***** 詩集・雨季/山内博之 *****



			

雨季の扉・中西康郎


        ------ 目  次 ------    1  朝  2  旅  3  今 治  4  僻 地  5  久 留 米  6  ガ ボ 記  7  下 筌  8  芝 居  9  人 吉 地 方  10  雨 季  11  河 童 の 里  12  阿 蘇  13  長 浜  14  漁 港  15  四 坂 島  16  伊 豫 浅 海  17  跋 /国分重男

1966年頃の山内博之・画/中西康郎


                       *** 朝 ***    酒にやつれ    女と見れば近寄らず    肉親の存在を天に呪い    あたりをはばからぬ雑言の数々    これも僕の裸形のひとつだ。    鈍い陽の照る朝    不眠の    あかく汚れた眼のままで    パンへとつづく坂道をおりてゆく。    僕にも    かっては祈るような想いで    ささやかな静謐を夢みたことがあったが    人間の    なれの果てとでも言おうか    固く表情を煮つめた    見知らぬひとの眼で    つめたく僕に身がまえる    朽ちた牙のような影を    初老の父の    不気味な構図のなかに見出してからは    必要でないものは    肉親といえども例外ではないのだと    手に触れるような確かさで感じてしまうのだ。    営々とつみ重ねた時間が    小気味よく崩れ去る朝がふいに訪ずれる。    僕もまた牙をとごうか。

画・浜田弘康

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       *** 旅 ***    ごみだめの如き都会の    あらゆる系累を断ち切った想いで出て来た。    わずかに漂泊の不安を伴い    すでに急流に放たれた小舟のように    わたしは流されてある。    汽車はいま    麦秋の野を抜け    きりたった海岸線をひた走る。    落日の    ほのかな赤のなかに    わが非情の街は遠ざかる。    視野の極限    明快にのびた水平線のかがやきが    疲れたわたしの眼に痛い。    あした    そして一週間のちには。    われ知らず自然に孕む想いを    わたしは    まぶたのなかにしっかりと閉じこめる。                               トップにもどる


      *** 今  治 ***    突堤に人影なく    矮人のくに    勇戦これ見よとばかり紅毛の船が臥わる。    千古の昔から    この場を占めているかの如く    制圧の構え    寸毫も動く気配はなかった。    砲門は天を指し    男根のごとくいらだっている。    硬質なもの思いにふける幻の船。    戦時下、吐逆の想い    靄はりつめた朝の散歩を    わたしはそうそうに切りあげる。                               トップにもどる


     *** 僻  地 ***    いつか    この地方特有の    ふとくしぶとい雨が    わたしの神経までも冒していった。    すでに二週間雨はやまないでいる。    感傷の域をこえ    旅は生活の影をまとう。    小道具の包を持ちなおし    やや急な坂をわたしたちはのぼっていった。    水は校庭にあふれ    昨日見た球磨川の流れよりはやく    この坂道を下ってくる。    校舎のむこう    そそり立つ黒の山肌はしなっていた。    水をふくみ    その不気味な山脈は    いまにも人境おそうかと見てとれるのだ。    大水害の記事が脳裡をかすめ    不安な想いで    わたしは雨のなかに立ちどまる。    声をあげ    子らは窓に顔を寄せてこちらを見ている。    まもなく幕はあげねばならない。

				
			

 画・浜田弘康


      *** 久 留 米 ***    ながい間    雨季の僻地をめぐりめぐって    ふたたび久留米の街にまいもどった。    濡れそぼった山や    寒村の畑ばかり見てきたわたしには    街の夜景がなつかしかった。    雨はここでもふっている。    それでも夜には歩道に屋台の放列だ。    たたずまいきびしい    カトリック教会を横眼にして    宿屋の下駄をつっかけ    仲間たちは三々五々出かけて行った。    やき鳥やアルコールは    なわのれんのなかで    かなしい習性の男たちを待ちうけている。    女形あがりだという    なよなよした男と連れだって    わたしもまた    ささやかな宴に出かけていった。    盃をなめながらわたしは    かっては檜舞台も踏んできたという    女形の悲哀の半生に耳をかたむけてゆく。    もう中年ちかいその男の手は白く    彼の昔を偲ばせるのは    そのよく動く指ぐらいのものであったろう。    なかばどうだかと思いながらも    しだいに酔いのまわってくるわたしの肺腑に    女形のむなしいくりごとは    ひりひりとしみていった。                               トップにもどる


    *** ガ ボ 記 ***    どうする気だ、これ。    飼う。    どうやって。    箱に入れてつれて歩く。    ねエ、何をたべるの。    人間の食べるものだったら何でもさ。    歩くわ、なまいき。    しかもコミカルだ。    まるであひるそっくりだわ。    ばか、あひるだこれは。    だって色がついてる。    みにくいほうのあひるの子だ。    だったら……    ならないよ、まごうかたなきあひる。    ソプラノね。    死ぬだろうすぐ。    だいじょうぶ。    やき鳥になるかな。    そりゃいけるだろう、きまってるよ。    食べる気。    まさか。    ガッポ、ガッポ、ガッポ。    何だいそれ。    こいつが歩くときのオノマトピア。    よし、それにしよう。    なにを。    名前だよこいつの、ガッポ。    言いにくいわそれ。    役者かいそれでも。    じゃあ、ガボだ。    いいね。                               トップにもどる


