モノローグドラマ(一人芝居)  がらんどうは歌う

                                  
                                 山内 博之(宥厳)作



 わたしはいま、こうして舞台に出てきましたが、これからわたしがここでやろうとしていることについて、あなたは何も知らないわけですが、たとえばいまからわたしがハムレットをやる、とすれば、あなたは何らかの予想を持つことができるはずです。
 ハムレットについては、あなたは何かをご存じで、まあ映画でみたローレンス・オリビエとか、日本の新劇で言えば芥川比呂志とか、まだ沢山あるでしょうが、そういうハムレットと、わたしのハムレットとをくらべてみる。どちらがいいか比較してみる。そういうことが出来ますね。そしてどうも落ちるな、とそう思われるのはわたしのハムレットかも、あるいは分りませんが、そう思えばあなたはさっさと席をたって帰ってしまうことも出来るわけですし、本当にそう思われたなら、そうすべきでしょう。

 わたしは、いつもそうすることにしているんです。
 今日はしかし、ハムレットではありません。
 幸か不幸か、たぶんわたしにとっては不幸で、あなたにとっては幸なんでしょう。席をたって帰らずに済むんですから。
 わたしはハムレットをやったって、まあ、この話の続きはやめときましょうか。言っておきたいことは、わたしがハムレットをやろうたって、仲間がいないわけです。同じレベルの。

 今日のわたしの役柄は、役者なんです。
 役柄を抜きにしてもわたしはやはり役者です。ですから、少しぐらい脚本が悪くったって、わたしの芝居のためにおいで下さったあなたに、わたしが居眠りをさせたり、そうでないまでも、いらいらさせたままでおひきとり頂く、ということには・・・・・・ならないでしょう。
 
 まだ、芝居が始まっているわけではないんです。
 じゃ、開幕前の口上をいまやってるのかというと、そんな古くさい何かの真似事や、書物の序文みたいなことをやっているんでもありません。

 普通、芝居、すこし上品に言って、演劇というのは、開幕にはベルとか、ドラとかを鳴らすものです。
サイレンを鳴らす劇場なんてのは、聞いたことがありませんが、今夜はバケツでも叩こうか、と思ってたんですが、芝居というものは、人生に似ていて、ふと気がつくと、始まってしまっている、そういうものかも知れません。
 始まってしまってから、これは人生のことについてなんですが、はて、どのあたりから始まったのか、などと、ふと立ち止って考える。
 この立ち止って考えるという年頃になったあたりから、人間というものは、大人になるんです。
 そういう状態を自意識をもつというんでしょうが、ヨーロッパの昔の哲学者は、自意識をもったあたりからを、人間、と規定していたことがあるくらいで、そういう考えにたつと、子供は、人間のカテゴリーには属していないのです。

 そういう言い方から推していけば、開幕のベルなり、ドラなり、サイレンなりを鳴らしてくれなければ、どこから芝居が始まりなのか、お分りにならない、といわれる方が、もしこのなかにいらっしゃるなら、その方は、もしかすると、私は人間ではないのかも知れんぞ、という考えを持つ必要があります。

 ベルが鳴るか、鳴らないか、わたしにも分らないんです。
さきほど芝居は人生に似ていると申しあげましたが、人生には、いつ何が起るか分らない、芝居だってそうなんで、いつ何が起るか分らない。
 今夜のこの舞台は、そういうものなんです。

 演劇とはそんなものじゃねえよ、とおっしゃる方のために、演劇とはじゃ何なのか、そういうことについて、少し話をしてみたいんです。
 むづかしい専門用語を知っていらっしゃる方は、今日、たくさんいらっしゃいます。
 例えば、ドラマトウルギー。
 日本語では作劇術、というのです。
 わたしは作劇術なんていうことばより、忍術ということばのほうがよほど好きですが、 意味もちょっと通じるところがあるようですが、ドラマトウルギーということばを、忍術と訳さなかったのが、不思議なくらいです。

 ドラマトウルギーというのを、一口で言えばこういうことなんです。 ここで死んじゃ芝居にならねえ。
これが分らない人は、教養がありすぎて眼のわるくなっている人なんです。

 わたしたちは、日頃何気なく物事に触れたり、行なったりしていますが、時々は、立ち止って、ひどく高価なものを、生れて始めて買うような気持になって、そのことの意味や、その本質を、知ろうとする、本質に迫ろうとする、そういう姿勢が必要です。

