがある なにごとも曖昧にしか過去を思い出せないぼくは 自分の身に起こったことの年代などまるでわからない 両親の命日にしたって あ や ふ や いのである 雨風がつよかったなーなんてことは鮮明なのだが…… マスコミがしきりに五十年だという 引いてみるとあのときぼくはここのつだったのか 今日のようにかっとまぶしい日で 父とぼくは庭先に防空壕を掘っていた 新爆弾が広島と長崎に落とされて 壕の土盛りが背丈ほどもなければ助からぬという話で それをこしらえようと父は汗をながしていた 洗面器に水をいれて そこにひたしたタオルで汗をぬぐいながら…… ぼくはしかし思ったものだ そして父にいった 爆弾が壕に直撃したらだめじゃないだろうか いきなりぼくの頭へ水爆がとんできた おまえはそんな目にあいたいのか! むかっ腹をたてた父は ぼくをめがけて洗面器の水を思いっ切りぶちまけたのだ 父はそれっきり壕作りをやめてしまった その日のひるに 天皇陛下の玉音放送があったからだ トップにもどる
森 の な か に 小暗きしめった森に いのちは寄生する 動植物も 神々も 悪魔たちも そして魑魅魍魎も あらゆる恵みのみなもとである 森をすっかり切り払って 一仕事した気分にひたっているのは だれでしょうか 森から里へと流れる いのちの髄を堰とめて 鼻うごめかしているのは だれでしょうか 森といい林といい密林という 山や原野の 樹木の生い茂った場所や それらに取り囲まれた川や沼や湖を 惜しげもなく切り払い 埋め立てているのは だれでしょうか きのうぼくは旅先で 中海が埋めたてられて 死湖になりそうだという むなしいはなしを耳にした 長良川の河口堰もそうだというが 海への水路がとじられて 宍道湖のしじみたちも まもなく息ができなくなるのだ コンクリートジャングルの 都会という名の森に棲む 化石した脳髄をもった 哀れな背広のいきものたちよ 森をうしなって そこに森があったことも ゆたかないのちがあったことも知らず さまよっていきねばならないのは だれでしょうか トップにもどる
あ た ら し い 春 で す 伸ばした手のひらの先のほうに 生きてきた時代がのっている 水をふりきるように手をふってみても 粘液のようにからみついて 洗い流したりはできない未熟な過去 還暦をむかえるこの春 東光寺の庭の木漏れ日の下で 考えてみるのです 過ぎこし方や地球の未来のことを ぼくの未熟はいうまでもないが 人類はもうすこしいそいで進化しなくてはと トップにもどる
ど こ か ら く る の なにが不毛だといっても 人生を愚痴るほど不毛なことはない 自分の病気を縷々とひとにかたることも 空しい不毛の代表選手だ ああそれにしても ひとはあんなにも毎日愚痴りたがる 原因も結果も みんなじぶんで種をまいて育てながら どこかに真犯人がいるかのように 愚痴のブロックを積み上げるのです とどまることなく愚痴るのです たんぽぽの種よりもかるく 愚痴からうまれた種は 身のまわりに不吉の花を満々と育てるのです 愚痴を聴くことを仕事にしている多聞天さえも 耳にふたをしたくなりましょう 神仏は沈黙がお好きです 沈黙から知恵へと 人生の花がひらくのです トップにもどる
か ぜ を ひ い て 寒いし 雨がびじょびじょ降っているので 点滴づけの病人のように 無気力の方向に気分がむかっていく きょうは風邪がやっとよくなった日なので お天気さんはぼくのために青空をひろげるべきだ それはたぶんあすの朝 ぼくの願望を数倍いや増すために きょうを雨の日にしているのだろう ミルクあめとすっきりのどあめというのを買ってきて かわりばんこになめていたら やめられなくなって気分がわるくなってきたので ふくろをひきだしにしまいこんだ ひさしぶりに会ったひとが 痩せたのではないですかというので計りに乗ってみると 五〇〇グラムへったようだ たったこれっぽちなのにと かがみのなかを覗きこんだ こんにちは! トップにもどる
ひ ろ げ る 毎月こうして はがきをおくっていますが いつもすんなりではないのです たかだか一〇数行ながら われながら無理をしてるぞ- などと思いつつでっちあげているのが わが秘密にしておきたい和尚の詩の実相です 詩はいかに書くかなどと 根元からの問いかけが こころをよぎったりしながらも インスタントラーメンでもつくるように 苦もなくこなしてみたいのです パソコンとからっぽのあたまが 時間ばかりを貧食して 挫折しそうになったりもするのですが ことしのさくらがやっと開いたり 二上山のうしろにしずむ夕陽を見たりすると またこころがひろがって なんとかまとまりがつくのでした トップにもどる
よ み が え る 落葉は秋のものだと こどものときから思いこんでいました いまは新緑の季節ですが くろがしやくすのきたちの落葉の季節でもあるのです きょうは風にうながされて舞い降りてきた木の葉が 地面をおおいかくしてしまっています 春がきてこうしてころもを脱ぎ捨てるときには うすみどりのあざやかな新緑のころもを ちゃっかりと身にまとっているのです くぬぎやこならたちのように かぼそい枝を寒風に曝したりはせずに いつとはしらずたっぷりの葉っぱをまとったまま するりと着替えてしまうというのは 上着をつけたまま着替えをたくみにする女たちのようで 心憎い風情ではありませんか 熊手をもって和尚はただ見上げているのです トップにもどる
破 船 こどもだったころ はるになると野に遊んで ふくらんだつばなの穂先をよく口にふくんだ あまかったのかどうか思い出せないが 草特有のかおりはなつかしく 鮮明によみがえってくる つばなはいままっ白く穂がのびて 出雲の田園風景の道ぞいを まんまんとふちどっていた もうこれが見納めかも知れないからと すこし皮肉な気持ちをこめて わたしはこれから中海を見にいくのだ 案内をしてくれる友人は もと総理大臣の意向にさからえない イエスマンの知事のロボットぶりや 地元の人間の優柔不断さについて なげきを聞かせてくれる そう、いつの代にも庶民にできたことは ながいものにまかれてあとで嘆くことだけだ 中海は大根島への道路が海を割っていて 埋め立てられる側の海の水は 曇天をうつして鉛色に風浪をたてている 対岸のやまなみはるかに美しく 誇るべき郷土を自覚せぬひとでなくては ここは埋められまいとしんからおもった いくつかの破船が湖岸に朽ちていて これはもう世も末の 象徴たるにふさわしかった トップにもどる
満 月 天がほころびはじめて やさしさを失ってしまった女のような 雨が落ちてきた 満月のかわりに 赫々とたいまつが燃えて えにし庵の木立の向うで 蛙たちが鳴きはじめた トップにもどる
the Voice I heard a little voice from heaven I never heard only music I never see only dance Nature were us We were nature Rain and voice of nature Everything is one like Moon トップにもどる
虫 虫が無心に鳴くように 貧しい芸術家たちが 無心に鳴らしたり踊ったりする 闇のはじまる時間だ 石の笛が明暗のはざまを 突き抜けてゆく 虫たちの立ちあがる刻 トップにもどる
雨 月 天がほころびはじめて やさしさを失ってしまった女のような 猛雨が落ちてきた 満月のかわりに 雨足のなかで 赫々とかがりびが燃え 木立の向こうでは 伸び始めた稲の間で 蛙たちが鳴き始めた 今宵は月明かりを浴びて 生駒山脈を借景にした えにし庵の吹き抜けた空間で 草を踏んで舞おうかという予定なのだが 月は遊ぶことを思いついたこどものように 篠つく雨雲にかくれている 空に真っ暗闇がひろがって いよいよ陰惨であれと叫びたいほどに 雨ははげしさを増してくる 虫が無心に鳴くように 貧しい芸術家たちが 忘我に鳴らしたり踊ったりする 闇の始まる時間だ 石笛が 明暗のはざまを突き抜けてゆく 虫たちの立ち上がる刻 トップにもどる
誕 生 仏 ルンビニーということばのひびきに ぼくがやさしさに満ちた大地の愛を感じるのは そこで釈尊がお生まれになったことを 知っているからに違いないが ひびきの甘美さにひきかえ 真夏のルンビニーの湿熱の夜の過酷さときたら 旅の途上のなみの日本人が 平然と過ごせるていの生やさしさではない そう忠告してくれたのは ルンビニーの僧院に長年くらしている タンセン生まれのお坊さんだった そこでぼくはルンビニーから 数時間のバスの旅で 高原のタンセンまで足をのばした 釈尊は母の胎内にいて 旅の途上にルンビニーにお生まれになったわけだ 春だったからルンビニーの草原は 野の花ざかりだったろうが 生誕を歓喜して 香り高い睡蓮も舞い降ったという 七月末ネパールから誕生佛がやってきた 身の丈一尺五寸 蓮のうてなに佇立して金色燦然たるお姿を あなたにお目にかけたいが 霊光燦々として写真にうつらないこと法の如し 心あり眼あるひとは来たりてご覧じろ トップにもどる
地 の 網 さいきん会う人とはみんな どこかに結び目があることが 話しているうちにわかってきたりする 友人のともだちの先生の生徒だったり ともだちの友人のともだちのこどもだったり 面倒をかけたきりで ごぶさたつづきだったひとの関係だったりして だれかにであうということは 順番がまわってきたのだから 目の前にあらわれたひとを 大切にしてあげなさいということなんだと 思い知らされるのである 小学校卒業間近の年にぼくは家具屋に働いていて 塗りあがった家具に 金具を取り付けることに熟練した 小柄な児童労働者だった 進駐軍のPXの家具の仕事に追われていて ときどき二三人の検査官がチェックにやってきた 十数年後知りあった詩人浜田知章はその昔 その検査官のひとりだったことが なにかの話のおりにわかって あの少年がきみだったのかと絶句した どうしてこんな小さな子がと ふしぎに思ってたんだと彼はいった 地の網に結ばれしわれら みんなお達者であってほしいですね トップにもどる
風 さ け ら れ ず 衛生学者として 生涯をつらぬく信念をお持ちであったろうが 末期をなにを考えて過ごされたのかは 推し量るすべはない ただぼくは願っていた 先生らしい生涯を貫いて終えて欲しいものだと 点滴は医療の在り方次第で 人間の天敵にもなりうるという ぼくの考えをどう判断されていたかわからないが あるがまま点滴を受容しながら 丸山博先生は病院で生涯を閉じられた 衛生学者として 現代医学を批判的に捉えていたひとが 自宅のたたみのうえでなく 西洋医学のシステムのなかで 死んでいかねばならないということに われらすべての運命が 強烈に皮肉に暗示されている いかに真摯な健康法や食養をやっていても ついには病院に送り込まれて 自分で選択しようもない治療づけにされたら 最後の数日で 長年の努力もなきに等しいと思うぼくの考えは 昼間にかかる月のようなものか 自己の思想も信念もまっとうしがたい 地の網の破れたこの社会には 安息の許されない末期治療が さけられぬ風のように たぶんぼくをも待ちうけている せめてこころをこめて読経をしよう さようなら先生 たくさんのことを考えさせてくれたひとよ トップにもどる