      *** 下   筌 ***    谷にそって羊腸たる道はつづく。    樹々は太陽をさえぎり    時には    荷台のわれらの肌をやく    まるい空を覗かせもした。    離合場所九〇米前方    カーブの路肩に標識を見る。    うなりをあげ    大形ジープは坂道をよじのぼった。    しゃべることをやめ    疲労のきわみ    わずかに口をあけて息をしている。    どの顔も    今日のはやく終えるのを祈るに似た。    山また山。    旅はすでに磁力を失い    眼を閉じてただ所を移すに等しかった。    荷物の上に躰を横たえ    垣間ながめる碧空はかなしい。    心も自然すらも荒寥としている。    あっあれは。    山腹に穴を穿ち    暗黒の世の砦さながら    矢来の竹に囲まれた不気味な城が見えた。    執念断ちがたく死闘をも辞せぬ構えである。    下筌ダム建設反対の拠点。    われらの感傷を鞏固として寄せつけない    冒しがたいその光景がわたしをうった。    雨季の晴れ間    エンジンの熱気を吹きあげ    下筌の谷間の道を車は走り抜けていった。                               トップにもどる


      *** 芝  居 ***    公民館だというから    モダンな明るい建物を想像していたら    段々畑の畔道のつきあたりに    ばかでかい丸太小屋があった。    いまに牛でも現われそうで    こわごわ土間にふみこむ。    歩くともうもうたる土埃がたった。    久しく人の入った気配はない。    どんちょうもなければ    ライトの器具などむろん無い。    村芝居の国定忠治に使うのだろう    檜作りの格子戸が舞台の下手においてある。    楽屋がある。    楽屋といっても名ばかりで    なんのことはないやや廣い通り抜けだ。    ひとつも窓はないが    節穴が沢山あってわりと明るい。    ここで芝居をしろと言っても    どこから手をつけていいのか誰にも分らない。    ぶつぶつ言いながらも    手慣れたものでじきに舞台を作りあげる。    さっきまでの裏方が化粧にかかるころ    先生に引卒され    子供たちがぞくぞくやってくる。    一つのクラスに大きいのや小さいのがいる    と、思っていたら    それぞれ山間の分校生なのである。    朝早くから    弁当さげて歩いて来たのだという。    その弁当のように小屋につめこまれ    子供たちは一しきり騒いでいる。    ドラが鳴る。    しんとして眼をひからせる子供たち。    この丸太小屋にこれから    お伽の国の物語がふくらんでゆく。                               トップにもどる


    *** 人 吉 地 方 ***    空にたそがれの光彩が充ちている。    人里らしきものの気配なく    これは荒野というべきであろう。    ふいに眼前に廣がった野を    痴呆の如く歩く。    陋習絶ちがたくしきりにかなしかった。    飲みかけた酒盃をふせて    騒々しく貧しい街を抜けてきたわたしは    激しく    希うものを持つ一匹の虫であろう。    球磨焼酎だの    おしろい臭い年増女を    黒土を踏むわたしの下駄の音が    小気味よく消していった。                               トップにもどる


      *** 雨   季 ***    その日    祖母がみまかったという母の便りをもらった。    金釘流の文面によれば    祖母の死を知らずに二十日になる。    雨季もいまが盛りとばかり    その夜もちいさな宿に降りしきった。    なにもかも    わたしの心までも濡れていると感ぜられた。    となりの室に老人がいた。    のびきらぬ無骨な指でお金を数えたり    行李から小箱へと    薬をつめかえていたりした。    黄色い灯の下で    老人は無心にそれをやっている。    その周囲だけがふしぎにからっとしている。    こんなふうにわたしは    祖母のたち働く姿をながめたことがある。    記憶のなかの祖母のまわりも    この老人のように    からっとしたものがとりまいている。    わたしは    遠く旅をしてきたことを    まぎれもなくかなしんでおり    祖母の死も    わたしの故のように思われた。    今宵    老人をぽつねんとみつめているわたしには    翌日からも    なおながい旅がつづくのだった。

画・中西康郎

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      *** 河 童 の 里 ***    このあたり    昔日の急流は姿を消し    不気味に水は淀んでいた。    もしかするといるかも知れない。    立ちつくしてじっと見ている。    河童なんているわけがないよ。    村人が通りかかる。    いますか。    おらんとです。    するとにげたとですか。    でかいダム工事ばやったとですけんな。    魚も河童もどっかへ行ってしもうたとです。    山の方かも知れませんな。    山まではまだ手が廻っとらんですけん    分らんとです。    乾くと駄目なんでしょ、あれ。    皿ですか。らしいです。    すると来るかも知れませんね、夜なかに。    見張ってますか。    足音がするじゃろう、ヒタヒタ。    ペタリ、ペタリかも知れん。    月夜じゃけん、眼ば光らしとったら分る。    ハハハ。    フフン。    足もとば、気イつけるとですよ。    村の家に灯がついた。    あのあたり、わたしの宿があって    さっきの酒は    たぶん、もう残っちゃいまい。                               トップにもどる


    *** 阿  蘇 ***    雨がひとしきり激しい夕ぐれ    わたしは色褪せたレインコートを着て    出発するだろう。    途方もなく暗い狂気に似たものが    わたしの脳髄に臥し    わたしを駆りたて    わたしの縦逸な心は    いつか旅を    わたし自身を毒していた。    いく日も雨雲にとざされ    一度もその全姿を見せぬ阿蘇は    そうしたわたしをあざ笑うかの如くであった。    降りやまぬ雨    雨に濡れる人工的な風景    とりわけ    どこかしら墓場に似た街衢を    わたしは激しく憎んでいた。    昨日見た墓地が    しきりにわたしの脳裡を去来する。    あの林立する卒塔婆は    わたしの思念のなかで    確実になにかを育くんでいるらしい。    わたしはひたすら山を恋いながら    あの起伏なだらかな艸千里ヶ浜    その向うに    わたしを待ちうけているだろうものを    ひそかに怖れていたのだろうか。    夜毎くり返す    わたしの乱酔は    もはやどう救うべくもなかった。 トップにもどる


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