 ある一つの世界に入る。

 これは人間として生きて在る、ということと同じ意味なんですが、まあ、今は、ごくありふれた生活から、わたしのように、演劇という世界に入ってくる。
 そういうふうに考えてもらうと、分りやすいでしょうか。
 その世界に入ってしまうと、そこで絶えずいるために、何かをするために、この世界へ、かつて別の世界からやって来たのだ、ということを、人間は忘れがちなのです。

 忘れてしまえば、そこはもはや、ありふれた、日常の世界以外の何物でも、なくなってしまいます。
 
 わたしは何をするために、演劇という世界に入って来たのか。

 今日こうしてこの舞台に立っているのは、一体何のためなのか。
 あなたが、今日、何のためにここへ来て坐っているのか。
 もちろん、わたしの今日の芝居を見に来て頂いている、ということは、あたりまえすぎるほどよく分っていますが、いささか大げさに言えば、わたしが、今日まで五十年あまり生きて来たのは、そしてあなたが、何十年か、十何年間かも知れませんが、生きて来たのは、今日、こうしてここでお会いするためだったと、申しあげても、間違いではありません。

 今からわたしはあなたと、対話をする。
 あなたはわたしの声を聞き、わたしはあなたの声を聞く。
 この瞬間から、わたしたちは、のっぴきならない関わり、からみ合いをもつさだめ、そういうものがあると言っていい。
そんなことはあり得ないと、誰に断言ができるでしょうか。

 この丸い球みたいなものは、わたしの親しい友人の彫刻家が造ったものです。
 これはがらんどうなんです。
 わたしが初めてこの球を見た時、彼はわたしにこう言いました。
 俺はがらんどうを造り始めたんだ。俺はがらんどうが好きなんだなあ。俺はもっともっと大きながらんどうを造りたい。がらんどうを造り始めると、もうちいさながらんどうを造っても生きている気がしないんだ。
 とそうわたしに言ったのです。わたしには、友人の言葉が、この気持が、痛いほどよくわかります。
 がらんどう、からっぽ、エンプティ、ヴォイド、そうです。
がらんどうなるもの、エンプティなるもの、一見、なにも無いような世界。

 あらゆるものがあふれ、あらゆるものに人間が慣れすぎている今日、わたしたちは、なにも無い原野のような世界に、そこへ身を置くと、自分がどうなるか分らないような未知の世界に、惹かれるようになります。

 そういう世界は自分で手に入れることが可能です。
 さしずめこれは、球形の原野、とでも言えましょうか。
この彫刻家は、がらんどうの原野のようなところに心を置いている。ゆたかにすら思えるほど、荒涼とした世界から、ものを造ろうとしているのです。

 たいていの人が、規定された、決められた道、きちんとしかれたレールの上を、定められた時間に従って、走ったり、歩いたりしています。
 なぜなら、そこには全てのものがそなわっているように見えるからです。
 まことにそれはちっぽけだ。
 まことにそれは貧しい、ふきだしたくなるようなものですが、そういうものだとは、ひとびとは考えてはいない。
そういう考えを持つにいたるひとは、ごくまれなんでしょう。
私はがらんどうが好きだ、いや、私には、どんなに心のなかをほじくってみても、がらんどうしかない。
 私はエンプティなんだ。
 そういう心を持つことが、そしてそこから出発することが、必要なんです。
 わたしはそういうものをあなたと、共に持ちたいと願っています。

 もうすでに決ってしまっているような世界、段どり通りにことが運ばれるような世界、いまなら今夜の芝居の開幕を告げるベルの音。
 これはひとつの段どりです。そして芝居が始まる。<>


 だがベルの鳴ることに、どんな重要な意味があるというのだ。
 ベルは鳴る。決められた時間どおりに。



 役者も、スタッフも、ベルの鳴るのに間にあうように、化粧をしたり、コスチュームをつけたり、照明を点検したり小道具を確かめたり、何十人もの人間が、そのために動きまわる。
劇場は一つの目的のために活気をおび、波乱をさえ含んで、ロケット打ち上げの秒読みさながらに緊張している。
 僕はいつも、ほんの僅か、胸がしめつけられるような気がしている。
 僕は鏡に向っている。
 鏡のなかにはいろんな奴がいる。
 時には泥にまみれた兵隊であったり、自動小銃を片手に、世界を向うにまわしたつもりで殺気だっている少年であったり、浮かばれなくてこの世にまい戻った亡者であったり、酔いどれた老人であったり、恋をしている若者であったりもする。
 鏡のなかの人間と、僕との視線があう。
 まもなくだな。
 そしてベルの鳴るのを僕は待っている。
 まちがいなく、ベルは鳴るのだ。
 ベルが鳴ると、僕は演じ始める。
 お芝居というものを。