タムタムタム しあわせを掴んで ポケットにいれてるかのように ぼくたちは つかの間の虹の橋を渡っている どういうわけか ぼくが子供だった頃 親たちが生涯抜けきれなかったような その日暮らしの貧しいくらしは まわりに見当たらなくなった はるか遠くの国に 貧乏は引っ越してしまったのか そこを世界の再貧国などと定義して ボランティアに出かけていったり そんなのをテレビで見てると 破れた服を身にまとった 明るい笑顔の子供達がそこにいて ほんとかなあ とぼくは思ってしまう 笑うことを忘れた子供のいるこの国には 地震でもなければ だれも笑顔を ボランティアで運んでくれたりはしない 苦の海をのたうちまわって生きている という認識など さらさらもっていないのが われわれ日本人で 苦は自分とは無縁の 他人のもちものだと思っている どこか背後の暗闇から タムタムタム 苦は低く太鼓を鳴らしている トップにもどる
い ち ま い さむらいも終わりになって カレンダーは 残された人生の象徴のように 余り三十一日を升目にのっけて 風に揺れている 月曜ごとにパンの日と予定を書き込んで その日は三時半に起床するので 目覚ましを仕掛けて床につくが 目覚めると決まって二時半なので ぼくは起き出してしまう 紅葉の庭に投げてやった残飯をあさって 狸が枯れ葉をかき分ける音がして マニスは耳をそばだてている 猫が来れば追っかけて行くが 異界の獣に マニスは手を出さないと決めているようだ 出かけるまでのあわただしい時間に かくあるべきようの人生を こころのなかで繰り返したりしながら 所詮は想いだけがあって めくられて減ってしまったカレンダーのように 実現しなかった仮想の自分を実感する いつぞやアガスティアの葉の予言が告げたのは ぼくの来世は成功疑いなしだが インドの星占術師の詐術を見抜いたぼくには 今日作るパンの豊満であらばそれでいいと 夜明け前の空に光るオリオン星座に挨拶を送り 残りのカレンダーを埋めにいく トップにもどる
ドウイウモノニ 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」という詩には、 なりたいとおもうような理想の人間像が描か れていると思って読まれるのかどうかわから ないが、だれひとりそうはなれまいと思うよ うな人間像が、サウイフモノニ私ハナリタイ と描かれているのだ。 金子光晴は、=反対=という詩を書いていて、 僕は少年の頃 学校に反対だった。 僕はいままた 働くことに反対だ。 僕は第一、健康とか 正義とかが大きらいなのだ。 健康で正しいほど 人間を無情にするものはない。 むろんやまと魂は反対だ。 義理人情もへどが出る いつの政府にも反対であり、 文壇画壇にも尻をむけている。 なにしに生まれてきたと問はるれば、 躊躇なく答えよう。反対しにと。 僕は東にゐるときは 西にゆきたいと思ひ、 きものは左前、靴は右左、 袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。 人のいやがるものこそ、僕の好物。 とりわけ嫌ひは、気の揃ふということだ。 僕は信じる。反対こそ、人生で 唯一つ立派なことだと。 反対こそ、生きてることだ。 反対こそ、じぶんをつかむことだ。 これは金子光晴の=サウイウモノニ私ハナ リタイ=であって、彼は雨にも風にも負けず そういうでくのぼうらしい反骨の人生を貫い て生きた詩人であった。 ひとはでくのぼうと呼ばれる人間にも、聖 人君子にも、なりたいとおもうものにも滅多 になれなくて、下手をするとままならなかっ た人生が強い我に変じてはた迷惑な人間が完 成する。 ほんとうは、ひとはかくありたしという人 間像に向かってひたむきに生きるなんてこと は容易にできないものだ。 なにごとかをしているうちにひとはなにも のかに育っていくものである。 賢治の詩はなりたくてもなれそうにない自 分を慨嘆している詩であって、読者も自分は なれそうにないので安心して共感をもって読 むというのがほんとうのところだろう。 賢治は「そういうものであろうとおまえは しているのか」と、豊かな物量消費生活に埋 没しているわれらの自己中心主義のいいかげ んな生き方に対して、猛省をうながしている とぼくには読めるのである。良い意思をもっ て生きよと。 有り難がってお経のように読むなかれ。 引用した金子光晴の詩は直截すぎるきらい はあるが、光晴も賢治も詩人らしい求道心と、 それゆえの反骨の批判精神という同じ地平に たっているのである。 トップにもどる
大 寒 冬になると ぼくは崖っぷちに追いつめられたような うれしくないゆめをみる 転々と一家でさすらっていて 水もトイレもなんだかままにならず 現実には存在しなかった奇怪な場所 床が傾斜したぼろぼろの家で つぎつぎとカーテンや扉をあけてそれをさがしている 尿意がいざなってくるそのゆめからさめて あ、ここにいた、とぼくはおもう 再眠がなかなかやってこなくて こんどはめざめたままでゆめをみている ゆるやかに起伏する丘 眼路のかぎり森は広がり 濃紺に輝く山が裾をひろげている そんな風景がめざめたゆめの底によこたわる 幼時三輪車をこぎながら眺めたふるさとの風景だ まんまんと水をひそませた田園を歩いて 縄文のひとのように野草を口にふくんだりした 記憶のなかの風景にさらに絵の具を重ねて みている画布は もうなくなってしまった場所にある 東光寺の杜を寒風がわたって木々を揺する 冷え込んでくる大寒の朝 不幸なときにしあわせをゆめみるひとのように マニスとソの字にならんで いまいちどねむりに落ちていく トップにもどる
細 道 信号がかわると 音楽が鳴りはじめる 鉄管のなかに閉じこめられた音で 通りゃんせ通りゃんせここはどこの細道だ なんてこった こんな無神経な音楽を とぼくは腹立たしい気持ちで足早に通過する 障害者を駆りたててあわてさせるためか 行きはよいよい帰りは恐い… 無事に家には帰り着けないぞという気分になる わが庵のある駅で下りると 駅前の舗道のユリノキは 一本残らず枝を付け根から切り払われ 尖端も胴切りされて オブジェともいえずこれは完璧な障害樹 手足も首もなくなったマネキンより無惨に 寒風のなかに立っている こういうことを平気でおこなうのは 人間であることをやめた脳髄の持ち主たちだ 街路樹の枝をいっさい切るべからず という条例を最初に決めたのは徳島市だと いつか毛藤勤治さんが教えてくれて わが故郷をすこし見直したが そのユリノキ研究家の先生も幽明境を異にした どこの細道を抜ければ 私はこころやすらぐ町を見られるだろう トップにもどる
成 就 成長する 成功する 進歩する 生きていくとは 今日ではない明日のなかに なにかを賭けて待ち受けるものだ 自分の果たせなかった夢を こどもにまで託したりして ラジオしかなかった過去から マイカーとパソコンを操る 未来都市の今日まで 半世紀以上を いつもあしたになればとおもいつつ ぼくもまた生きてきた 惨憺たる破壊を重ねた時代をあとに 変化と進歩と豊かさとが待つあしたに向かって 手に入れてしまえば 夢見ていたものも 多くの不都合や不合理や矛盾があって 原発からやってくる電気のしたで そんなものはなくてもいい…から それはないほうがずっとよかった…まで ひとは意見を闘わすようになった 釣った魚に餌はいらぬとむかしよく耳にしたが 釣られてなんでも手にいれたはずのぼくらは 見えない釣り人の餌を嗅ごうと 電脳の箱たちを今日も凝視めている トップにもどる
あしもと このごろ 育てるとか養うとか飼うとかいうと かなり傲慢にものいってるぞとおもう こどものことでも 植物のことでも マニスのことでもだが… ひとが地球に生きて当然にふるまい 太陽や大地や海が 保護者顔をしないように ぼくの身のまわりのいのちたちも 与えられた当然の所を得ているのだ ことしもらった数本の苗木を山に放した インド生まれの菩提樹は 異風土のせいでか失敗つづきだが マロニエとユリノキは 春陽のなかで無為の活力を得て 夕方には もう朝とは見違えるように伸びている ああいのちはかくなるひとすじのながれ とぼくは納得する 野の草や鳥を見よ と聖書にあるが いのちはたまたま所をおなじくして そこで一緒に生きることになっただけ となりあって生きてくれるいのちたち 敵も家族もまたそうだろう 世の頑迷なおとこたちよ おれが養ってるなどと驕るなかれ トップにもどる
蛍 雨がやや降ると 東光寺橋がかかる寺川が 赤土を溶かしこんだ濁流となって 川音がここまでのぼってくる 谷まったところに建つ庫裡の足下は 一雨ごとにすこし陥没をはじめて なんだか危うい雰囲気だ 雨降って地が固まるというが 雨降ってつき崩すというのも地の実相だろう 東光寺の庫裡は樫の樹に支えられ かろうじて足下を保っているが この一角はなんとも危うい景色で そうそうに杭を打つべしと思いながら数年 樒の苗を植えたりして根がはるのを待っている やや膨らんでくるように見える斜面を観察しながら 雨降るたびにぼくは無事を祈っている 早く杭を打ちこんで安心するのが 堅実な行住坐臥だが 小事でけりがつくだろう用心を怠っている 祈りはしても行動しないのは 悟りにほど遠い俗人の信仰形態というべきか 救いがたし 昨年の初夏にちらと数匹見かけた 寺川生まれの蛍が この増水で流されてしまうのではないかなどと 余計な心配をしたりしながら なにか…待っている トップにもどる
むこうの空 見てきたように話はしたくないし 経験してきたことは話したっていいかというと そういうわけにもゆかぬようだ いまのひとには 信じがたいような苦労話なんかは してみたって笑われるだけだ じぶんが生きてきた空の青さは知っているが 江戸や明治というと ぼくの頭のなかでは曇天つづきで なんだかぱっと晴れてこないみたいに…… ふたむかしとちょっとまえに ぼくは頭を丸めてしまって 親からもらった名前も むかしのところに置いてきた みんなが宥厳さんと呼んでくれて 孫までが宥厳さんと電話してくるが ぼくの通過した時間のなかには 瞑という壁を境に ふるい名のぼくがいて 宥厳さんのすることをじっと見ていたりする ある日酸素ボンベをもった姉がやってきて むかしと同じ声とトーンで ひろちゃんはねーなどという ふたりして 壁の向こうへ造作なく行ってしまうと 宥厳さんはどこにもいなくなって もやっとした底なしの空だけが光っていた トップにもどる