「なんというかぐわしい、美しい季節であることか。ぼくはこの森へ来るたびに、この世に生を享けたことを、神に感謝するのです。マリア、ごらんなさい。
 木々は青葉を枝いっぱいにつけて、絵にかいたように、天に向ってすくすくと成長しています。
 たとえば、ほらあのサイプラスの姿、あれは何ものにもしいたげられてはいない、まさに、美そのものといっていいほど見事な形です。
 ああ、それにぼくのマリア、きみとぼくとが、始めて出会ったのも、あのサイプラスの下あたり、きみはまるでニンフのようにぼくの眼の前に忽然と現われたのです。」


 まさか、こんなにひどくはないかも知れません。
 いまのは、ほんの出まかせなんですが、まあベルが鳴って芝居が始まるとこれに近いようなことをやってるんですねえ。
 芝居というものは嘘のことをやってみせて、本当のお金を客からとるんです。
 いささか良心が痛みますね。

 ベルが鳴る。
 これは売店でアイスクリームを買ってる人に、早く坐れ、といってるようなものだと言ってもいいんです。
 ベルが鳴ると、ほおばったばかりのアイスクリームをあわててのみ込んだり、火をつけたばかりの煙草をろくに吹かしもしないうちにあわててもみ消して、座席にかけもどらなくてはならないようなすばらしい舞台になんか、めったにお目にかかれるもんじゃありません。
 役者たちは歯の浮くようなセリフを、照れもしないでわめき散らしていい気になっている。お客さんがあくびをかみ殺そうが、居眠りをしていようが、決められた通りに、練習した通りにやっちまおうという訳です。

 なんと芝居というものは人生に似ているではありませんか。

 わたしは演劇を志す人間として、いま反省をしているのですが、たとえそこが演劇という世界の片隅であってもいい、異端者と呼ばれたってかまわない。そこで生き生きとしていられるならば。そして、ひとりでもいい、私とがらんどうの原野の立場から、いまわたしたちの仲間がやっていることを見、そして、本当の意味で生きるとは、果してそういうことを続けることかどうかを、共に話しあえるのならば。

 わたしがいままで関ってきた仕事は、あえて言うなら、偉大な芸術でも作りあげたつもりで、それを見に来い、といわんばかりのやり方でした。<> なんという思い上った、恥ずべき態度だったことでしょう。


 今日の、この舞台は、あなたとわたしとの、対話の椅子であり、創造をすること、クリエーションの場なのです。
 わたしたちは、激しく議論を闘かわさねばいけません。
そして、一緒にたとえすぐに実現しなくとも、素晴らしい演劇を、素晴らしい人生を目指して生きてゆかねば、なりません。
 どうですか、わたしと一緒に芝居を作ってみようとは思われませんか。
 どうか参加して下さい。よかったら、ここへいますぐ上って来て下さい。
 いまから、わたしは実験をしてみたいのです。率直に白状いたしますが、今日は、戯曲がありません。
 ト書のある台本は無いのです。
 手ぶらで立っているんです。
 わたしは一枚のレコードを借りて来ています。わたしはそれをかけて、即興的に演じるつもりです。
 ではレコードをかけて来ます。



 父と母が争っている声が聞こえる。
 僕はうつつのなかでそれを聞いている。
 僕は国民学校の三年生で、その頃、昼夜をわかたず、米軍機は日本列島の頭上に、まっ黒な陰を落していた。
雨戸をぴったりと閉じ、光の弱い電灯にも、黒い布でおおいをかけ、そこからこぼれるちいさな光の下で、僕たちは、まるくなって息をひそめていたのだ。

 おかわり。僕がさし出す茶碗を見て、姉が、僕をそっとにらむのだった。
 僕にはその姉の眼が、何にそそがれていたかよくは分らなかった。
 母は、ハイといって僕にごはんをついでくれる。
 僕はガツガツとよく食ったものだ。いまでもそのことを想うと、自分を呪いたくなるくらいによく食ったものだ。
だが僕は知らなかったのだ。母が爆撃で焼け死んで、僕の母代りになった姉がそのことを話してくれるまでは。



 父と母が口争いをしている。
 空襲が日ましに激しくなって、僕らのちいさな町も、爆撃されるのは時間の問題だと誰しもが感じていた。
 警戒警報が入ると、ま夜中でも、僕らは父に叩き起され、服を着かえて、逃げる用意をする。
 しかし、まだ、僕らの町の頭上をB29は素通りするばかりだった。
 何ヵ月もそんなことが続いているのだ。
 母は、子供たちが眠たがっているのに、警戒警報ぐらいで子供を叩き起すのは可哀そうだ、とそう父に言っている。
いざという時に、子供をかかえてでも走れるのだから、眠らせておいてやろうと言うのだ。
 父は頑としてそれを認めなかった。
 子供を叩き起すのは、お前の言うように確かに可哀そうだが、もし、そのために、間に合わなかったらどうするのだ。手遅れになる可能性は充分にある。
 どちらが、子供に対する、本当の思いやりだというのだ。



 夜毎、サイレンの音に夢を破られ、半ば眼を閉じたまま服を着て防空壕へと走るのは、幼い僕たちにとってつらいことだった。
 その頃僕は学校で、こんな歌を覚えさせられた。
 僕たちの頭に叩き込むように先生たちは覚えさせる。


 空襲警報きこえてきたら
 いまはぼくたち ちいさいから
 大人の言うこと
 よく聞いて よく聞いて
 あわてないで さわがないで おちついて
 入っていましょう防空壕


 歌うほどに屈辱が僕の胸のなかで大きくなっていく。
 僕は父や母にそんな歌を学校で覚えさせられたことを、決して話さなかった。
 すでに大都会のほとんどは焼土となっていた。
 日本列島は炎になめつくされようとしていた。
 東京も大阪も灰になってしまっている、ということを僕は知っていた。
 空襲警報のサイレンが鳴る。次はこの町なのかも知れない。

 あの夜のことは、いまも僕の網膜にあざやかにやきついている。
 一九四五年七月四日、夜半、B29は僕たちの町に、無造作に、ばらばらと焼夷弾をなげ捨てていったのだ。
空から、鼓膜をつんざくような金属音をたてて、巨大な火のかたまりが落ちてくる。
 僕はまだ半ば眠っていたのだ。
 落したぞ、と父が叫んだ。
 僕は恐怖にかられて、あっという間に戸外へとび出してしまっていた。
 服も身につけずに、どうしたわけか、母の下駄をつっかけて、気がつくと、野原にたって、町が、そして背後の山が一面に美しく燃えあがっているのを呆然とながめていた。
 僕の家のあたりも炎に包まれてしまっている。
 ひとびとは、あの時僕をつきとばさんばかりに、近づいてくる炎から逃げていったひとびとは、どこへ行ってしまったのか。
 僕のまわりには誰もいなかった。

 朝が近づいていた。
 馬が一頭、ひく人もないのに、目的をもったもののように、ポクポクと僕の傍らを通りすぎていった。
 その時すでに、ぼくの身の上にはとり返すことのできないことが起ってしまっていたのだ。



 ながい時間が過ぎたような気がする。
 時間はどこまでも連続していて、しかも一瞬のものでしかない。
 ひとたび過ぎ去った時間はあまりにも遠すぎて、僕らには触れることもかなわない観念のようなもの、空白のようなものでしかない。
 僕が恐怖にかられて走った時、僕は何故、母のふところにまっ先ににげこもうとはしなかったのか。
 母は、僕がまっ先ににげだしてしまっていることを知らなかったのだ。
 母にとって、そんなことは、思いもよらないことだったにちがいない。
 幼いわが子が恐怖にかられた時、母のふところではなくて、どこにまっ先ににげるというのだろう。
 だから僕が家に残っているものだとばかり思いつめて、母は父の制止も聞かず、反狂乱になって燃えさかる炎の海へ、僕を探しにとびこんでしまったのだ。



 ひとはみな過去を持っています。
 過去には様々な思いが、様々のかたちで閉じこめられています。
 自らの過ぎこし方の重荷で、しぶしぶとにがい想いで、いまを辿っているひともいます。
 いまわたしは、あの暗い時代、おびただしい人間のほとんどが、盲目になってしまって、さっきわたしが歌ったような歌を、子供たちに強いなければならなかった、そういう恐ろしい時代の姿の、ほんの一部を、わたしにふりかかり、この躯で経験した範囲で、表現しようとしたのですが、わたしの心のどこかに、そんなものは古ぼけて変色してしまった写真を見せるようなものだというような気が、しないでもありません。
 これはどうしたことでしょうか。
 こうした歴史の一コマを、わたしは語りついでゆかねばならないのだと信じているのに。