風 逝ったひとのことをときおり思い出すが 自分の番の終わりまでは ほんとうはだれも死んではいないのだ 歳をくっていろんなものがうとましくなっても 失われないもののひとつが わが身に遺された内なるうつしみ 両親の挙措の記憶だったりする 良かれ悪しかれ 人間には数多い執着があって 綿々と陋習にしたがって暮らしているのだが わが自省の内側では 陋習をもてることは ひとつの幸せのありようではないか とこのごろ思うのだ だがあのひとはそうではなかった 母のことだが いまのぼくの歳には すでに逝ってしまっていたが 愛着も嫌悪も陋習も越えたところに身をおいて 避けるすべなく 彼女がのたうちまわった 苦い泥濘のその時間の長さを ぼくはときどき風にのせてみる はるかなむこうの空に向けて ぼくが虚ろな中空の竹を吹くとき 風は彼女の悲傷をかすって音を流すのだ そのときいまでは静謐のその時空から わが内なるうつしみへ 母はなごやかなまなざしを投げて寄越す トップにもどる
育 て る だれの胸にも ところどころに 色の違う穴がいくつかあいている 時期と場所の違った所で 虫に刺されるように穿たれた穴である ごく軽いけれども 本人にとっては やりきれないような失敗だったり 冗談まじりにいわれたに過ぎないのに つれあいや友人からいわれた言葉が ぐさっと刺さってあいてしまった穴だったりする こころならずも破った約束が ついに果たせないまま 先に行ってしまう奴もいる おまえの胸に ぼくも不用意に穴をあけたかも知れない 底知れぬ穴には 菩提樹でも植えて 育ててやらねばならない この冬、寒さにやられて育ちそこねた 細い枯れた菩提樹をみながら 時が非情に奪っていくいちにちいちにちを 胸の穴に そっと手をあてて生きねばならぬ トップにもどる
た ま ご 思えば半世紀以上の時間を いっぱしの読書家のつもりで本を読んできたが 楽しむということよりも 如何に生くべきかをもとめてであった 宗教哲学文学科学と必要と欲求のままに手にしたが 正しいけれども面白くもないことや 面白いけれどもやれないことや やってみたらつまらなかったことや 考えても詮無いことや 一生かかってもやれないことが 卵焼きでもつくるように簡単みたいに書いてあったり 書物というのは 人間をふりまわす果てしなき紐である 還暦を過ぎるまで生きてきても まだ書物のなかには 未知の宝の宝庫が秘蔵されてるみたいに きょうも手からはなさないのだ 衝撃を受けたことばもなかにはあって 小林のXへの手紙などもその一つだが 「女は俺の成熟する場所であった 赤鉛筆を片手に書物に傍線を引いては この世を理解していこうという俺の小癪な夢を 女は一挙に破ってくれた」 十代の終わる頃わが童貞の受けた くやしくもなまなましき衝撃よ 手の届かぬものへ さらに手を伸ばして書物と格闘してきたが ふりかえればわが人生はやまかんだった 人生という大部な書物に埋没しながら やまかんが今日もちいさな書物に向かっている トップにもどる
つ ぶ や く ふつふつと泡だったパン種が 音をだしている 繰り返し育ててきたパン種の いのちのつぶやきだ どこからやってきたのか 微生の酵母たちは 群をなして 娘細胞を発芽しては分裂し 二十五年にわたって 増殖を続けてきたのだ この無量のいのちの新生が ちいさなひとかたまりのパンになって 人間の胃袋におさまる 食通だとかグルメなどといって しこたま貪り食って ぎらぎらと下腹ふくらました連中にも きわめて限定された食物しか受け付けない アトピーで苦しむこどもたちにも 食べられていることであろう などと想像しながら 今朝も早くからぼくは 数珠を握る手でパンを丸めている ひとはパンのみにて生きるにあらずなどと 聖なる本には書かれたが われはパンをつくるためにのみ生まれたにはあらず とつぶやきながらえんえんとやってきた 出エジプト記の人々のように パン種をのこしたまま いつの日かぼくがここを去っていく日まで 酵母もまたつぶやきをくりかえす トップにもどる
痩 せ る 消化される 日本人ひとりあたり 一生に二トン余の牛肉を平らげているという ことし夏にある牛舎を見学したが 二百キロの子牛を仕入れ 半年さきに六百キロにも育てて 売りに出すといっていた まるまる肥った牛達は ひたすら餌をむさぼっている 食っていた牛が 反芻しながらぼくを観察したが おまえもかと じろりの白目が強烈だった 振り返って考えるに ぼくはこの年になるまで 牛肉を合計五十キロもは食っていない いつどこで口にしたか思い出せる程度である 十代には年に数回 二十代には月に一、二回 三十代なかばからは菜食を主としてきた インドでは牛を尊ぶ ガンジーは自伝によると こどものころ悪友にそそのかされて 一口食った肉のために 生涯消しがたい罪悪感をもったそうだが 二トン余の牛肉を消化する日本人には なんの自覚もありはしない 食われることも知らずに肥る牛 ひとはなんのためだれのために牛を食うのか 二トンの巨大な塊が 考えるだにぼくを圧しつぶす トップにもどる
頌 春 むかし候文というものを書いた 漢文調という文体もあって いまのことばよりは語呂よく 不都合も都合よく飾ることもできた お借りせし金子早ゞと返済致さねば と日夜こころを砕き候へども 不況ここにきはまりて都合つき候はねば いまひとたび猶予お願ひ申し上げ候 かようないいわけを 即物的な口語ではなかなかまとめがたい 以心伝心とか 他人の立場でものを考えるとかいうのは 候や漢文調の世界のころの話なのか 先日自ら殺生をなした映画監督が 以心伝心などというものを自分は信じないので 家族の間でも徹底的に話すのだということを読んだ 話せば分かると考える人もいるが 話せば喧嘩になるひともいて 没交渉というのも 巧みな交渉術のひとつといえる 人間は気難しい 世界はひとつというのは 一億一心になることではない 一億億心が一緒に暮らすことが 世界はひとつということだ 共生ということばがよく目につくが 環境破壊をすると 自分が困るよという意味である 気づいたときには もはや手遅れにて候 トップにもどる
普 賢 黄楊の木の 象の背に乗った普賢菩薩が 先日からわが机上に飛来して キーボードのタッチに耳を傾けている ちいさな像ながら ときおり目が合う普賢は等身大で 書きあぐんでいるぼくに微笑している 鎮まった地の気配は感じたが エルニーニョの冬は 地は鎮まっても天はさにあらずとでもいうかのごとく あれから三年目の神戸へ行ったら 冬の日だまりは不似合いに暖かだった 五毛という奇妙な名前の町で ぼくを待っていた普賢は 長く不運が続いたころ ぼくにおみくじを数回ひかせて やっと吉の札がでるまで 真剣な顔をして もういちどひいてこいと何度もぼくにいった あの親父の顔にどこか似ていた 無神論者の小柄な指物師よ 貧乏神の存在だけは 身にしみて実感していたことだろう 干潟に忘れ去られた魚の一族のように 旱天に捉えられていた日々をぬけてきて すこしは揺れ定まったぼくの暮らしを覗きに ここへやってきたのか 乱雑する書物の部屋にすこし香を薫らす 障子に映える雪を背に 普賢は合掌している トップにもどる
月 -返信・環に- 蒼い月が きみの影を 地表に貼り付ける 剥がして 連れ去ってはいけない 地にしっかりと足をつけて あの地で倒れた 石たちに 不滅のきみのことばを もっと刻んで 遊ばなくては みんなのそんなねがいを 運命を統べるものは一顧だにしてくれず もうブルーの気分は一掃しましたと ちいさなメモをぼくに残して きみは旅立っていった あの時刻に 石を彫る鑿のつよさで ぼくを揺り起こし きみは無量の意思を告げにきた きみが訪れたその地に 今宵のような月が やはり輝いていたら ここでともに眺めようと 飛んできて 知らせてくれ トップにもどる
埋 も れ て 樫の葉が 屋根のうえで ファソラと転がり 風と和音をかなでている しぼりたての布巾で 机の埃を 拭いさるようにはいかないのが 部屋中の書類や蔵書たち ぼく自身が蟻のように運んできたものが 堆くなり 風呂に 身を沈めてでもいくかのように 紙の森にしだいに埋もれる わが知情を養ってくれた書物は 危険思想も消滅したいまの世では 冷遇されて軽くなり 焚書に遭うこともなく わが亡きあとには 処分しがたい 大量の塵芥として 焼却場の ご厄介となるだろう 生きてあれば捨てるにしのびず 風にことずけることもならず 今日もまた嵩を増やしていくものよ 東光寺山を埋める 限なしの落ち葉は 落ちても積もっても 増えもせず苦にもならず かならず地に還るというのに トップにもどる
放 つ 木の芽時 たっぷり新緑をまとって ふたまわりも庭が狭くなった 昨日の今日なのにと思いながら 掃除の跡もない落葉を相手に 熊手を掻いている ここでは雑草もめったに抜かず なんでやと疑うような 背の高い芒が あってはおかしいようなところに 伸びていたりする なんとか流の庭などというものは 必要かも知れぬいのちの芽の 絶えざる削除によって保たれる 有名な寺の庭などに ぼくが抵抗を覚えるのは あまりに人巧的な贅に寒々してくるからだ キャンバスのなかの美学は諸悪のひとつ こじんまりとまとまった場所よりは 一望千里の沙漠に立っていたい ときたま立ち寄るバーガー店で 先日もらった一株のクローバーが プラスティックの小鉢のなかで ひょろ長く伸びて四ツ葉が揺れている おまえもここで雑草になれ あした庭に放してやろう トップにもどる
遠 い 火 ちいさな国で 一坪の土地も財も持たず 電気代や電話代なんかも気にしながら いちにち千カロリーほどの食事をとって 毎日を暮しているちっぽけな自分が 広大で肥沃で奥深い 不毛沙漠のようなインドを こころのどこかで より貧しく 痛々しい存在ででもあるかのように 思っていたところがあった インドの原爆実験を知って むむっと思うが 自分のポケットに隠したものには 知らんぷりしながら 他力でこの世を操れそうにものをいう国々の 義を説く瞞着ぶりにも ぼくは首を縦にはふれない 善の原理は数々あるが もうそれを疑えば救いはないか それを疑わなかったから 救いはついに いままでやって来なかったのではないか 二千数百年にもわたってわれらを導いてきた あのひとは 度し難いレベルの人間を 済度せよと説いたが 済度すべき彼らに依存しながら かろうじて生を保つ 自家撞着について なにひとつ思わなかったのかなどと インドの原爆はこころのなかでも破裂する トップにもどる