 わたしは内部の泉がもう涸れ切っているのではないか、と思って空恐ろしくなることがしばしばあるのです。
 いまのわたしにはある情念を持続することがむずかしいのです。
 人を愛し、愛しつづける。
 あるいは人を憎む、そして憎しみを持ち続け、それを自分の生き方の原動力とするような強い情念、生きていくための目的、意志と転化してゆくような情念、そういうものが乏しいのです。
 わたしには誰ももう愛せない。
 もう決して愛するという言葉の本当の意味において、誰も愛することが出来ない。
 そんなふうにしか思えないことがあるのです。
 そして時間は、自分の存在の如何にかかわらず通り過ぎていってしまう。
 そんなふうに思う時は、わたしはきっと何かに縛られているのです。縛られていて、自由ではない。心のなかにがらんどうがない、エンプティなものを失っている、そういう時です。
 わたしが人間として、人間らしく本当に生きて在るのだという実感の上に立っていないからではないだろうか。
 そんなふうに考えるのです。



 僕ははたちになろうとしていた。
 僕はもう大人であって、一かどの読書家でもあった。
 僕はがむしゃらに本を読んだ。
 僕の書物に接する態度は、激しく、それはほとんど祈っていると言ってもいいほどの姿勢であったろう。
 僕は、僕の前に立ちはだかるこの人生という、にがにがしいものに対して、書物を楯にして向ってゆこうとしていた。
 人生は、かくあるべきだという本質的な、確固たる形がどこかに存在する。
 そういう仮説をたてて、ストイックに生きようとする青年にとっては、はたちという年齢は、はたちの肉体は、実に残酷なものなのだ。
 僕が生きようと志向する一筋の道に、はたちという季節は、様々なかぐわしい品物を並べて、僕を立ち止らせようとする。
 手を差しのべて掴みたいものがある。
 知りたいと願っている、未知のものが置かれてある。
 僕の肉体は、僕の観念に逆らって燃えはじめていた。
 手を伸せば、触れることが出来そうだが、そこには眼もくらむような光が差していて、触れれば、僕の手はたちまち焼け焦げてしまうのかもしれない。
 触れれば、坂道をころがり落ちるように、僕は途方もないところへいってしまうのかも知れない。
 僕は喘いでいた。
 喘ぎながら、自分が素通り出来ないところへ来ていることを知らないわけにはゆかなかった。


 深い闇がはたちを支配している。
 僕は理屈では知っていた。
 僕は人間なのだから、時には衝動的であってもいいだろう。
 時には軽率でなくてはならないこともあるだろう。
 だがそれにしても、あれらは、なんと遠くにあることだろう。
 僕がこれほど近づいて来ているというのに、なんと手のとどかない所にあることか。
 僕は泳いでいる。
 不安という海のただなかを、心をよぎるものと闘いながら、躯をたくす一片の木片もなく、飢えて、凍てついた、暗い眼差しをして。


 僕の声のつぶやくのが誰かに聞えるだろうか。
 音楽は鳴りをひそめそこにはどんな光も差して来ない。
 両の眼を閉じると僕だけが知っている光景が見えてくる。
 こうして眼を閉じると見えてくる。
 僕には見えてくるので、決して両の眼を閉じてはならない。
 眠りにつけば、悪夢が僕をおびやかすので、僕は決して眠ってはならない。
 黙ってしまえ!僕は口を聞いてもいけないのだ!



 わたしは、芝居をしているのでしょうか。
 いまわたしはひとつの真実を、語ろうとしました。
 劇場は、わたしにとって、ひとつの、広大な原野なのです。
 ここには可能性以外の何もありません。原野には何もないのです。
 何もないからこそ、パラドキシカルに言えば、全てがあるのです。
 神父は、わたしとあなたがたが、こうして向いあっているように、祭壇を背にして立てば、それは神秘的な、そして体系と呼んでいい世界を背おって、あなたがたに向います。
そして、わたしたちは人生という重荷を背おって、罪あるものとして、生きているのであると、あなたがたに話しかけます。
企みをもった政治家であってもやはり、ひとつの論理をもって、その論理を、あなたがたに説得します。
 彼らは、神父さんと政治家とを彼らというふうに呼ぶのは、軽率のそしりをまぬかれないかも知れませんが、共に論理をもち、その論理のうちがわで、論理というのを彼らの世界というふうに言えば分りやすいかも知れませんが、それを、しゃべり、自分の論理のうちがわへ、導き入れようとするのです。


 わたしには、そういう論理はありません。
 原野というのは、論理のそとにあってがらんどうです。
 エンプティなのです。
 混沌といってもいいでしょう。
 これは、何かから遠ざかろうとすれば、それも意識的に遠ざかるほど、近づいてくる世界だと、わたしは思います。
 
 生か死か、それが疑問だ。
 ハムレットのこのせりふは、もしかしたら、原野の思想だと、あなたはそう思われませんか。



  あの日、僕が家へ帰ると、父が恐い顔をして立っていた。
 家へ帰る。
 そう、習慣的には家へ帰った、という以外のことばは見つからない。
 家は、すっかり灰になって、まだぶすぶすと燃え残った火があった。
 姉が、僕の顔を見ると、涙で泣きはらした眼で、じっと僕を見つめ、それからがばと僕を抱きしめて、わあっーと泣き伏した。
 居間のあったあたりで、くすぶっているものを、父はじっと見つめている。
 丸太ン棒のようなものが、くすぶっていた。
 僕は父の見ているものを、もっとよく見ようとした。
 姉は、僕の顔を、胸に押しつけるように抱きしめた。
 見てはいけないわ!あれは、お母さんよ。お前が家に残っていると思ってお母さんは・・・・・・



 だれに何が出来たというのだ。狂ってしまいそうだ。
 僕の母が、腹からぶすぶすと煙を出している。
 とてもあんなかたちで、燃えているものが人間だとは、自分の母だとは、とても信じられない。



 父はじっと見ている。
 その時、父はこわれていったのだ。
 そのかたわらで、ふたりの姉弟が抱きあって、はりさけんばかりに泣いているのだ。

 音楽をしばらく聞きませんか。



   誰かが笑っている。
   狂った父は笑ったりはしない。
   笑わない父をもった子供たちも笑ったりはしない。
   誰もが笑いをもっている。
   僕たちの家族の外では、誰もが笑いを持っている。
   いろいろな笑いがある。
   笑いにはいろいろな色がある。
   色には希望がかがやいている。
   色には朝の色と、夕の色がある。
   父は一言も口をきかなかった。



 戦争が終っていく年かたっていた。僕より、五歳年上の姉は父に対しては、妻のように家事を切りまわし、僕にはやさしい母であった。
 姉は僕にとって朝の色であり、父にとっては夕の色であったろう。
 姉の父と僕に対する献身的な生き方、年頃になってきた姉の外の世界への様々な想いを、僕もおぼろに感づいてはいた。
誰も笑おうとしない家のなかで、姉が懸命に持ちつづけていたものの強さを、やさしさを、僕は言い現わすすべを持たないほどなのだ。
 耐えがたいというべきであろうか。
 やむを得ないから、ひとはそこに生きるのだろうか。
 そういう生活は、ひとりの人間の運命なのだから、と割りきってしまうべきなのであろうか。
 僕らは、共に苦しみを分つべきだ。
 もしそこにしか生きる場所がないときには。
 耐える。雑草が決して枯れてしまわないように、人間も、耐えて、枯れてはしまわないのだから。
 僕は知っている。
 僕は知ったと言うべきか、僕は学んだと言うべきか。
 ひとは、想像のなかでさえも、決して耐えられないような生活を現実に生きて在るのだ。



 狂った父は口をきかない。
 焼け跡に建てたバラックのちいさな空間、マッチ箱のなかに捉えられた虫のように、僕らはそのなかで、そっと身を寄せあっている。
 母が焼け死んだあたりに、父はけいとうの花をいっぱい育てて、丹念にめんどうをみる。
 雨が降ると、父は傘をさして、如雨露にくんだ水を、けいとうの花にそそいでやるのだ。