幻 橋(まぼろしばし) いつだったか 明石のフェリー乗り場で 海のなかから 脆弱な女の腕のように 伸び始めた橋脚を眺めたことがある 完成予定の十年先までの年月を考えると もしかしたらぼくは その幻橋を渡ることはない かも知れぬと想像した あの朝 ぼくは寝床で本を読んでいて みしみしと揺れ始めたとき 時計の秒針を凝視した やはり早朝だったが かの地でもぼくは秒針を見ていた ネパールのときとそっくりの揺れ方で 時間もおなじく五十五秒だった なにがおきても さからえない いのちゆらぐ非情の無限時間 一匹の虫のように ただ無常に身をまかせていた この橋脚も地震とともに位置がずれたそうだ どこか抵抗を自覚しながら 新しい道を故郷へとハンドルを握る まさに一跨ぎに到着して展墓をすませば そこはもうわれに用なき地ではないか ここを捨てて都会に生き果てていった父母よ 故郷を抱くものよ 幻橋を渡って ぼくは向こうへと帰って行こう トップにもどる
聞 こ え る 校庭に こぶこぶ肌のポプラが鬱蒼と立ち並び 見上げるぼくの顔に 小水をふりかけ ジャ!という鳴き声を残して飛び立つ ぼくらがホンセと呼び習わしていたクマゼミは あの夏にも 耳を聾するように鳴き交わしていた 手が届きそうなところで 不意に鳴き声をあげて尻を震わせるホンセは 空腹も戦争のことも忘れさせて ぼくらわるがきの たましいを奪ってしまう 季節の贈り物だ 胸ポケットには ポプラの葉茎を何本も差し込んで 広島に落とされた新爆弾のことなど気にもせず 茎相撲なんかで敵と勝負をつけていた 竹槍をしごきながら 自動小銃や火焔放射機を装備した敵に 突貫玉砕しようという訓練を くそまじめな悲壮感をただよわせて 大人たちが繰り返している 校庭からは 素焼き色の土におおわれた かき消えた街の跡が見え かげろうがゆらゆら燃えたっていて そこにいきものの気配なく 突き!などという在郷軍人の掛け声が 蝉の声と交わりながら あの夏 こわれはじめた時空の 焼け野原を渡っていったのだ トップにもどる
日が暮れるとき こどもの頃 夜のとばりに包まれはじめると 無性に悲しくなってきて しくしくと泣き出したものだ どうして泣くのだと よく母に問いただされたが 答えようもなく ぼくを泣かせるのは 夜がきたからとしかいいようはない 屋根も壁も ちちもははも 闇のなかに溶けて なにもかもかき消えていくのに 両親は すこしも気づかず きのうもやっていた口論なんかを 夜になるとまたやっている 亭主関白で母を押さえ込んでしまい 絶対にゆずったりしないのだが 暗雲のような母の気分が 壁のように硬くなって 畏怖にみちた夜を ますます深めていくのだ 閉じられたふすまの隙間からこぼれる わずかなあかりに 柱にかけられた細長い鏡が黒くひかり 無限の闇の入り口になって ぼくを招く 今日台風があって庭がひどく荒れ 電気が止まってしまい 暗闇でいると あそこから泣き声が聞こえてきた トップにもどる
蛙 舗装のない 泥濘の街で育つこどもは 水たまりが大好きで 一跨ぎほどの 水にうつる空を飽かず眺めたり 息吹き掛けて さざ波をたてては 自在に天地を操る巨人になって 大海原に嵐を巻き起こしたりした カズノコ草をむしって 先に数つぶを残した釣りざおで 小川の石垣にひそむ蛙を たくみに空中に放り上げて釣ったのも その頃の話で 嵐の晝には 雨戸の節穴から たちまち増水する小川をにらみながら 蛙の安全のために魔術を使ったりした この春 使わなくなった大火鉢に 山の土を入れて たっぷりの水のなかに ペテロがもってきた 発芽しはじめた蓮根を植えた 気候不順のあいまいな夏に 数枚の葉が伸び 水に浮いた葉の上に 蛙が三匹棲みつき ぼくが通りかかると ポシャンと音たてて ちいさな蛙の宇宙へかえる トップにもどる
謎めいた花ことば 移ろいやすい こころの花花に 蜜をもとめる 毒の蜂がとまる いくたびの逢瀬が 残されてあるのか 指折れば 数えうるほどの 花の季節に 手折ろうとして だれかが 手を伸す トップにもどる
は じ ま る パソコンの ちいさなモニターと向きあって 古代印度の科学のことを 読んだり書いたりしながら やむなく引き受けてしまって 多忙さが倍増してきそうな研究会の仕事を 樂にこなすすべはなかろうかなどと 頭をひねったりしている ぼくが頼りにしているパソコンに 最大級の抵抗感を抱いていると 公言してはばからない友が罹病して ぼくの脳髄の小枝に 小鳥のように とまってることに気がつくのもそんな時だ 風の強い日 すこし首をすくめぎみに たずねてみたら 日当たりのいい部屋に ぼくよりはたっぷりとゆたかな 何にも追われない自分時間にひたっていて それだからこそ 初体験の人生を楽しむ課題が 天から与えられたのに 病気についての不平なんかをのたまわっていた ぼくなんざ病気を楽しむひまもなく いつだって余儀なく駆け足をしているというのに 東光寺山の庭の陰から 冬が起爆しはじめ マニスも もう使いだした遠赤暖房機の前から あまり動こうとしなくなった トップにもどる
そ れ か ら 夜明けが いずれおとずれるだろう そう切望しながら 口には出せず いつまでも明けやらぬような暗い空を 眺めていた昔があった それを過去形で語れるような時代に いまはなったのだろうか 半世紀前の晴れた日に 突然ページがめくられて 暗雲の世界は 衣を脱いだかに思えたが また新しい 空気の通わない欲望の革衣を ひとびとも時代も まとってしまったのではないか ぼくは東光寺に止住してから 指折り数えてみると この半世紀間に二十九回目の 見知らぬ部屋にくらしていることになる なにがぼくをかくも転がしてきたのか あのひとつひとつの部屋たちは ぼくの革衣ではなかったか ひとは根が生えたように なぜそこにくらすのか ぼくの根源の疑問は この転変のなかから生じてきた またしても湾岸で起きている 爆撃のニュースを見ながら考え込む 遠からぬ来世紀 それから トップにもどる
耶馬渓にて 岡山あたりから わたしの肩に 瘴気がそっと手を置いたことを自覚したが 山峡のちいさな町に 車から降り立つと たちまち身震いをして 風邪ひきの初期症状 傷寒論のはじまりだなどと 軽く思っていたが なんだか深くひきこまれそうな 良くない気分がひろがり さりとて葛根湯の持ちあわせもない 健康について話しにきたわたしが まさか薬屋へというわけにもゆかず 我慢して切り抜けるほかはあるまい 数年前の台風で もぎとられたというまだらの冬山を見ながら 二十代の中頃 児童劇団の移動のみちすがら 舗装のない九州の山間道で 不意に遭遇した蜂の巣城のことなど 思いだしていた 記憶のなかの九州でのつかの間のぼくの青春は いまも雨季のただなかで 豪雨に濡れている 襟を立てて冬を好んで歩いていたぼくは どこか遠くへ行ってしまったのか 恩讐のかなたへのトンネルも 渓谷へ足をのばす気もしなくて 案内された温泉に亀のように身を沈め 記憶をたぐりよせては 流感の気分のように いつまでも定まらぬ定めの人の世を 掌に乗せて考えてみたりする トップにもどる
チェーホフ つらくて もうこれいじょう生きられない などとなんども考えた若い日に かならず思い出したのが チェーホフの独白劇の科白だった 煙草の害について 講演をはじめた主人公は あーわたしはなにもかも捨てて逃れて 案山子のように 独りきりになって 茫漠たる野原のただなかに 月光を浴びながら たったひとりで立っていたい…などと 忘我に語るのである しがみつかれたしがらみから 脱走かなわなかったわたしは これを読みながらともに 案山子になって月光を浴びていたものだ 三好十郎の廃虚の科白にも 分る、わかるけれどもさ アッラーの神は曰く 一切は過ぎ去る すべてはほんの一時さ という科白があって いくたび反芻したかしれやしない いまだに 胸のなかのスクリーンに 電光板のニュースかなんぞのように この科白は流れてくる なぜチェーホフの主人公がそういったか どうか手にとって確かめてください トップにもどる
く す の き 正祐寺の 大きな樟の葉に染まりながら 日本語の入門書を開いていたペテロが あれから十年を閲して ふたつの日本の大学院を卒えて ことし神父になる 比較宗教学を専攻する彼は キリスト教と仏教との狭間の 目には見えない壁を くぐり抜けて 受容する 自分のいのちの在処を キリストや仏陀の教えのなかに さぐっていたにちがいない 禅寺や 東光寺の磐余堂で 夜っぴて座禅を組んだりしながら 求道するたましいを磨いている 先日関空から電話があって イスラエルを経由して いまから故郷へ向かうという 五月にぼくは ベルギーへ ときたまに吹き鳴らす幾管かの笛をもって 彼の叙階式にでかける約束だ 仏教風にいえば 発心して外つ国に暮らし 樟の木陰で出会ったひとと 光と闇の朦朧を論じたりするのは いかなるカルマの業ならんや トップにもどる
枯 菩 提 樹 今月の和尚の詩には しばしばおなじみのキャラクターが現れる 人物のみならず いま腫れ上がって痛かゆい 一昨夜ぼくの手首に咬みついたムカデ -こいつは即刻サンドイッチの刑に処したが… 暗闇のなかから 不意に黒い毛並みを躍らせ 影のように 夜中でもトイレまでくっついて歩く マニス・ノアール なんどか植樹しながら 冬を越せなかった枯菩提樹なども つましいわが日々を彩ってくれる 思念のなかの共生浄土のいきものたちだ 世界の各地に 憎悪や敵意が芽生え 根がはびこり テレビの画面に 非情の絵が流れては消え わかものたちの理想も 生きはじめて間もない子らが こぶしに握ろうとするちいさな未来も あっけなく奪われてしまう画面を見ながら 古来永劫 神もひとも ほんとうは激しく願うものを 持ってなどいなかったのではないかと 無力無能の人間たるわが存在を恥じるのである 【註 サンドイッチの刑=ガムテープで捕捉し二つ折り】 トップにもどる
蒼空のかなたに 東光寺へ来るまでは 季節の動きに 鈍感ともいえるような ゆとりのもてないくらしだったのか 春先には 樟や樫の常緑の木々にも わんさか落葉があることに はじめて気づいたほど どこかが不用意なまま この歳まできてしまった いい加減なあてになどならない男 青春の見果てぬ夢の夢を いまもこころのどこかに宿しながら ことしは もはやそうでもあるまいがと 運命にうそぶかれるような 冷厳な事実を突きつけられている 浅い春 芝居の仲間がひとり鉄路に果てた カトマンズの友からの便りには 三月はじめ わが法兄 スマンガラ師がいけなかったとあった ぼくがパンを丸めているときに グライダーに揺られるように 陸月 ゆらゆら 蒼空のかなたに 姿を没していった奴もいる 端然と身だしなみを整え 愛用の椅子に座し 画家の目で八月の庭を眺めながら ぼくの潜在意識にいつもいたひとが 熊蝉を耳にしながら その日すべてを閉じた 突破口をみつけねばと 九月の東光寺だよりに書き記し そのひとは消えていった 予期しなかった出口を抜けて おとといの朝のことだ ぼくはこれからやっとすこし ものが見えはじめるような気がしているが 目はいまなかば 暗緑の意味に視線を注いで トップにもどる