   誰かが笑っている。
   狂った父は笑ったりはしない。
   笑わない父をもった子供たちも
   決して笑ったりはしない。





 日本人は表情に乏しいとよく言われます。
 能面のようにという表現がありますが、能面には、筋肉はないのですが、表情は乏しくはないのです。
 だから、日本人は能面のように表情が乏しいというような言い方をすれば、おそらく能楽の通の人たちに叱られるかも知れません。
 先だって、ある人間の顔面の筋肉の働きを研究している人にうかがったのですが、日本人が表情に乏しいのは、日本人が、自分の感情を、なるべくあからさまに顔に出さないでおこう、というように努力している故ではない、ということです。
出そうと思っても、筋肉が、思うように動いてくれない、といったほうが正確なくらいなんだそうです。
 たしかに、日本人は、喜怒哀楽を、外国人、それも白人などに比べると、押えている、というより、彼等ほどに表現をオーバーにしない、と言えます。
 しかし、いまちょっとやってみて下さい。
 片目つぶり、あちらのことばで言えばウインクですが、右も左も、意のままに、やれますか。
 日本人は、うまくやれない人のほうが、パーセンテージとしては、多いのです。
 北海道にアイヌ人がいますが、彼等は、和人、すなわちわれわれですが、和人にくらべて、ウインクがずっと上手なんです。
 そして、和人とアイヌ人との混血児になるとウインクが上手に出来る人が少なくなる。
 アイヌ人としての血がうすくなるほど、ウインクが下手になるそうです。
 日本人の俳優にくらべて、西洋人の俳優が、表情に富んでいる、歌手などでもそうですが、これは、顔の筋肉の動き方が、日本人とちがうからなんです。

 片まゆあげ、英語でなんというのか知りませんが、これなどになると、日本人は眉だけ、それも片方だけ上下に動かすなどということは、殆どの人が、出来ないといっていいのです。
片眉あげが出来る、というのはどういうことか、これはアイヌ人や白人のほとんどの人が出来るそうですが、片眉をあげると、顔がアンバランスになる。
 日本人の場合はアンバランスにならないのです。
したがって西洋人の表情の豊かさの魅力は、顔面の筋肉のアンバランスの動きにある、ということが言えるわけです。


 西洋のご婦人は、ドアをいきなり開けると、裸の男が見えた。
 するとキャッと言って卒倒いたします。
 ドアを開くと、今度は男がドアを開いたのですが、すると、裸体の女性が見えた。
 すると女性はキャッーといって卒倒いたします。
 どういうわけか、西洋人でも男は卒倒しないので、都合のよいことや、わるいことがそこで起らないとも限りません。
 日本人は、こういう時、どういうことになるのでしょうか。
 表情が乏しい。
 これは、日本人が、人間としての感情が、乏しいということではない。
 人種的に、顔面の筋肉の働き具合がちがうのだ、ということなのです。
 しかし感情というものは、押し殺していると、次第に、深いところへ、ひそんでゆくものです。
 少女は箸がころがっても笑う、といいますが、おばあさんになると、おじいさんがころがっても、笑わなくなります。
 笑わなくなると、いけないんです。
 物に動じない。
 そんなふうになると、スリラー映画を見たって、恐くもなんともない。
 寄席に行ったって、少しも可笑しくない。
 なにが起ったって、おどろかない。
 そんなことになってはいけないんです。
 いけないけれども、可笑しくもないのに自分の都合に合せて笑ったりする人間もいます。
 人間というのは、実に不可解な生き物です。


 そこで、わたしは、このわたしとは、一体、何者なのか。容易に笑わない、決して声をあげて笑ったりはしない、わたしとは、一体何なんでしょう。




  もう少し照明を暗くして下さいませんか××さん。



 暗くすると、ひとは、何かを想い出す。
 くら闇で起ることは人生の秘められた部分なのだ。
 何かをひたかくしにすること、これを、闇にほうむる、ということばで言い現わす。
 僕にも、闇がある。
 くらーい、深い、誰の手にも触れさせない、決して光をあててはならない部分が。
 いやなことは、人はすぐ忘れ去るという。
 だが、それは嘘だ。忘れたいと願うが故に、いっそう忘れられないことが、僕にはある。
 忘れられるから、生きていられるのか、そうではない。
 生きていようと願うから、無理にも忘れようと、忘れたふりをするのだ。

 僕ははたちになっていた。



 マッチ箱のなかのちいさな穴から、父が、胡坐をかいて、けいとうの花をながめている。
 わずかに風があってけいとうの花がそよいでいる。
 僕は、父のけいとうの花をながめている顔を読書をしながらふとみつめる。
 それは狂っている人間の顔ではない。
 そして、あの眼の鋭いかがやきは、なにかしら、深いものを、はっきりみつめているように僕には思われる。
 父が口をきかないのは、もしかしたら、あの時に、僕が・・・・・・僕が母を死に追いやった故ではないだろうか。


 夕闇の迫っている時間に、没日の残光をあびて、けいとうの花をみつめている父の姿は、僕の胸を、切りさいなむのだった。
 姉は台所で、夕飯の支度をしていた。
 姉さん、何か手伝ってやろうか。
 僕は、日頃に似合わないことを姉に言ったのだ。
 父の顔をみてから、沈黙していることには耐えられないような気がしていた。
 僕のことばに、姉は微笑みながら、いいのよ、もうすぐ。
といってから、どうして、急にそんな気になったのと僕に言った。
 そして、包丁を、コトコトと使っていた。



 僕は再び机に向った。
 姉があっ、と言って、何か物の落ちる音がした。
 父が、姉の方をふり向いた。
 姉は、左手の指を右手でつまんでいる。
 血がしたたっていた。
 その時だ、父が叫んだのは。

 まさ子!