酸っぱい この間 一八年間も乗ってきた自動車を まだ動いてはいたのだが もはや限界 という判断から ぼくはそれを廃車にして 乗り換えてしまったが おまえとかきみとか 親近感をもって呼びたい愛車に どこか裏切ったような すまないような気持ちを抱えて 新車に乗っている とても快適ではあるのですが… 毎年 梅雨があけたころに 昨年の分もこなしきっていないのに 仕上がった 作り立てのたくさんの梅干しを 送ってくださる方がいて 今朝も宅配便が配達されてきた 一昨日からぼくは 過労から腹痛と下痢気味で お粥と梅干しのことを考えながらも まだ実行しないで 日を過ごしていたが 東光寺だよりの手をとめて いまから お粥を炊いて休息としよう ああ酸っぱい トップにもどる
明日もまた 明日もまた 昨日や 今日のまま だらうか ぼくがこどもの頃の 空も大地も なくなってしまったのだから などと思ひながら トンボの行方を追ってみる トップにもどる
いずこへ 方十里 どこにも家は ありそうにない ロードムービーの 行き暮れた人のように 肥えた女が 佇んでいる 没日はまじかい トップにもどる
だ れ が だれが願ふのだらうか 地に満つる邪悪 冒されゆく大地 知と無縁のところで 花々は咲き 樹々は天に向ふ トップにもどる
足すことも 足すことも 引くことも 必要のない 大自然の 流れのなかに 身をまかせて 流れるがいい 鉄とコンクリート で身をかためた 大都市で 唇を光らせて 飽食しながら そんなことも 想ったりする トップにもどる
地をわたる 地をわたる 風や 水のことばで 傳へようとする 消へてしまった 星の物語を 聞こうとする 耳をもたない 救へない 人間のために ノアの時のように 水は ふくれはじめる トップにもどる
暮れゆく空を 暮れゆく空を こよなく愛して 盃を手に 捨ててきた ふるさとへ通じる 電線を見上げたりする 明日もまた 陽は昇るだろう 知らない街で ぼくはまた 盃を手に 没日を眺めることだろう トップにもどる
海 原 に 海原に いるかは 反転しながら はるかの 山を想ふ トップにもどる
か つ て かつて 土着の民の 雄叫びの 尾をひいた土に 乾いた 風が舞い 水気の無い大地から それでも 発芽のきざしはある だからぼくは信じる ここは神から見放された いきものたちの 最後の地であることを・ トップにもどる
文 明 の 文明の ひとは おのれに 不用のところを 沙漠だとか 原野だと叫ぶ インディアンは その地を 神々の住まふ サンクチュアリ と呼んで 地に額を つけて わがいのちに 感謝する はじめに キノコ雲は この地に立ち上った トップにもどる
窓 東には鳥見山 南には森の細道が見え ゆるい登り坂を 伸びた樹々が両側から覆い隠し 郵便配達のお兄さんが 顔にかかる蜘蛛糸を払いながら 駆け降りて来る道だ この道が すぐそこで尽きることを知っているのは ぼくの浅知恵だが キーボードから手を放して 水に抉られた道を見詰めていると 冒険少年の脳髄が立ち上がって この道をかき分けて辿れば 粗末な小屋に なにものにも汚されていない 未遭遇の種族が隠れ棲むところに 出るように思われてならない 早朝よりは 日差しのきつくなる時間に 森の道の闇が濃くなり さっきまで見えていた細道は すっかり墨を塗られてしまった 春さきに あなたにお知らせしたシック小屋が すっかり病い抜けし ぼくはそこで森の道を眺めながら こうして今日も 一日が始まりました トップにもどる
地 平 線 けもの道もみえないような 原野の高台に 孤り立って 地平線を見ていた男の目で ぼくも遠く見る 見えるのは 景色なんかではなく 祖父たちが 血を流して戦ったのに 結局は失ってしまった 何かだ トップにもどる
カップル わたしは あのようなよわいになるまで 肩寄せあって生きてきた カップルを見ると 息をつめて見つめてしまう そうあってほしかった 父と母は 意のままならぬ人生に 疲れはてて さよならを 告げていったから トップにもどる
不 滅 雨や風 恋や涙の さんざめく記憶を 額にきざみこんで あきらめたわけではない 人生の残余を けんめいに生きようとする 女のいのち ついきのうのことだから 明日にだって…… トップにもどる
流 れ る ひとは 生涯のあいだに いくつの川を眺めるだろう ひとは 生きているあいだに なんにんの人を愛するだろう ひとは この世の終りの その日の夜明けに なにを反芻しながら あそこへ向かうのだろう トップにもどる
NOTE あなたが佇つところに 影がうつるように あなたのすることは 地の記憶に 刻みこまれる あるいは星たちの ことばで 語りつがれる トップにもどる
沼 もの言わぬものは 思想も意志も持たないように 思いなして 萬物の霊長などと 自らを規定する文明の民 原野に 無と闇をしか見ない民 新月のまっ暗のなかで 風もないのに 沼はひかり そして 笑う トップにもどる
ポケット 胸のポケットのあたりにさりげなくいて ひとのこころを あたためているのが 友というものだ ことしはなんどか それが不意に重くなって ぼくがそこに触れてみると ポケットはからっぽ なんの気配もない 日だまりのような空間があるきりだ ともだちよ 旅立った えにしのひとびとよ ことしはあまりに頻繁だったので もっとあったかななどと ぼくは軽率にも なんどか指折り数えてみたくらいだ まだあるのがふしぎかも知れない ぼくのきょう 朝のしろい時間 思えばたちあがる ともたちの無数の記憶のジャングルを かきわけつつ なにげないふりをして ぼくは仕事に取り組みはじめる 無為有為をこえていちにちを生きるために 台風がまたやってきたという 先日みまかった 童游女の暮らした地に いま風が荒れている トップにもどる
twenty nine お盆あけ 徳島へ墓参のおりに 鳴門市を訪れた トロッコかと思うような 幅狭く感じる 単線のレールに無人駅 往時の記憶と重なる風景はどこにもなく わるがきのぼくが だれかが乾燥させていたタドンを 駅のフォームの側面に投げつけて ボンと黒い粉塵をいくつも立ち上げたのは たしかこの駅にちがいないのだが 駅前の二階建ての長屋も 長屋の路地の奥にあった 七人の家族が暮らした粗末な小屋も もちろんあるはずはない 目を閉じれば あったものが見えそうなはずだが こうして閉じてみると それだって曖昧模糊としているのだから 現実のほうがどんなに変貌していても 半世紀の時間が刻んだものにいうことはない ぼくはゴムの木のようにじっと立って 両腕から胸にかけて 脈打って流れる体液の音を聞いていた そこは転居三ツ目で twenty nineというのは これまでにぼくが移り住んだ部屋数である トップにもどる
水 深い深い深い井戸を覗きこんだことがある そこのつるべは 三百回も綱を両手でたぐらないと 水はあがってこないのだが バケツいっぱいの飲み水が欲しさに 母とふたりで 知りあった農家に もらい水にいったのである 父が見つけてきた転居先には 井戸が見えていたので なんの疑いももたずにそこへ来たのだが それは空井戸で やむなく南河内の狭山池から落ちてくる 家の裏の副池という細長い池の水を生活に使った 山田の瀧の宝輝院に 充分な生活用水が無かったことが判明して ふんだんな水の確保のために試行錯誤しながら そんな昔を思いだした ぼくの記憶はまるであてにならなくて くりかえしながい年月にわたって 思い出しては反芻していれば しぼんだりふくらんだりしながら 現実にあった風景のように なにかが見えているだけなのかも知れないが 脳髄のちいさな細胞に水になって ひっそりとしまわれているひとの思いが 感情の小舟の揺れにのって 今日も立ち現れてきたりする トップにもどる
失われた音楽 なにが大切 と語尾あがりに だれかに聞かれたら なにを思いうかべるだろうか おそらくは 失われた時のなかに それはあって いまでは手にいれられないもの よしんば記憶のなかに 母からの愛や からだのなかには 祖先から脈々たる血が流れているとしても ぼくは野の花の綿毛 いまじぶんがこの両の手でなしうることは いったいなんだろうかと 見据えてみる 故郷の河川に 河口堰が作られそうな話を聞いたりすれば 怒りを覚えるよりさきに 胸の空洞はもっとひろがる あざとい人間の営みに 歯止めをかけた 神さまもひとも 今昔いなかったではないか などと 最近切り払われて空が広がった 東光寺の裸の裏山で 自問自答をする トップにもどる
それはちがうよ こどもの頃から くだもののなかでは 柿がいちばん好きだと思っていましたが ときおり見かけのいい柿を季節に買ってみても 似て非なる味がして いまは好きなものではありません それは柿などというに値しない 柿を育てる大地もひとも 信ずるに足りないことが 舌から伝わってきます 日本の大地は いつからかうまいものを育てられなくなった いつとは知らず 海の魚の味まで こどものときの 舌が記憶する味には及びもつかないのです あの味をもういちど舌にのせて うまいなあと 思わず舌鼓をうつことができたら それこそグルメの極致なんですが もう出会えませんね ぼくの舌の記憶は セピア色に変色した写真のように はるかのむかしをなつかしむていの ふたしかなものではありません などと つっぱるほどのことではないのですが 形と色は昔のままかも知れませんが 中身がまったくちがうのだという証言は 記憶を持つものにしかできないのでいうのですが トップにもどる
寒 月 ちんと鳴りそうな 凍えた空に 寒い月がかかっていて 月から落ちてくる風のなかで まばらな冬の 林の枝の 蜘蛛糸に絡みついた枯葉が 尻尾をふっている これはわが窓からの眺めだが ぼくは冬の風のなかを 十九か二十歳の頃 コートの襟を立てたりして ラスコリーニコフの気分になって もうどこにも神はいない なんて確信しながら 市電の走っていた大阪の町を 悲壮感を友にして歩いたことを思いだす 死ととなりあわせにいたような きざな物思いの季節は もうやってくることはないが いまだにわびとかさびとかにも無縁のままで お茶よりは珈琲を ご飯よりはパンをより食べる ちかごろのくらしと むかしのことをついふり返ってみる キーボードの冷えきった手 執拗に甘えてまとわりつくマニスを つい邪険にあしらったりして やさしくないぞなどと自戒しながら 寒月の夜は更けていく トップにもどる
満 月 月曜日には 早暁に起きだす 三時からメールのやりとり パンを作るために 五時前には ハンドルをにぎり 山の辺の道を一路 生駒山の峠を越える阪奈道へと向かう 瀧のある宝輝院のあたりでは 祈念を送りながら通過 奈良へさしかかるのが五時半 ぼくはその道が大好きで 鹿に気をつけながら 飛火野あたりを走りぬけ 奈良公園をつっきって行く 今朝はまだ夜明けに暗く 正面に影を見せる生駒山には 大きなまんまる満月がかかっていて 阪奈道路を抜ける間 真っ黒な雲が なんども月を覆っては またひょっこりと顔をだす 自然はいつも まわりの人間たちよりもしげく まろやかに 語りかけてくれるので あたためられた気持ちを抱え 少し赤みがかった 中天より三倍も大きい月に向かって わが愛車は 長い下り坂を疾駆する トップにもどる
こ と ば いろんなことばが こころのなかを 通りぬけていく 火を吹き 火をつけ 火を消し ひとを仏にも鬼にも変えることば 風を起こし 風を静め ひとを味方と敵に分けることば 病を起こし 病を癒し ひとことが 閻魔の裁きのように だれかの運命を翻弄することば 深いたくらみがあって 発することば だれかのものになりたくて 熱い思いで語られることば だれかを変えたくて 叱る 怒る 愛と 憎しみ それらを運ぶもの どんなこころもぼくのもの このごろは ことばをあげる前に こころのわが色にぼくはふりかえる トップにもどる
オガタマノキ 南の島々は もう梅雨に入ったという 新緑がせめぎあって色を増してくる 東光寺の庭では 数年前に植えた オガタマノキの花が咲きはじめた 南方の果物かと思うような 吸い込まれそうなあまい香り 樹高約三メートル 目立たない花をたくさん開いている 花に目をやるとき 花からこころを見詰められて たじろいだりしないか 小賀玉の木 黄心樹 招霊木 などといくつも名をもち 太さ三十センチ十五米を越える大木になり 神社に植えられることが多い などと図鑑にある 欲張って いろいろな木を植えすぎ これでは共生どころではないと判じて 昨日は椿をよそへ移し 喘息だったぼくが夜中に窓を開けたように せめぎあった空間を広げたら 一息ついたように大きくなった オガタマの花が終えるのを待つかのように 沙羅双樹も 沢山のつぼみをふくらませはじめた トップにもどる
南島にて 六月 沖縄へ飛んだ 起伏の多い町で 三味線などかき鳴らし うちなんちゅうはにぎやかに暮らしているが 平らなところは ほとんど米軍基地だと ぼくに話してくれるのは 東北生まれのやまとんちゅうだ いまは無くなった ちいさな地下の劇場で 十数年のむかし 陸郎の書いた芝居を演出して この島へ来たことがある 三日間で 十人足らずの客が入って 島のひとに 見捨てられた気分になったものだが やまとんちゅうのぼくらは むかしもいまも 観客のように見る眼をもつだけで いつまでもこの島を見捨てたままだ 辺境に追いやられて 居留地に暮らす アメリカインディアンの笛をかかえて ぼくはここへやってきた 南島の明るい音楽と束の間ジョイントをする 愛しい音色が溶け合って 雨季の島の夜は 更けていった トップにもどる
せみしぐれ 熱帯夜が続いた 久しぶりに雨が降った その夜明けに 苦悩多き人生を共鳴するかのような ひき込まれそうな ひぐらしの哀唱 たとえ疲れが取れていなくとも ぐずぐずと寝ていられない年になって ぼくは起きだす 朝にやってくる直感を大切に また今日一日をはじめよう 改築中の宿坊が 襖を残すだけになって 棟梁に呼ばれたり 電話工事の確認があったり きょうも石段を何度か昇り降りする ひとがなにもかもやめる年になってから 新しいことをし始めるのは ぼくがいまもうたた夢のなかにいるからだ マニスは幅の狭い窓枠に動かず 飽くことなく雲と森を観察している 陽はまだたかく クマゼミが鬨の声をあげて夏を圧しているが ジーと耳を澄ますと ニイニイゼミも アブラゼミも混声合唱していて あせることも 慌てることもないといっている トップにもどる
零からはじめて くっくくっくと山鳩がまわりを起こす 目覚めて耳を欹てると 初秋の虫の音が叢から湧いており まだ外は暗いが マニスがあけた障子の穴から 黒樫の葉群れのシルエットを透かして 朝焼けの濃い赤雲のへりが見える 昨夜遅くまで編集していた アーユルヴェーダ研究誌のなかみが あたまにへばりついていて 首筋から前頭部へ 興奮冷めやらぬ血管が脈打ち 匍いながらのぼっていく ぼくはじっとてのひらをそこにあてて 時の騒ぐのを静める あたまのここがぷつっと破裂して あっけなくぼくは死んでいくだろう そう始めて予感したのは九歳の時だが 人生の続きがまだしばらくはありそうだ 東光寺だよりは零号からはじめたので これで五十回を数えるが 次号からはペースを落して隔月刊としようか そんなことを考えていると 東光寺山の急斜面の栗の木林で 下草を刈るエンジンの音がしはじめた すべてが勤勉に基ずくかのような 伝来繰り返されてきたにちがいない 早朝の田舎暮らし 真似はできないやとぼくは寝返りをうつ トップにもどる
よみがえる 初夏のころ 椎茸の榾木にするために 東光寺山のクヌギや小楢の杜が ばっさりと切られて裸山になった 何年目かには繰り返される 里山の営みだが 平らになった山のかんかん照りは ひとを寄せ付けず わたしは眺めたくもなくて 裏山へはしばらく敬遠していた マニスも行こうとは誘わないのである だれも見ていないところで 林は野生にかえり 草も笹も芒も伸び放題で またたくまに 郵便や新聞の配達される小道を残して 立ち入る隙間もなく 背丈を越える草が覆った いままでここに見なかったような草も 裸の地にパイオニアとして さっそくやってくるようだ 生存競争に鎬を削って 繁茂する草たちを尻目に 秋になると 切り株から伸びだした小楢の新芽が もう背丈の倍にもなって黄葉している 間もなく杜はもとの姿にかえるのだろう 師走にはいったあたたかい日 わたしは鎌を研いで 草に埋まった石仏たちを取り戻した 註 (鎬=しのぎ) トップにもどる
新世紀へ 寒い風が舞う師走 庭では 花言葉が 陰徳だという 万両が実をつけている 足を止めるひともいないのに 懸命に咲くから陰徳なのか 花でなくてこれは実だが それでも花言葉というのかと わたしは 今日はすこし理屈っぽい 昨日来た楽健法を学ぶひとが 正月の飾りにしたいから 一枝くださいといって 大切そうに持って帰った 楽健法の花言葉か などと思いながら見送った トップにもどる
め し 夕方、米をといでいて あ、これは前世紀の米なんだ などとなにか大発見した気分で 冷たい水を我慢しながら 二カップの前世紀を洗った 今年からぼくは 国民年金を受け取る歳になって 早く言えばおじんだが ハートはいまも少年の あのあたりに置いてきたので 世紀の区切りを跨いでも 敗戦前後の視点から 自分の暮らしをつい振り返るのである 五十数年前の夕方には 父が職場から持ち帰った木っ端で 煙に目を細めながら 大家族のメシを 毎日ぼくは炊いていたはずである メシではなくて 芋の葉雑炊だったかも知れないが 竃のまえにつくばって 口をとがらせ 火を吹いたりしながら 目に染みた煙は いまもぼくをもやっと包んでいて 煙たい涙を流させるのだ きょうまで延々とぼくを運んできた もう記憶だけになってしまった 前世紀のながい時間を シャカシャカと洗って流す トップにもどる
こもれび 火曜日 僕の安息の日 けだるいパン作りの日の翌朝 おがたまの樹に来た 小鳥の声で目を覚ます 苗木を植えて十年になるが 今年はたくさん蕾をつけて まもなく地味な花を開く あのいい香りに包まれるのが楽しみだ 年月の推移につれて 地面の下では この杜を乗っ取ろうと ひそかに根を張って おとといも 重い石佛を持ち上げ 突然ぬっくと立ち上がったやつがいる 傾いた石佛を移動させて ぼくはやつに場をゆずったりはしない 食ってやろうかと思わないでもないが こうして伸びた筍は 固くて食えたものではない お前はここに相応しからずと スコップの柄を握った 木漏れ陽が 真東から座敷にさしこむようになって 今朝は ガラス障子に映る葉群れの影が 積み重ねた書物の表紙にも揺れていたりする トップにもどる
鵯(ひよどり) 早朝に目覚めて パソコンに向かう メールをチェック マニスは キーを打っているぼくの膝に 背中を丸めてうずくまる 下ろしても下ろしても きまじめなまんまるいまなこで しばらくぼくを見上げてから 膝に跳躍してくるので 根負けして抱いてしまう 珈琲とパンの 軽い朝食をすませて 小鳥のために食べのこした 天然酵母パンをこなごなにして 先日来コクゾウムシが歩きはじめた米とを 一掴みにして庭に出る ほんとうは目白や鴬と出会いたいが カエデの枝に掛けた餌台には 雀と鵯がやってきて 競い合ったかれらの朝食がはじまる 中国人の女の議論を聞かされるような 興奮気味の鵯の 甲高いメッセージ 薄雲を透過して やわらかい陽が射す 朝のひかりは 今日もいちにち大丈夫だよと 生き物たちに届けられる 原初のいのちからのメッセージだ トップにもどる
ズ ボ ン ほんの二週間足らずだが 月末からインドへ旅をするので なにを着ていこうかと考えてみたら 頭に浮かぶのは 穿きくたびれたズボンが一つきり 対象がなくては 選択もできないので せめて新しいズボンで出かけようかと ぼくは今朝 ズボンを引き取りに行った オーダーなんかではなく スーパーで選んで 裾の加工を頼んであったのだ なりふりはかまわないほうだが 持ち帰って穿いてみると やはり着古したズボンの時よりも こころのどこかがしゃきっとする なんだかすこしうれしくもある 新しいズボンを穿いて キーボードを叩いていると マニスがさっそく 真新しい膝の上に飛びあがってきた パソコンのなかでは さっき放り込んだ モンマルトルからのエミリーのCDが 軽快に鳴りはじめ 新調のズボンに黒猫か などとひとりごちながら すこし洒落た気分になる夕方でした トップにもどる
神 話 ふたごのビルが崩れ落ちて もの思うひとは ことの因果を咀嚼していたに違いないが ヒマラヤ山系の端っこに あかぐろい意志をもって ビルを睥睨していた奴がいるからと 短銃を両手で回転させる 西部劇さながらの男が あらゆる悪の根源を抹殺すると 決闘に乗り込んだ 懸賞つきの目当ての男は見当たらず 荒廃の地に 廃虚はさらにひろがった 花が咲かない乾いた大地には こどもの足の裏で 破裂する蕾が無数に眠りについている 矛先を変えて 千夜一夜の悩ましい物語と 油の眠る大地に ちかくまた二丁拳銃が 火を吹くだろうが なにかをぬぐい去るつもりの大地に 新しく蒔く種は どこの大地でテロルの風を揺らすことか ひとも神々も無論知らない トップにもどる