 まさ子、それは、母の名前だ。
 僕は父と母と姉の顔を、一瞬、凍りついたような気持でみつめた。
 姉は、父が声を発したことで、おどろいて、怪我のことも忘れたふうに、父をみつめた。
 蒼ざめて父を見ている姉の姿は、僕の眼にも、記憶のなかの母とそっくりであった。


 われにかえった僕が、姉の指を手当している時、姉は、眼を閉じて、僕の前で、とめどなく、涙を流していた。
 あの母の死んだ日以来、姉が涙を流すのを見たのはこれが最初であった。可哀そうなひとりの女。
 それまで、僕は姉を、ひとりの女として、こんなふうにながめたことがあったろうか。


 姉は僕にとって、母であった。
 そして母であると同時に、もう世の普通の幸せを掴んでもいい、ひとりのみのり豊かな女でもあったのだ。
 母とそっくりの、やさしい美しい顔をして、指の手当をしている僕の前で、わたしの全ては父と、お前のために、こうして生きてきたことにあったのだと言わんばかりに坐っている。
 父は、僕が手当をしているのを見て、外へ出ていった。
 姉の器用そうな白い手を、僕は、やさしくにぎりしめた。
 せきを切ってあふれるように、姉の悲しみは、僕の胸に、ひりひりと伝わってくる。
 母を喪った日のことが僕の眼にありありと泛んだ。
 あのけいとうの花のあたりで、僕が、まだくすぶっている母の死体を垣間みた時に、見てはならないと、僕を抱きしめた姉は、いま、僕の前でいかにも弱々しく、なにものにも耐えられない、こわれやすい、いまにも崩れて消えてしまいそうに泣き濡れている。
 僕は、その時、姉を、抱きしめてしまったのだ。
 やわらかい姉の肩を、やさしく盛りあがった姉の胸を、もう 決して二度と涙なんか流させてなるものかとばかりに。



 あの時、僕がまだはたちになっていなかったならば・・・・・・。
 あの残酷な季節が、僕にまだ訪れていなかったならば。



 空襲で町が灰になってしまっあの明け方、煙った空気の幕をさいて、僕の眼の前をポクポクとよぎっていったあの馬の姿を、僕の眼と心が捉えた時から、僕の人生はエアポケットのようなところへと落ちこんでしまったのかも知れない。
 人間がどんなに巧みに強固に造りあげた概念も、秩序も、ほんのわずかのもののはずみであえなくついえ去ってしまうのだ。
 僕がかろうじて保っていたもの、僕が決して、触れまいとしていたもの、はたちになって僕が形をととのえようとしていたものは、一体何だったのか。
 決してタブーを持たない、美しい概念や秩序というものはあり得ない。
 そして僕がそれを信じているならばタブーをおかした僕が選ぶ道は、たったひとつしかない。
 リンチだ。自分をきびしく罰すことだ。
 なに食わぬ顔をして生きつづけること。
 無表情に、偽りの仮面をかぶって、石をもてこの女を打て、とばかりにうそぶいてまで、ひとはどうやら生きるものらしい。
 そう気がつくことに大して時間はかからなかったが、気付いた時には、僕はすでにもう決してひき返すことの出来ない所へ、深い奈落の底へ、がらんどうの世界へはみ出してしまっていた。
 もう決してひき返したくないところへ、と僕は言いなおすべきかも知れない。



 わたしは、いろいろ大きなことを言って、こんなふうに演じてみました。
 これで良かったのかどうか、いまのわたしには分りません。
しかし、少くともわたしは、がらんどうの世界から、議論をふっかけ、自分では大上段に、切りこんでいったつもりなんです。
 わたしは徒党を組むのは好みませんが、がらんどう、この原野の世界、原野の思想への道は、すでにあなたはご存じのはずです。
 かなうことなら、美酒をくみかわしながら、一夜、一緒に語りあかしたい。
 そしてわたしたちが、どこから出発して、どういうものを目指して生きるべきか……
 見つけ出したいものです。

                 <幕>