猫と菩提樹 今年は雨が多いので 木立や草が茂り放題の山に変貌した なんどか試みた伐採も そのつど櫨の木に反撃を受けて ぼくは何週間もかゆみに苦しめられ 山を従えようなどと思うのは 思いあがりかと鎌の刃に問うてみる 東光寺へきてはや年月が一巡りし 見かけはかわらないが 小鳥や鼠を持ち帰らなくなったマニスは それなりに老けてきているのか ときおりくしゃみをしながら 右の目から涙をながす ぼくは留守がちで 昨日も東京から五日ぶりに帰山すると 出迎えてくれたマニスは 夜中だというのに 興奮した黒一文字の影になって 庫裏を端から端まで疾走する その跳躍ぶりに 東光寺へ拾われてきたころの 若い猫のままが現れていて 喜びは老いかけたいきもののからだに なにかをよみがえらせるのかと 家内にもしないのに 抱き上げて頬を寄せてみたりする この夏 印度から昨年持ち帰った菩提樹を庭に移植した まだ背丈にも及ばないが 温暖化してきた冬ならば たぶん生き抜けるだろうとの 三度目の試みだ RUIの月のしずくなどを聴きながら 自覚年齢不詳のぼくは 今夜もマニスをひざにキーをたたいている トップにもどる
冬 景 色 むかし 菩提樹の下で 悟られたという あのお方が いまいられたら なにを なさるのだろうか 仏陀も キリストも アラーも ほんとうに地上に よき種を蒔いたのか 世界が 混沌として どれほど 多くの人々の祈りを 束ねても とめられない 壊すために光る 重火器が ますます 暗黒をひろげるばかり トップにもどる
ちょっと春 こころのなかが 冬だといえば 満たされないものをいっぱい抱え込んだ 哀れな心根で過ごしているひとみたいだが 因果を自覚しないで 種を撒き散らしながら テロルの根絶をしていると錯覚している イラクやアフガンへのアメリカ流荒療治 自分が受けてきて苦しんだはずの屈辱を 平然と他国に返礼するイスラエル 返礼に返礼が重なる テロルの応酬 世界の荒廃ぶりを見ていると だれものこころが 冬になって不思議ではない 東光寺山の冬景色だが 成長した檪や小楢は 冬になると葉を落とし 裸木になってしまっていたのに 数年前に伐採された 檪や小楢たちは いまは元のような高さに育ってきたが 冬になっても 枯れ葉を枝にくっつけたまま すこしも落葉させないことに気がついた 若木は 自分が大人になるまでは 樹体を保護するために 冬になっても衣装を脱がないようである 賢いものだなぁと 和尚はちょっとこころが春になるのであった トップにもどる
みんな夢のなかで ひとはだれでも 自分のイニシャルの形で歩く ひとりひとりの夢がちがうように 自らが蒔いた種が 収拾のつかない混沌をつくりだしたイラク 繊細などとは程遠い アメリカの大股すぎる歩き方に 後ろからがに股でついて歩く われらの同胞たち 家族さえも放棄して コンビニ前にたむろする 若者たちのひたいには うざいんだよなどということばが 刻み込まれていて だれも恐がって声をかけようとはしない 満員電車で混みあって接していても 同じ家のとなりの部屋にいても 同じ空気を吸ってはいても ひととひとのあいだには 埋まらない空間がひろがっている だがこんなふうに書くのは ぼくの誤解ではないだろうか 家族が和やかに団欒する風景は ぼくがものごごろついてから つよく願ってきた夢なのだ 世界中には 多くのあたたかい団居が いたるところにあって 体温を抱きしめあっているのだろう イラクで三人の同胞が人質になったという だれが夢を破るのか なにが夢をかなえるのだろうか トップにもどる
クルー渓谷 何度目かのインド 長時間の 田舎道のがたがたバスの旅 よもやと思うほど はるかな山路の果てに 群生する大麻の道を踏み分けると ヒマラヤを望む レーリッヒのたたずまいがあった 現代と古代 霊界と俗界との境目 この眺望のはるか奥地に想いを馳せながら この地を終の住まいとさだめ ここで閉じられたレーリッヒの花 シャンバラはここにはじまり ここにおわる 墓石に刻まれたインド文字には 正しい思弁と行いを だれもができるようにと残した アグニヨーガの種が 雨のなかで燃えている レーリッヒの画集を見ながら いくたび ぼくはこの地のことを 夢想したことだったか 山々は雲を腰巻きにして ぼくを見下ろしていた トップにもどる
ヒメダカ 庭に据えた 陶器の火鉢に 水草がしげり 夏には可憐な 白い水中花が揺れる 餌もやらないが 三年目になる 数匹の金色のメダカが ときおり浮遊している 年の暮れ 草をたぐり寄せ 水をかき回しながら 落ち込んだもみじ葉を 手のひらで掬いとると 水の冷たさが からだの 芯までしみとおる ヒメダカよ つらくはないか トップにもどる
哀 れ 蚊 ぶんぶんと音がするわけではない 右手を広げて じっと眺めると わが右目の視野の中を 黒い昆虫のような影が浮游して 掌を這っている 鉄道地図さながらに 影から影へと 線路のようなものがつらなり 駅の記号に似た丸いあぶくも 黒き影とともに移動する 目をかくのごとく覆うものを 飛蚊症というが 時季おわって飛んでくる哀れ蚊ではないか 先日ラジオを聞いていたら 網膜剥離の前兆かもしれないなどとこわいことをいう これはやばいぞと思うけれど 飛蚊症とのつきあいは かれこれ二〇数年にもなるだろう なにをいまさらあわてることがあろうかと 動揺しそうな自分を観察することとする 冬には蚊が出ないので ストーブから逃れて ゴム長靴を履き 東光寺山の 檪の下の伸びすぎた薮を 半日かけてせっせと刈っていたら 飛蚊症の目に 不動堂の左の杜が 生まれてはじめて見るけしきのように ひろびろと明るくなってきた トップにもどる
写 真 いがくり頭のこどもたちが詰め込まれた 六十年前の写真が出てきたので スキャナで拡大して飽かず眺めている 羽織袴を着た庶民的な丸顔の本田先生が 五十名の生徒たちの前列十二名の真ん中に すこし左に顔を傾けて座っている われら男子は兵隊に模してみんな丸刈りだ 前列の生徒は膝の上でぎゅっと握りこぶし 左の胸には血液型も書いた名札を縫いつけ レンズに未来をにらみつけている このちびたちは 昭和十六年の国民学校一年生です 先生の左隣の怜悧そうな 旗を握って畏まっているのが級長だが こいつのことは記憶にない そのとなりの黒色のズック靴 座高が低く黒人かと思う顔の色 大きいおでこをしたのがぼくだ 名前を思いだしたのは 岩井宮本矢達広田須藤の一割だった 覚えているのに名前の出てこないのがいる 廊下で格闘遊びをして頭を強打し 翌日に死んだ子だ 揃ってお葬式へいった 母親の泣き腫した目がいまも見える 広田はぼくよりもっと黒い顔をした 学校でただひとりの朝鮮人で いじめられてはすぐに泣いて家に帰る ある日親父がエキゾチックな剣幕と滑舌で 教室に怒鳴り込んできて 先生も生徒も恐れをなして縮みあがった 怒った顔も気迫もほんものだった 十二月八日に真珠湾から戦争がはじまった 信じていた神風もまったく吹かず 苦難の戦後がやってきてすぐに ぼくは故郷に永訣して旅立った だれにもさよならもいわなかったが もう無事に古稀を迎えたろうか 国民学校の正面玄関が端っこに写った セピア色の写真のなかではみんな 時のとまったままいまも生きている 武士は食わねどみたいなきびしい顔をして トップにもどる
クルー渓谷で かつて重役タイプなどという 貫録たっぷりの 成功した男たちというイメージが 歩いていたことがある 質素な食事が食卓にならんでいた時代 肥満した人間がまれだったころだ 大きいとか太いということは 羨むべきなにものかであり 戦に敗れた日本人は 列強に伍していくために 産めよ増やせよから 食え肥れという課題をもっぱらにし 戦後の欠乏から脱して 有り余る豊かなくらしになり 重役タイプが死語になり 病院漬けの人間が充満する国に変貌した クルー渓谷のリンゴの村では 地に落ちたリンゴは 人にけっして食べさせない風習だという バスからの眺めだが 身の丈にあわせたかのような 小作りの家が リンゴ畑に点在していて クルー渓谷の農家は リンゴの森になかば姿を没している 小さな顔に大きな目の痩せた男たちは いかにもインド人なんだが バスで走るわれらを無関心そうに眺め ものを問えばはにかみながら 朴訥に応えてくれる 都会のような大声のおせっかいも バクシーシと手を伸ばす物貰いもいない リンゴもひとも痩せていて酸っぱく ぎりぎりに生きて精いっぱいなのだろう それがまぶしく 懐かしく羨ましい トップにもどる
紅いほほに --湯沢様へ-- 庫裡の障子に朝日が差してくれると ほほえみで一日がはじまるが 今朝のように びじょびじょと雨脚が鳴ってきこえて しんしんと冷えてくると すっかりいくじをなくして 白湯でも飲もうかと台所へ立つと 机の上にひとつ あなたが送ってくださったリンゴが 紅いほほをして ぼくを待っていてくれました トップにもどる
さ く ら 地球温暖化だというが 地球寒冷化という学説もある 真理はひとつと考えるひともいるが 立場がかわると真理も逆転すると僕は思う 今年の大雪や冷え込みから考えると 寒冷化を信じたほうがよさそうだ 廊下から見えるさくらが満開になったのは 例年より数日遅い四月五日 鴬は三月三十日から鳴き始めた 花冷えに背中を押されて パソコンの手をとめ 日だまりのたっぷりある お不動さまの座る山頂にやってくると ここもさくらが満開 ろくにブッシュも刈らないまま 荒れ地になっていた裏山に 松山から毎月やってくる辻田さんが 気前よく種をばらまいてくれた 菜の花が真っ盛りで 老いたさくらと宴を競っている 桜の幹から真横に伸びた 何本かの太い枝は 樹皮から風化していって 骨をとがらしたように痩せ細った オブジェになっている 老人になれば 立ったまま生きて 立ったまま死んでいきたいといったのは ジャン・コクトーだが 東光寺山の四本の桜古木は 花は半分に減ってきたが やはり春がくると 華麗に青空をまとって なかば朽ちながら立っている トップにもどる
一 夜 立ち止まることができない 時のながれに きらっとひかる 小石を投げていた 若い日がみんなにあった 彼も彼女も いまでは 銀髪をなびかせ バッカスのひそむ こころの奥底へ 届かないかも知れない 思いを投げている 夜の闇は変わらないが 薄明から漆黒へと しずかになにかが移り変わるのを 凝視ながら さよならとはいわず またねと別れる トップにもどる
歌 --真美へ-- 止まることを知らない 時間を 堰き止めて 歌うひとがいる 歌のあるところに ひとびとがいて 流れていることを忘れ まぶたを閉じて聴く 人生よありがとう こんなにも多くのものを 私にくれて わがたましいにひそむ歌姫 ビオレット・パラと 神楽坂の夜を 歩いていった トップにもどる
雨 (斎藤のり子様へ) 雨 雨 に返歌してざれ歌を詠む 雨、なかなかふりやまぬがごとく 心、またゆれてやまざる若き日もあり 今、阿闍梨などと自らを名乗るはいとおぞましく思えど 時、いつしか至りてここに来たりし我なれば 花、咲くころならんかと思いて 雨、降ち来る天を見あぐる トップにもどる
虫たちとのコラボレーション カリっと何かを咬んだ 石が入っているのかと思いきや 五ミリ角ほどの左の奥歯の欠片だった すり鉢のような 噴火口のような いつもとちがった歯がそこにでき 舌が触れたり 鋸状の歯先を無意識にまさぐっている ものいえばやや重たく 舌がだんだん腫れてきた 土曜日には舞台があるので 治しておかねばと ぼくは火曜日に歯科医へ行った ここで治療を受けるのは 四年ぶりだ 虫歯の繕いはあったが 全歯が自前の現役なので 健康法の先生でもあるぼくの体面を なんとか保ってくれているのだろう 東光寺山はいま虫たちの合奏の季節 マニスとここに暮らしはじめて 永い時間がたち 今朝も窓への跳躍に失敗した 老い始めたマニスの黒毛を そんなに無理すんなよと撫でてやる ぼくは次に待っているだろう世界のことや がらんどうは歌うという 四十年も昔に書いた芝居を これが最後かもしれないと思いながらやる 虫たちとのコラボレーション 土曜日の公演のことを 歯科医の椅子に座りながら考えてみる 歯が欠ける年になっても 相も変わらず トップにもどる
影 絵 二人の祖母がいた ヨウとコギク ヨウは母の母 コギクは父の母 幼いころ ヨウは他家のおばあさんだと 思いこんでいた 母ともらい風呂にいく その家の手伝いをしていたからだ 二つほど年上のおんなの子が ヨウの手につかまって玄関で出迎えるので その子のおばあさんだと 長い間思い込んでいた その子の親が富山へ転勤し またもらい風呂に行ったとき ヨウが出迎えてくれた その日ヨウと風呂に入った それからヨウはぼくの祖母になった コギクは痩せて金壷眼だった 目に疑わしげなひかりがいつも宿っていた 月に一度はやってきて ぼくに質問をする わしがこの家に来てもいいのかい ウンとぼくが答える わしがこの家に来てはいけないのかい ウンとぼくが答える ぼくはまだみっつで聞かれたらウンという だれかがこの子に わしがここへ来たらいかんと教えておる 金壷眼がきらりと光る 母はうつむいてだまってる だまって縫い物をしながら聞いている 昭和の薄暗い影絵のなかで トップにもどる
眉 山 生きている人と 死んだ人の数はどちらが多いか 生きた人はかならず死ぬので 数は同じはずだが いま生きている人が生きている間は 死んだ人の数より生者のほうが数が多いか いやまてこの問題の立て方はどこか変だ 運転しながら あたまのなかを去来した想念だが 世界で一年に六千万人が死に 一億四千万人が生まれている 世界人口は約六十六億二千五百万人 この数の胃袋を養っていくこの星のすごさ などと脈絡なしに考えていると 明石大橋にさしかかった ここを渡るときには 徳島へ行き来した長年の数々のことを きまって思いだしている 混雑した戦後の阿摂航路の饐えた船室 長時間待たされたフェリー 出来上がっていく明石海峡大橋のながめ 神戸淡路鳴門自動車道の貫通 ハンドルを握る自分のなかとそとに 動いているもの 大鳴門橋にさしかかると そこは顔なじみのいなくなった故郷の地だ 他愛もない妄想を捨てて 混んでいる国道十一号線に入る 死者の数のほうがはるかに多いが はやり歌じゃないが だれもそこにいないかもしれない わが家の墓地がふもとにある 眉山がこぢんまりと姿を見せ始める トップにもどる
あまから おめでとうは ともに祝ったり 喜ぼうというあいさつのことばだが ことばとともにたがいに頭も下げる おめでたいといえば あまい味だけがわかって 人生のからさをわからない 馬鹿なやつのことも指す ところでこのごろの大手の経営者だが カメラに向かって しきりに頭を下げている 禿げた頭に汗が光っていたりして 畜生くやしい! という思いが見え見えで まごころなんて伝わってこない 天網恢々疎にして漏らさず などと思っても あの連中の厚顔さには歯がたたない 甘い菓子など食べつつ テレビを見ているわれらは あまいのだろうかからいのだろうか トップにもどる
ドングリ 天地は気まぐれなんだろうか 季節の移ろいぶりも 毎年おなじようだとはかぎらない 暖冬だとか温暖化だとかいいながら 今年は厳冬と暖冬が繰り返しやってくる 桜が咲いたがまだストーブが放せない わが住む庫裡は 裏山の湿気で柱が朽ちて 下を切り取られた柱は 三段に積み上げたブロックに そっと乗せて置いてある 阪神大震災のときには 目覚めて本を読んでいたが 震度四の揺れが五十五秒続くのを 時計の秒針から目をはなさず観察していた 廃虚になった長田の街を慰問して 笛を吹いたりしてきたが あれ以来 どこかの街で家を見ると 持ちこたえられる家と あっけなく潰れるだろう家が 確信をもって見分けられる わが庫裏は あっけなく潰れること請け合いなのだ 去年の秋に 重さで傾いできた庫裏の瓦を トタン屋根に葺き替えることにした 工事はあっけなく終わり 降ろされた瓦と土の量に いまさらながら仰天したが 軽く薄くなったトタン屋根に 激しい音でドングリが直撃する 風が強い日には 何百というドングリが一気に落ちる 以前よりきつくなった冷え込みに 雨音やドングリを音楽だと風流がりながら やせ我慢の山の暮らしのこのごろだ トップにもどる
夢時間 昨年七月に 孤独死したのか 中西康郎 はじめて出会ったのは一九六〇年 鳥打帽を被った面長のとがった頤 南のトリスバーには背の高いカウンター 凭れのない椅子に 痩せたお尻を乗っけて よじるように腰掛けていた 傲慢が服を着ているような仲間の詩人に 自由美術の画家だと紹介されて 中西康郎の目が笑ったが そのときいろいろ話したかどうか 半世紀を越えるながい付き合い 司会を頼まれた結婚披露宴や 出産や離婚もあって 生きることの困難について 互いにわかっていたが そのことには触れず 出会えばいつも酒になった 個展の案内葉書の讚を書かされたり わが詩集への挿画と装丁をまかせたりと どこかが似通った 親しい友はいつも胸に住まっていた ことし年賀状が来なかったので 予感はあったが 半年も知らずにいたとは… * 一九五六年ぼくは中島陸郎と出会う 中島陸郎は 線路工夫や石鹸のセールスを経て 裁判所の事務官になっていた 身内とは断絶したひとりぐらし 勤務を終えると 機関車の蒸気や轟音が聞こえる 中津の稽古場の幼稚園へ いち早くやってくる 園児たちへの紙飾りなどがある教室に 薄暗い裸電灯がともる きちんとしているが質素な身なり 稽古場の幼児椅子に座って 次回の公演の企画などを まつげが目立つ目で 自分の言葉を眺めながら 切符の分担はひとり百枚ですなどと 低い声で事務的に伝達する 高卒四五〇〇円ほどの初任給の時代 一三〇円の切符百枚は 簡単にさばける枚数とは思えないが 陸郎はたんたんと話しをすすめる 大阪円型劇場「月光会」 内田朝雄は陸郎の心酔する指導者だった 不易のものなどない世界に生きる 生き物のありように愕然とするときが やがてやってきたが 転身を重ねながら ひとつの舞台に結集するエネルギー そこに向けて連帯する こころの美を見いだし信じていた陸郎は 舞台の刹那の時に賭けて 青春の無残の花びらを振りまきながら 舞台の闇のなかに走り去った トップにもどる
旅・夢時間 木の芽時 樟や樫の木が衣替えをはじめる 器用な女性が 着用したまま別の服に着替えるように 樟も樫も旧い葉をどっさり落し 真新しい衣装をまとって 澄ましている 一昨日大和平野を一望する東光寺山頂に 地面を耕して植えた方四米の芝生は けさの雨ではやくも緑が波打っていた ひと月後に この芝生はインド舞踊の舞台に育つはずだ 中島陸郎が死んで十年目 大阪の若い演劇人が 小学校跡の精華小劇場で 彼の業績を偲んで記念の演劇祭を行った ぼくも駆り出されて公開座談会に出たり 五つは観れなかったが 三つの芝居に足を運んだ 友人三十七名が詩を書いて 詩集「劇・旅・抗・恋」を出版した ぼくは人生を旅になぞらえ 「夢時間」という詩を寄せた かつて陸郎はぼくに 戯曲を書くことを熱心に勧め 公演のお膳立てまでやってくれた 独白劇「がらんどうは歌う」 書き上げた原稿を見せたとき 読む前に陸郎は涙して原稿を握りしめた 彼は演劇する仲間や若者たちへ なにかを成し遂げることの意味を 伝え続け 前立腺癌をかかえて 奔走した公立の稽古場の実現目前に 旅立った あれから十年 相も変わらずぼくは 芝生を育てたりしながら ここで踊られるインド舞踊や 秋に演ずる独白劇に 想いを馳せたりしている 今朝から雨になって 植えたばかりの芝生に桜が 花筏のように散華されていた トップにもどる
五鈷杵 一枚の旗を 本堂の扉に掛ける 足元には陰陽の一体化した勾玉が描かれ 二頭の獅子が仏法僧の三宝を捧げ持ち 昇りかけた朝日に覆われている ダライラマが導いている国 チベットの旗 若い頃 河口慧海の本をなんどか読んで以来 憧れた国のいまは 憤りなしには語れないが この旗からは 地上の生かされているものたちの 母なる大地の実態や生態が伝わってくる 私のポケットにはいつも チベット製のちいさな五鈷杵が入っていて 私の老い始めた身体のお守りだ 手のひらに馴染んだ五鈷杵の 尖った切っ先を 疲れた首筋や 上がり難くなった腕に触れて癒している 東光寺山は 手入れの届かない所は葛に覆われ 細長い薄紫の葛の花が 葉群れ越しに見える どうかしたはずみのように この花が良い香りを放つ この花を眺めているとなぜか チベット人のようだと思う 追われても散らばっても 地に深く巨大な根を下ろして生きている 本堂に彼らの旗をかかげて 私は今朝も読経する トップにもどる
楽健新年 2010年元旦 昨年がそうであったように 今年もまた忙しい日々が流れていくだろう 組んであるスケジュールには 再来年のカレンダーまで埋まっていて いつまでも変わらない自分が 同じように動き回ることになっている 去年の秋にインドのグル シュリ シュリ・ラビシャンカール師と出会って インドでも楽健法が発芽することになった わたしはいまジャッキー・マクリーンの レフト・アローンという もの悲しいアルトサックスを聴きながら 年賀状を作っているが このジャズの気分のように ぼくの人生はいつも少しブルーなのだ 自分の書いた詩を読み返してみると 満たされる人生にはほど遠かった くらやみがものを言っていて 楽健法や天然酵母パンなどの健康志向は この悲壮感が持続させてきたのか かなり甘いなと思いつつ筆をおく 続く 次回アップまでお楽しみに!! トップにもどる